小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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 思索を巡らせる内、思い至ったのがその考えだった。『リコス・ヴェイユ』という人間もまた、超人的な能力を持つという夜明け団の一員――その可能性も、十分にある筈だ。
 だが、エニスはその考えを『あくまで否定するかのような』息を吐くと、乱雑に積んであった足もとの資料の山から適当な1枚を引っ張り出し、それをアシエへと向ける。
「……診断書、ですか」
 薄暗い部屋の所為ではっきりとは見えないが、向けられた紙面には恐らくそう書かれていた。積まれっぱなしだった資料にしてはまだ紙に皺がいっておらず、それが比較的新しいということを証明している。
「そう、診断書だ。彼、リコスのね。……これを見てみると確かに彼の腹部には、結晶器による弾痕がはっきりと確認されていたようだ。内蔵を貫通、背中まで一気に刺し貫いた結晶器の弾丸。だが彼は、何の後遺症も無くそれを僅か1週間ほどで治癒させている。……可笑しいと思わないかね?」
「……結晶器による弾丸は、要するに結晶放射を凝縮、固形化して発射される、謂わば毒の塊……もしもそれが人体を貫通すれば、大量の結晶放射が傷跡に蓄積、そこから肉体を腐食させていきます。例え私達のように組織改造を施されているとは言っても、限度がある。ましてや結晶放射がそのままの濃度で血液中に流動しようものなら、高い毒性と即効性で腐食が完全に進む前に死に至る筈です」
 このセフィロトに無数と存在している固形物質、結晶放射は至極高い毒性を誇る。此処『機関』では、それを液体化して兵器利用する実験も成されているようだが、話によれば僅か数滴を実験用の愚者に投与しただけで、その個体は1時間足らずで死に至ったらしい。
 擦過傷や刃傷、これ等は肉体の内面を晒し、空気中の結晶放射を確かに体内へと入り込ませる危険な傷だ。だが、新人類の体組織は、外からの進入にはめっぽう強く作られている。内部に侵入したそれについても少量なら問題なく駆除出来るが、絶対的な許容量が外からに比べて遥かに劣る。精々、食物を摂取した時、必然的に入ってくる結晶放射を完全に駆除出来る程度だろう。

 だからこそ、この話は可笑しいのだ。そんな驚異的な毒性を誇る≪結晶放射≫の密集で作られた弾丸を内臓にまで受け、それを後遺症も無しで完治させるなど、普通あり得る話ではない。

「流石、その歳と性別のハンデをも乗り越え、名誉ある小隊長にまで上り詰めた君だ。肉体だけでなく、知識までそこまでとは。男性ならば隊長にでも就任させてやるのだが、何せ他のものに示しがつかんでな。そこは我慢して欲しい。……と、褒めるのはここまでにして、本題だ。リコス・ヴェイユは誰をも凌ぐ完治能力を持っているということは理解したね」
「ええ、そこは。……しかし、それだけで彼を夜明け団と断定するのは難しいのでは無いでしょうか。確かに彼は身体能力、判断力や行動力と言った意思的な力、それに治癒能力まで常軌を逸しています。ですが、以前私が立ち会った血液検査で、体内組織に異常は見られませんでした。私達新人類と同じく、改変された体組織を持っています。これでは、絶対的証拠がありません。それに……リコスは貴方が雇用したのでしょう、機関長。そこら辺の事情は知っているのではないですか?」
 それが、アシエが怪訝に思っていた事だった。リコスは『機関長に雇われた』と言っていた。それに、彼の存在を黙認していた以上、エニスもまたそれを認めているのだろう。ならばその関係上、雇用する側が相手の事情も知らないと言うのこそ、最も可笑しい話ではないか。

 食って掛かられたエニス本人は暫しの間考え込むようにして渋面を作り、思索の喘ぎを漏らしていたが、

「いや、悪いな。実は噂だけで雇った人材なんだ。何せ、巷では中々腕のいい仕事屋として知られていたからね、そういった優秀な人材を引き入れれば機関全体の強化にも繋がるという目論見だったんだ」

 やがて開き直ったような笑みを浮かべ、恥ずかしげも無しにどう考えても思いつきの台詞を口にした。その言葉に込められた音の残響が、完全に消え去るまで、沈黙の時間が訪れる。
「ん、あぁ……機関長?御用が済んだのなら帰らせていただきます。それでは失礼致します」
「え?……あ、ちょっ」
 まだエニスは何かを告げようと口唇を震わせていたが、アシエがそれを完全無視して踵を返す頃には、諦めたように息を吐いていた。
――機関長たる者が、こんなので大丈夫なのかしら。
 最後にアシエは聞こえない程度の声量でそう呟き、重く冷たい銀灰色の鉄扉を押し開けた。

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