小説『鎧ノひと【全77話 完結】』
作者:wanari()

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 高速で駆け抜けるナナの頬を、黒い煙が幾筋もよぎった。

 その臭いを、彼女が内心でひどく不快に思っている様がヴァルガにはわかる。だが、ナナは何も言わない。ただ黙って自分のなすべきことをなそうとしている。

 鋳魂炉の前は、すでに惨憺たる有様となっていた。組まれた足場は崩れ、所々深い奈落を作っている。視界は悪く、しきりに放たれる戦人側の攻撃と爆発音で、ろくに声は届かない。

 そんな中で、敵の姿を確認する。

 遠く、しかも煙と術の輝きで細部がはっきりしない。黒煙よりもさらに深い漆黒の翼と、異常なほど細く不気味な肢体であることが、ようやく掴める程度だ。さしずめ黒翼の影といったところだ。ヴァルガは言った。

『味方がどんな陣形を取っているかわかるか、ナナ』

「じんけい、ですか」

『周囲の様子を探るんだ。誰が、どこにいるか把握してくれ』

 ヴァルガの言葉を受け、ナナが辺りを見回す。鎧に憑依してから格段に広がったヴァルガの視界は、戦人たちが散り散りになりつつ攻撃をしている様子を捉えていた。

 不意に、ナナがつぶやく。「隊長がいない……」

 なるほど。この乱戦は指揮官の不在が原因か。

 ヴァルガは記憶を探った。初めてミリッツが分隊長として赴任したとき――自分たちよりも年下の小娘をいきなり信頼する兵士などいない状況下で、彼女が魔獣にとった行動を。

『ナナ』

「はい」

『こちらに注意を引きつける。お前が持ってる最大の攻撃を、あいつにぶちかませ』

「……」

『今のお前なら。そしてこの鎧の力があれば。……やってやれないことはないだろ?』

 戦人の攻撃はさらに激しく、そして無秩序になっていく。結果、大きなムラが生じ、その間隙を縫って黒翼の影は余裕すら感じられる仕草で宙を舞う。冷静に観察すれば、敵は戦人に対して攻撃らしい攻撃をしていない。その必要すら感じていないのか、完全に彼らを舐めてかかっているように見えた。

 目を、醒まさせる必要がある。敵も、味方も。

『お前の力をみんなに見せてやれ』

「……ん」

 短くナナがうなずく。

 左手を大地と平行にかざす。いつぞや見た、鏡面の輝きを持つ剣が現れる。ナナの中で渦巻く活力が勢いを増し溢れ出し、さらに増幅されて剣の表面を薄く覆った。ヴァルガの身体――すなわち対外活性素防護装具(鎧)が、かすかに熱を持っていく。

 無秩序に立ちこめる煙に、流れが生じた。ナナの剣を被う活力が気流を生じさせているのだ。

 自分になんてできない――そう考えるのはやめるんだ、ナナ。

 ヴァルガは心の中で語りかける。

 ナナが普段思っていること。想い。ナナが押さえ込んでいた諸々を、今は、あいつにすべてぶつけるんだ。

 お前から、みんなに認めさせてやれ。

 心の箍(たが)を、外せ――

 黒翼の影がこちらを向いた。細いと思っていた身体は、一切の肉をそぎ落とした骨のそれだと気付く。黒い髑髏が漆黒の翼を持ち、まるで人間界でいう死神のように浮かんでいる。

 くわっ、と髑髏の口蓋が開いた。

 ナナが剣を振りかぶる。

 渦を巻いていた黒煙の流れが、輝く剣の切っ先に合わせて、ゆらり……と踊った。

「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 弧を描く剣閃。

 虚空を引き裂いた光の残像から、暴れ狂う雷撃が迸る。逆巻きに昇り上がる輝きは、黒煙を切り裂き、そこに浮かんでいた黒い髑髏を直撃した。

 目を潰さんばかりの閃光とともに、漏れ出た幾筋かの雷光が、なおも獲物を求めるかのように不規則な円を描く。その様子を、攻撃を放った当の本人であるナナが呆けたように見つめていた。

「え、と。これって……」

『ナナ、走れ!』

 ヴァルガが叱責する。当時に、雷光を振り払った黒髑髏がまっすぐにこちらへと突進してきた。軽石を打ち合わせたようなかちかち、という耳障りな音が急速に近づいてくる。

 咄嗟のことで動けないナナに代わり、ヴァルガは右腕を掲げて防いだ。衝撃が全身に伝わり、ナナとヴァルガは二回転三回転と後ろに吹き飛ばされた。

 俯せのまま目を白黒させるナナに向かって、ヴァルガは再び声を荒げる。

『奴の目はこっちに向いてるんだ。鋳魂炉から引き離す絶好の機会だろうっ。まずは戦える場所まで奴を誘導するんだ。だから起きろ、ナナ!』

「くっ……!」

 すぐ脇で爆発。地面に黒髑髏の翼がめり込み、新たな陥没地帯を作っていた。

『おい、お前たち!』

 ヴァルガが叫ぶ。それは呆然と事の成り行きを見ていた戦人に向けてだった。突然の、しかも聞き慣れない声に彼らがぎょっとする。

『俺たちがこいつを引きつける! その隙を狙え!』

「きゃああっ」

 身体をひねりながらナナが悲鳴を上げる。至近距離まで接近してきた黒髑髏が怒濤の攻撃を仕掛けてきたからだ。小技が苦手なナナは、避ける技術にも秀でてはいなかった。

 がっしりと四肢を捕まれる。眼球のない髑髏が眼前にあった。

 身体が動かせない。ゆっくりと黒髑髏が顔を近づける。

 かちかちかち……黒髑髏が口蓋を細かく震わせた。

 ひぐっ、とナナが喉奥で悲鳴を押し込むのがわかった。ともすれば剣を放り出しそうになる彼女の意識を、ヴァルガは必死で包んだ。大丈夫だ、まだ諦めるな。

(素晴らしいぞ)

 それは、間違いなく黒髑髏から発せられた声――思念の声。

(この短期間でよくここまで戦闘意欲を湧き上がらせたものだ。お前と共に在った私も嬉しいぞ、相棒よ)

『な……っ!』

 絶句する。かちかちかち、という音が、表情のないはずの髑髏を高らかに笑っている顔に見せている。ヴァルガは叫んだ。

『貴様、(幻聴)か!?』

(いかにも。なかなか久しく感じる。相棒)

 戸惑うナナをまるで無視して、黒髑髏――(幻聴)は言う。

(なかなか面白いことになったと思わないか。私はすぐにわかったぞ。姿は変われど、その精神、その魂の波動は私にとってとても馴染み深い。だが残念だ。てっきり相棒も同じかと思っていたのだが)

『……相変わらず意味のわからないことを言う奴だっ』

 渾身の力を込めた右腕で(幻聴)を振り払う。ヴァルガの意をくみ取ったのだろう。拘束が緩んだ隙に、ナナは脱兎のごとく駆けだした。

『いいぞ。適当に引き離せ。味方が追ってこないと話にならない』

「ヴァルガさん……今」

『悪い。その話は後だ』

 嘲笑が聞こえる。(幻聴)が声なき声で嗤っているのだ。



(さあ、前夜祭だ)


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