小説『かいきき』
作者:喰原望()

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 慌てて顔を上げて息を吸う。窓を閉め切っているせいで濁っている空気でも、酸素は分け隔てなく僕に供給される。頭が軽くなる感覚。ふっと遠のいた意識を手繰り寄せて、今度こそ仰向けになった。
 天井。
 あるいは、僕自身の限界みたいなものなのかもしれない。牙城は脆く、いともたやすく壊れてしまうのに、誰も壊そうとしないから。僕も含めて。
 ずっと、ここから出られないのだろう。
 きっと首にはゴム紐か何かが括り付けられていて、よしと意気込んで外に出れば、その分だけ強くこの部屋に叩きつけられる。力めば力むほど、力を抜いたときに苦しくなる。力を抜けずに苦しくなる。そうして大人しく自室に戻る僕は、疲弊し、辟易し、ベッドに飛び込むのだ。
 いつからか、見たこともないものが怖いと感じるようになった。昔、恐ろしいことに十年以上も経っているらしいが、小学生の頃。好奇心は人並みにあった。近所の雑木林に入り込んで怒られたこともある。
 全部が全部、楽しかったのだろう。小さな冒険は勿論のこと、その後に待ち構えている長ったらしい説教でさえも。
 いやにみじめなことだけれど、僕のことを怒る人間なんてもういない。両親は共に存命だし、妹もすぐ隣の部屋で寝起きしている。僕自身が、巧みな隠蔽工作を行っているわけでもない。ただ、もう怒られることはなくなった。
 怒られる内が花だなんてよく言ったものだ。
 ともかく、それも含めて、僕は幼い頃の諸々を失ってしまった。今は部屋の暗がりですら恐ろしく感じて、まともに目を向けられない。向けた途端に、そこにいるのだと気付くのは、僕自身であろう。
 認めざるを得ない。僕自身は僕自身のこの体たらくを認めなければならない。認めた上でどうにかしないと。どうにかなってしまう。
 どうにかしなければならないことは分かっている。明日にでも、この部屋から出て、今までの緩慢な生活が嘘みたいに感じられるほど、働き始めればいい。だが、それが出来ない。
 誰も牙城を、檻を、壊してしまおうとも思わないのだから。

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