小説『鎧ノひと【全77話 完結】』
作者:wanari()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

「おお、ふたりとも、ここにいたか。……む。あの女はいないか。そうかちょうど良い!」

「二の研者さん。もう起きても平気なんですか?」

「うむ。心配をかけてすまなかったね」

 よかった、と笑うナナの一方、ヴァルガは声を落とした。

『……鋳魂人にとって人間界の空気は猛毒じゃなかったのか。いくらお前であっても、この街中で魔獣化されたらさすがにかばいきれないんだぞ』

「ヴァルガ君、その点も大丈夫だ。むしろ今日は、その説明をするために来たのだからな!」

 二の研者はすこぶるご機嫌だった。つい二日前まで死にかけていた人物とは思えない。ヴァルガは嫌な予感がしながらも、とりあえず、黙って耳を傾けることにした。

「長くなりそうですね。お茶、淹れてきます」

 うむ、と大きくうなずく二の研者。微笑みながら、ナナは湯を作り始めた。壺に入っている熱石を水差しに入れる。じゅお、という音が部屋に響いた。ヴァルガも無意識のうちに右手を添え、手伝う。

「さて。まずは魔獣化について講義しようか。なぜ私が人の姿を保っていられるか、だ」

『そういう処置をしたから……とか言うんじゃないだろうな』

「無論、それもある。私自らが実験台となった、最新の研究成果だ。長くなるので内容は敢えて省くが……聞きたいかい? 聞きたいかい、ねえ?」

 鬱陶しい……とヴァルガは思った。

「まああれだ。この身に施した処置も、私の仮説を立証するためのひとつの布石に過ぎないのだがね。驚きたまえ。人間界は毒ではないのだ。魔獣化など、本来ならば百にひとつ……いや、万にひとつにしか存在しないということなのだ」

 二の研者は断言した。これにはナナも思わず手を止め、二の研者を振り返る。

「そ、それってどういうことですか?」

「結論から言えばだね。我々が魔獣化するのはすべて、あの封印の力だということだよ。これを見たまえ」

 そう言うと、彼は懐から小さな小瓶を取り出した。以前、繋世の道を通る前にヴァルガたちが預かったものとよく似ている。

 二の研者が瓶の蓋を開けると、中の液体が飛び出してきた。短く悲鳴を上げるナナの前で、液体は無数の水泡となって宙に浮かぶ。よく見ると、そのひとつひとつに何かが浮かび上がっていた。

「まだ名付けてはいないが……仮に記録装置とでも呼んでおこう。これも私が作ったものだ。身につけているだけで、周囲の情報を次々と記憶してくれる」

「はあ……。でも、映っているものはばらばらですね。絵もあるし、文字ばっかりなのも」

「私が所持していたのは急場凌ぎのものだったからね。指向性がないのさ。肝心な情報は所々欠落しているしね」

 そう言われても、何が足りなくて何が余分なのか、ヴァルガにもナナにもわからない。そもそも何が記載されているかすら理解できないのだ。

 二の研者は水泡の内、文字ばかりが浮かんだひとつを指さした。何桁かの数字が羅列してある。

「注目してもらいたいのは、これだ。簡単に言えば、今この場にある活力の量や質を表示したものだ。ああ、ヴァルガ君。君にも読めるようにしてあるから、大丈夫だね? さ、問題なのは……そう、ここ。我々を魔獣化させるほどの要素は微弱しか観測されていない」

 続いて二の研者は、近くに浮かんでいた別の水泡を指さした。

「これも同じ種類の数値を表示したものだ。違いが分かるね?」

「まあ、その。桁がすごく違うということぐらいしか……」

「これは封印を通る瞬間の数値を記録したものだ」

 ヴァルガとナナは息を呑む。二の研者はうなずいた。

「そう。これまで我々は人間界の魂をそのまま身に取り込んだが故に魔獣と化したと考えていた。しかし、実際は我々が通ったあの封印にこそ、鋳魂人を魔獣化させる最大の原因があったのだ。逆に言えば、この封印さえ何とかしてしまえば、鋳魂人は魔獣化の恐怖から解放されるに違いない」

