小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【結城ヒカルに関するレポート3 宴】


こんな夢を見た。

大学に向かう道すがら、
むこうから歩いてくる人のうち半分くらいが赤い風船を握っている。
風船を配るようなイベントでもやってるんだろうか?
ボクは歩を進める。

赤い風船の列は大学構内をただ通りぬけていただけで、
彼らはもっと遠くから来ているようだった。
ボクは彼らの来た道を追いかけてそのまま大学を通り抜けた。

ゆるい坂道を歩き、住宅街で時折犬にほえられる。
公園で緑の匂いのするクローバーを踏み、蓮咲く池のみなもを渡る。
人はもう誰も歩いてなくて、ぽつりぽつりと風船だけが風に流れてくる。
廃材置き場のクレーン車を登り、
無造作に並べられた石材に腰掛けて少し休んだ。
ほこりっぽい砂利道を、夕やけに傾く林檎畑のあぜ道を、ボクは歩く。
風船にいざなわれるままに。


いいかげん何の為に歩いているのかも忘れかけたころ、
暮れきった海に着いた。
澄みきっているのに底の見えない、いくつも惑星の浮かぶ海。
体育館ほどのいかだを浮かべて誰かたちが宴会をしてるみたいだ。

いや、「誰か」というのか、「何か」というのか――
だってそこで宴に興じていたのは、狐や化け猫や鬼女なんかだったから。

山積みにされた食べ物の中にはスイカほどの大きなザクロがあって、
ぐわっと割り開かれた口からぷうっと風船が生まれては流れて行った。


小さな波紋を立てながら海を歩いてきたボクを
九つの尾を持つ狐が振り返る。
「やあ、ヒカル。いらっしゃい」
にこやかなその声は友人豊穣サファカくんの声そのものだった。

「やあ……。今晩は」
「まー座りなさいよ、ヒカルちゃん」
手招きする鬼女は豊穣ダキニ先輩だろう。
トレードマークのドクロアクセサリーだからすぐわかる。
玉虫色に光る瞳がいつも以上のエロカッコよさをにじませている。

「結城クン!来てくれたんだァ」
大きなイタチがきゅるきゅると笑ってくれる。声は桐崎恣意。
その横で二匹の子イタチが不思議そうにこちらを見ている。
「Cちゃん、それ弟?三兄弟の長男ってほんとだったんだ」
「ナニソレ。信じてなかったの?」
「いやぁ……あんまり長男臭しないから……」
「ガキだって言いたいワケぇ?
 まーイイけど。
 これ、黒っぽいほうが我意、白っぽいほうが末っ子の他意」
「初めまして。よろしくね」
二匹はきゅるきゅる言いながら僕の周りをまわって
Cちゃんの後ろにまた隠れた。

「よう、久しぶりだな。またそこらで変なのひっかけてるんだろう」
「久しぶりにかける言葉がそれですか」
くっくっと笑う背の高い黒の猫又が、たぶん船曳コラル先輩。
定番のボーダーTにパーカーは相変わらずだ。

きれいな藍の切子グラスが渡され、果実酒がなみなみ注がれる。
夜空に並んだ三つの月が僕らの影を複雑にする。
酒は飲んだことのない味だったけど甘くて美味しかった。


ダキ姐の
「ちょっと聞いてよお!サファカが勝手に
 ヒトを『時越え』させたせいであたしまで怒られたのよ!」
という愚痴から
コラル先輩の
「おかげで運び屋としちゃ儲かったけどな」
という茶々、
サファカくんの
「だって今でも殺せる人間を
 わざわざ時を遡って殺したいだなんて、興味深いじゃない。
 僕らなら叶えてあげられることなんだしさあ」
という楽しそうでのんきな笑い声。
「バカ!今回はナラトス様のご機嫌取りで済んだからいいけど
 ヨグソトス閣下の耳に入ったらどうしてくれんのよ!」
ダキ姐は尻尾の一本を思いっきり引っ張り、
さすがのサファカ君もギャンッと悲鳴を上げた。
なんかよくわかんないけど、まあ、楽しそうだ。


何杯飲んだろう。
ふわふわしてきもちいい。
たぷ、とぷ。波がいかだを揺らす音も心地いい。
そういばこの海は磯臭いにおいが全然しないな。
これだけ透明なら当然だろうか。
そんなことを思ったころ、サファカ君がつぶやいた。

