小説『崩壊世界の黙示録』
作者:むぎこ(海辺のバクダンりんご)

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 体の節々が痛む。目を開けようとしても、指先を動かそうとしても、まるでその行為自体を体が拒絶しているかのような激痛が奔る。
 意識と体の乖離。昔から、大怪我を負って昏睡する時はいつもそうだった。刻まれた傷を癒しても、意識を取り戻せるまでに数ヶ月は時間を要する。
 だが、結局どこかで目が覚める。そのまま永遠の眠りに就きたくても、運命と言うべきか――世界がそれを許してくれない。
「……?」
 声が聞こえた気がして、青年――リコス・ヴェイユは反射的に寝返りを打つ。否、打つことが出来た。
 続いて、指先を動かそうと試みる。やはり、両手の5本指は思い通りに動かすことが出来る。ならば足は?体は?やはり、全てが普段と同じように、思い通り動かすことが出来た。
『リコスさん!起きてください!』
 誰かの叫びが、覚醒したての鼓膜を震わせる。聴覚の覚醒を確信したところで、リコスは遂に目を開けようと瞼に力を注ぐ。
「……眩しいな」
 目を開けるなり、途端に激しい光がリコスの瞳孔を捉えた。しかしそれも一瞬の事ながらに、視界は直ぐに周囲の明るさに順応していく。人間にしては、脅威の速度で。
 今、見上げているのは真っ白な壁だった。取り付けられた蛍光灯の白光がちらちらと明滅しているその壁は、今の体勢からして恐らく天井だろう。
 次に印象的だったのは、特有の薬品臭さ。鼻を突くようなその臭いは、病院や他の藪医院などで嗅いだ事がある臭いだ。
 そして眠る前、最後に見た光景は――あの少女の、情けの無い顔。あの時体を支配していた激痛は、今でも鮮明に思い出すことが出来た。
――が、問題はそこではない。薬品の香りに乗って空気を汚染しているのは、いつもと違い結晶放射だけでは無さそうだった。
「血……かな」
 確かに、覚えのある血液の鉄っぽい臭いが空気に混同している。何事かは知らないが――恐らくは、荒事の類が今この病院で起きている。でなければ、病院と言う施設でこの騒々しさはあり得ない。
「!リコスさん、良かった、起きたんですね!」
 リコスが上体を起こすなり、それを見た看護婦が1人、急ぎ足で駆け寄ってくる。声のトーンからして、先刻聞こえていたのと同一人物のようだ。
「何が起こってるのか、要所だけで説明してくれないかな。……無駄なお喋りは自殺行為だ」
 取りあえず、状況把握から始めなければ何事もままならない。もしも襲撃だった場合の対抗手段は――と考え、履かされている翡翠のズボンや上着のポケットに手を突っ込み、そこに結晶器がない事を確認すると、リコスは小さく舌を打った。
「院内に愚者の大群が押し寄せてきました!警備兵も丁度休憩に、街へ出ていて……とにかく、逃げることから始め――」
「――もういい。それよりも結晶器、及び鋭利な金属製の刃物。院内にも切れ味のいいナイフくらいは置いてあるだろう、何処だ?」
 問いながら、腕に吸着していた点滴の針を無理矢理引き千切る。どうやら痛覚も正常に起動しているようで、一瞬ちくりと痛みが腕を駆けた。
 相手の答えを待っている間にも、周囲を念入りに見渡す。敵、及び何か使えそうなものを探していると、花瓶が添えられた机の上に、恐らくは花を切る為なのであろう大きな鋏が目に留まった。
「えっと……確か、ナースルームに幾つか護身用の結晶器が……って、何してるんですか!?」
「見ての通り、鋏を分解してる。即興ではあるけど、無いよりはマシだろう。……ナースルームだね、よし、案内を頼むよ」
 まだ何かを言いかける看護婦を無視して、リコスは立ち上がり、体を少しだけ動かして調子を図った。どこにももう痛みは残っておらず、どうやら良好だと判断を下してから扉へと向かう。
 後ろでは、まだ看護婦が口をあんぐりとさせて目をぱちくりさせていた。

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