第五章 帰還(えらばれ)ノひと
畏敬の念を顕(あらわ)すとき、どのような態度を取るべきか――それは人間界でも鋳魂界でも基本的には変わらないのだと、ヴァルガは初めて知った。
彼とナナの周囲には、生き残った数十人の戦人たちが控えている。みな、一様にある方向を向いて頭(こうべ)を垂れていた。ヴァルガもまた、ナナの意志を汲み、戦人と同じ姿勢を取ることに黙って従っている。
彼は初めて目にした『その場所』を、そして『その人』を、呆然と眺めていた。驚きもある。戸惑いもある。だが本来抱くべき感情が、人間であるならば当然に取り付かれるであろう激情が、一向に浮かんでこない。その事実に、ヴァルガは半ば呆然としているのだ。
ここは鋳魂炉最奥部、通称『繋がりの扉』と言われる場所である。
橙色に輝く床も、家具のひとつもない半球状の空間も、ヴァルガはいまだかつて見たことがない。衝撃の光景だった。
そして何より――奇妙な靄が覆う天井、そこに浮かぶ一人の少年の姿が、その瞳が、ヴァルガの心に強烈に訴えかけてくる。少年にしては髪が長く、人間で言うなら十二か十三になろうかという幼い外見の彼は、今、戦人の畏敬を一身に集めていた。
そして少年は先ほどからずっと、深紅の瞳をヴァルガとナナに向けているのだ。
ただ見ているだけである。
ただそこに居るだけである。
なのにこの威圧感、存在感はどういうことか。
あれが――ヴァルガは思う。
あれが、あの少年が……『魔王』。
俺たち人間の、宿敵。
「報告を聞こうかな」
身体のほとんどを覆う布(マント)をわずかに膨らませながら、魔王はゆっくりと降下してきた。口調は、多少大人びた性格の子どもといったところか。不釣り合いだ、とヴァルガは奇妙な感想を抱いた。
ヴァルガさん――ナナが心の中で語りかけてくる。
お願いですから、勝手に暴れないでくださいね。
『……するか、阿呆』
思わずつぶやく。耳聡く聞きつけた戦人が何人か、こちらを見た。ナナが愛想笑いを浮かべる。ヴァルガは憮然とした。
戦人のひとりが進み出て、報告を行った。
黒髑髏との戦闘、その結果である。
「我々はこの……七の息女の助力により、敵対者の排除に成功しました」
どこか歯切れの悪い口調で切り出す戦人。無理もないかとヴァルガは思う。
七の息女――ナナは、彼ら戦人から疎んじられた存在であったのだ。いくら難敵を打ち倒す功を上げたとは言え、これまでの扱いからどう変えていけばいいのか戸惑っている者も少なくないだろう。
しかし、その点についてヴァルガはあまり心配していない。それは、彼らが戦闘終了後に向けてきた真摯な表情が物語っている。彼女を見る目は、すでに変わりつつあるのだ。
問題は――
「それで、敵の痕跡は回収できたのかい?」
「いいえ。奴は跡形もなく消え去りましたので」
答える戦人の声色から、彼が言いようのない気味悪さを感じていることが伝わってくる。
あの瞬間。ナナの剣を始めとした皆の攻撃が、黒髑髏を確実に捉えたとき。爆音の後に残っていたのは、陥没した大地、ただそれだけだったのだ。
黒髑髏が持っていた岩剣も。
背に広げていた黒翼の残骸も。
指先一欠片の骨に至るまで、綺麗に、文字通り跡形もなく消滅していたのだ。
強敵を打ち破った喜びで、一度は全員で抱き合ったものの、こうして鋳魂炉に帰還し、いまだ残る戦いの傷跡を見るにあたって、この呆気ない終焉が、その場にいた全員の心にしこりを生む結果となったのである。
魔王は、鷹揚にうなずいた。
「そうか。報告ご苦労様。すぐさまここの修復に取りかからせる。すでに必要な人材は呼び寄せてあるから。……どうしたんだい?」
「あ、いえ。何でもありません」
一瞬唖然とした戦人は、すぐに表情を引き締めた。
「では我々も、本来任務に戻ります。すぐにここを発ちますので――」
「いや。君たちはしばらく別室で待機だ」
今度こそ、はっきりとわかる困惑の表情を浮かべる戦人。彼らの言わんとしていることを察し、魔王は薄く笑みを浮かべる。
「慌てなくてもいいよ。私だって現在の状況は理解している。君たちが一刻も早く修復用の活力を確保しようとしていることもね。ただ、君たちにはまた別の、重要な任務を任せたい。そのときが来るまで、十分に傷を癒して欲しいのだ」
そこまで言われては返す言葉がないのか、彼らは深々と一礼すると、大人しく部屋を出て行った。その様子を、ヴァルガは唖然として見ていた。