「す……すごい! すごいじゃないですか大発見ですよっ。ね、ヴァルガさん!」

『そう、かな』

 興奮するナナにヴァルガは水を差した。確かに鋳魂人にとって人間界がそれほど危険な場所ではなさそうだということがわかったのは、大きな前進だろう。だがどちらにせよ、封印が邪魔になっていることには変わりないのだ。

『俺たちがいくらここで騒いでも、鋳魂界の状況は変わらないんだ。どう『何とか』するのか、それがわからなきゃ……』

 自らに言い聞かせるようにつぶやく。部屋中に浮かんでいた水泡をしまい込んだ二の研者は、さもありなん、という表情を浮かべた。

「はるばる人間界へ来たかいがあった。これこそ、私が生涯をかけて研究する命題にふさわしい。そう、ヴァルガ君の言うとおり、もっとも重要なのは理論ではなく結果を出すことだ。ということで、さあ」

「……はい?」

 差し出された手に首を傾げるナナ。まるで玩具(おもちや)をねだる子どものような表情を二の研者は浮かべている。

「はい、ではないよ。持っているのだろう? 繋世の道に入る前、私自ら君たちに渡しただろう。あの小瓶だよ。あれの中身は正真正銘の完成品だ。私がその場凌ぎで作ったものとは性能が違うのだよ」

 ああ、とヴァルガとナナはうなずいた。ナナが左手で懐を探る。



「……あれ?」



「……ん?」

「ええっと。ないです」

「……なに?」

「ない、です。え? え? どうして、ちゃんとここにしまったはず……ヴァルガさん、そっち探してもらえますか? 胸元とか腰とかお尻の辺りとか、その辺に」

『……人として気が引けるんだが』

「ごほん。君たち、何をさっきから話しているのかな?」

 笑顔はそのままに、見事な青顔になる二の研者。そして空気を読まないナナは、ごくごく正直に答えた。

「ごめんなさい、二の研者さん。なくしちゃったみたいです。あ、あはは……」

「何ですとぉぉぉぉっ!?」

 ひい、とナナが悲鳴を上げる。細腕からは想像ができないほどの膂力をもって二の研者が彼らを締め上げる。

「ききき、君たちっ。あれがどれほど大事なものか、まさか理解していないとでもいうのかね!? あれは、あれはね!」

「ごめんなさい、ごめんなさいぃぃっ」

「こうしちゃいれらない。急いで探さねばっ。万が一破損でもしていたら大事だ。私の研究がすべて無駄になりかねん!」

「あああ……、探します。探しますからぁ!」

 血相を変えた二人は、さして広くない部屋の中を走り回り始めた。「あるか?」「ないです!」というやり取りを、何故かこの部屋に来てから一度も使ったことのない箪笥の前で繰り返す。

「こぉこぉかぁーっ!」

『やめろ』

 気合一発、床板を引っぺがそうとする二の研者にヴァルガは言った。

『……お前ら、曲がりなりにも人様から借りた部屋だぞ。も少し常識を持てよ。というか落ち着け。頼むから』

「何を暢気な!」

 二の研者が叫ぶ。ナナはナナで壺に手を突っ込むことは止めたが、不安そうな様子は隠さない。ヴァルガは頭を抱えたくなった。

 そのとき、部屋の扉が叩かれた。かなり乱暴な仕草だ。

『ほらみろ。怒られた』

 と、ヴァルガが窘めると同時だった。扉が開かれ、一人の女が無断で部屋に入ってくる。これにはヴァルガも面食らった。

「あ」という三人の声が重なる。

 全身を一枚布で包んだその女性は、ヴァルガたちをこの場所へと連れてきた張本人――アデルだった。



-46-
Copyright ©wanari All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える