小説『鎧ノひと【全77話 完結】』
作者:wanari()

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 第六章 前哨(まえぶれ)ノひと




 何だ。

 何が起こっているんだ。

 目の前に広がる大平原。並び揃う槍の穂先。自分を射る険しい視線。

 彼らが装備する鎧は、かつてヴァルガもその身にまとっていたものだ。シュティセア軍が正式配備する軽鎧――彼らは間違いなく、決死の抵抗を誓い集った人間たちの集団だ。

 それが、何故、自分たちに牙を剥いているのか。

 いや、わかっている。彼らは自分たちの使命を果たそうとしているだけだ。けれど、そう。何故、今、この場なのか。

「ヴァルガさん、二の研者さんがっ」

 ナナの声に我に返る。背後を見ると、ぼろぼろになった黒の布(マント)をかき抱きながら、二の研者がうずくまっていた。激しく震え、激痛に耐えている様子がわかる。

「き……にしないでくれ、たまえ……。予想できていたことだ。すぐに……よくなる……。何なら、私の様子を……き、記録してほしいのだが、ね……」

『こんなときに馬鹿を言うな』

「とにかく、すぐに休ませてあげないと」

 ナナが焦りの声を上げたとき、地響きが起こった。

 万を優に越える人間たちが、一斉に進軍を始めたのだ。

「ひっ……!」

 たった三人――人間たちにしてみれば二人――を相手に、無数の槍衾(やりぶすま)が巨大な波となって襲いかかってくる。後方からは弓の一斉射が始まっていた。光も見える。天術まで練っているのか。ヴァルガは心の中で叫んだ。

 二の研者を抱えろ、ナナ! 逃げるぞ!

 え、え!? でも、あれは人間の皆さんで……ヴァルガさんは。

『話の通じる状況か馬鹿っ!』

 ヴァルガは怒鳴った。ヴァルガもあそこにいたからわかる。軍というものは、一度動き出せば簡単には止まらない。いや、止まれない。最前列にいる連中の血走った目を見れば、なおさら明らかだ。

『ちくしょう!』

 ここにきて、理解してしまう。

 自分たちはどうやら、最悪の機(タイミング)に、最悪の場所へと降り立ってしまったのだと。

 いまだ震えの止まらない二の研者を抱え上げ、ヴァルガとナナは走り出した。力強い踏み出しが雑草の生える土を抉る。鎧の力があれば、いかな大軍であろうとも振り切れると考えたのだ。

 しかし二十歩も進まないうちに、彼らは足を止めた。

 その眼に、再び信じられない姿を捉えたからだ。

 地平線が見渡せる丘のふもとに、いくつもの影。広大な平原の中でも決して小さくはない規模の彼らは、そのほとんどが人の形をとっていなかった。あるものは四つ足で歩き、あるものは上半身を異形に変化させ――

『魔獣……だと』

「おかしいです。今、人間界にこれだけの数の戦人がいるなんて聞いたことありません」

 ナナが呆然とつぶやいたとき。

 魔獣の群れもまた、ヴァルガたちに向かって一直線に突進してきた。彼らの体表面に走る紫電のきらめきが、あたかも地表に蠢く大蛇のごとく迫ってくる。

 ひゅん、とヴァルガたちの脇を矢がかすめる。地に突き刺さった矢は瞬く間に数を増やしていく。

 前方には正体不明の魔獣。

 後方にはシュティセア軍。

「い、一体どうしたら」

『く……』

 刻一刻と迫る激突の時。砂煙が、地響きが、怒声が、ヴァルガたちを痺れさせる。

『ナナ、走れっ! 後ろだっ』

「え、えっ!?」

『人間たちの中へ突っ込め!』

 咄嗟に叫んだ。すでに人間、魔獣双方によって周囲は囲まれている。ならば、すこしでも生存の可能性が高い方へ賭けるしかない。自分たちの『今のこの姿』を信じるのだ。

 二の研者を胸にしっかりと抱き、ナナは踵を返した。猛烈な勢いで、槍衾のただなかに真正面から突っ込む。予想外の動きに虚を突かれ、兵列にほころびができる。その間を縫い、ヴァルガたちはさらに陣の奥へ奥へと突き進んだ。

 お前は今、曲がりなりにも人の姿を取っている。戦場で興奮している兵の中なら、うまくすれば紛れ込めるかも知れない。機を見て、脇から離脱するんだ!

 は……はいっ!

 身をかがめ、兵の視線に晒されないようにしながら、それでも、怒濤の進軍の只中を逆走するのは容易なことではなかった。兵の一人に蹴り上げられ、姿勢を崩したところに次々と兵に押され、ついには膝を突いてしまう。

 二の研者を守れ! 踏み殺されるぞ!

 大地に伏せると、その振動がより直接的に伝わってくる。時折激しく揺れるのは、騎馬が駆け抜けているためか。たとえ巨体を押し返す力をこの鎧が秘めていようと、触れた空気に染みこむ戦いの臭いを無視はできなかった。身体が動かない。動かせない。

 ……一番てっとり早いのは、敵味方関係なく暴れ回ることだ。

 ふと、ヴァルガの脳裏にそんな考えが浮かんだ。だが、駄目だった。あれほど戻りたかった人間界で、あれほど会いたかった人間たちに牙を向ければ最後、自分が自分でなくなってしまう強烈な不安があった。

 そしてヴァルガはまた、魔獣たちを、鋳魂界を知ってしまったのである。彼らをただ闇雲に退けることなど、今のヴァルガにはできなかった。それに――魔獣に立ち向かうことはすなわち、ナナにそれを強要させることを意味するのだ。

 ナナが小刻みにむせぶ。魔獣化していたときには感じていなかった現実的な恐怖が、彼女を苛んでいるのがわかった。二の研者は、彼女の腕の中でなお辛そうに身を固めている。

 どうして、こんなことを。

 ヴァルガは心の中で、強く唇を噛みしめた。

 人間は、ただ怯えているだけで。

 鋳魂人は、ただ平穏に暮らしているだけで。

 なのに、どうしてっ。



『変えてやる……』



 ヴァルガが漏らすその声に、ナナが瞑っていた目を開く。

『人間と鋳魂人が争うなんて……こんな馬鹿げた状況、絶対に変えてやるんだ!』




「まさかこんなところで、そのような台詞が聞けるとはな」



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