「……しかし、僕らにもまだまだ不思議だと思うことがあるもんだねえ。
 ヴィネのシノニムが双成りとはね」

びく、とする。

「なんの……話?」
「ヒカルのことだよ。あんたそうだろう。
 両性具有、半陰陽、インターセックス、
 アンドロギュヌス、ヘルマフロディトス、
 ……なんでもいいけど」

金色の目がこっちをじっと見つめている。
それはなんでもなく、ただ優しかった。

「サファカ君には叶わないなあ……」

別に、隠したいわけでもなかった。
ただ世の中には男と女しかいないことになっている。
胸も膣穴もあるけど子宮は不完全、卵子が作れなくて月経も無い、
陰核はいびつに肥大した奇形でまるで幼い男性器みたい、
そんな変な生き物は存在しないことになっている。
女だと言っておけば大抵のことがスムーズに運んだ。戸籍もそうなってる。
それだけだ。

「ただでさえ甘ったるい匂いが人を呼ぶのにね。
 それじゃ男も女もなく釣れてきちまうだろう」
「もう慣れたよ。なんていうか、閉じることを少し覚えた」
「へえ、コントロールできるのか!レベルの高いシノニムだ」
「シノニム(類義語)……?」
「シノニム(類位体)。
 ほら、世の中自分とそっくりなのが三人は居るとか言うでしょ?
 波長が一卵性双子みたいに全く同じ奴らをアイソトープ(同位体)、
 兄弟親戚くらいの似方の奴らをシノニム、とうちらは呼んでる。
 顔や性格じゃないよ。波長だ。わかるかな」
「……なんとなく」
「ヒカルはね、ヴィネ(媚音)って名のサキュバスのそっくりさんだ」

海に浮かぶ惑星たちの中、木星によく似た星の表面に、
大きな渦巻きを見つけた。
今日は台風、なのだろうか。
あの中で降った雨はどうなるんだろう。
この海に流れ出してしまわないかな。
それともちゃんと彼自身の中にとどまって循環するかな。
台風は音もなく縞模様にそって渦巻きながら移動していく。

「ヴィネ……さん、かあ。会えるかな」
「ヒト好きの奴だからね。そのうち会いに行くんじゃないかな、夢に」
「ははっ。ヴィネねえ、ダキ姐と似たような感じサァ。
 綺麗なネーさんだけど強欲だから喰らいつくされないようにねェ」
「失礼ね!あたしそんなことしないわよ!」
「ねえ、サファカ君にもその、シノニムはいるの?」
「ああ……いるよ。
 ちゃんと会ったことはないが、遠くから見たことならある」
「へえ。どんな人だろ」
「きっとサファカに似てひねくれたガキよ」
「ハハハ、そうかも」


九尾狐、鎌イタチ、猫又、鬼女。そして、夢魔サキュバス。
食べても減らない料理、飲んでも減らない酒。
天体の浮かぶ海と、星空に浮かぶ三つの月。
どこでもない場所。

なにか――大きななにかを、ボクは知ってしまったのだろうか?


怖くなってボクは訊ねる。
「あのさ、サファカ君、ちょっと訊きたいんだけど」
「いいよ。だがひとつだけだ」
彼はボクの言葉を予測していたかのような速さで即答した。

ひとつ、だけ……

「ようく考えな。わかるはずだよ」

金色の目が値踏みするように光る。
全員がこっちを見ていた。

ボクは……質問を、搾った。

「えっと……ま、また、会える、よね?
 これでお終いなんてこと……ないよね」

狐はバサリと尾を横たえ、
そして微笑んだ。満足そうに。

「ええ。いつでも会えるよ。呼んでくれれば会いにいく。
 一言でいい。」

裟覇華呼(safacaria)と。


「キミの夢に会いにゆくよ」


ああ、そうだ。それでいい。大事なことは、それだけだ。


 × × × × × × × × ×


――長い夢を見ていた。
赤いざくろの風船と、星の海の宴と、金色のけもの。
何か大きなことをそこで知ったと思うのに、
それがどんなことなのかは思い出せない。


まあ、いいか。

思い出せないようなことは所詮その程度のことなのだ。


ならば、唯一覚えている、意味もわからない「これ」は
すごく大事なことなのだろうか?

ボクはつぶやいてみる。


「さふぁか、りあ」


――よく、わかんないや。


さて今日はモデルのバイトの日だ。
ずっと同じポーズで動いちゃいけないから
体中ギシギシ痛む、まあまあ体力のいるバイトだが
実入りはかなりいい。
約束の時間まで、あともうひと眠りしよう。

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