第1章『百代編・一子編』
11話「百代の決意(後編)」
廃ビルの屋上で決闘する事になった百代とワン子。
2人の決闘はすぐに始まり、激しい奮闘が繰り広げられていた。
大和達は心配そうに見守るが、その戦いは一方的だった。ワン子は百代に手も足も出ず、ワン子に攻撃させる暇すら与えない。ただ殴られ続けるのみだった。
「く……あ、まだまだ」
怒涛のような連続攻撃を受けてなお、ワン子はボロボロになった身体で立ち上がる。その瞳に戦意は消える事はなく、立ち上がる度に百代を睨みつけていた。
百代は、当然無傷である。幾度となく立ち上がり、向かってくるワン子の姿が気に入らなかった。
「もうやめろワン子。お前じゃ私には勝てない」
「……そんなの、やってみないと、分からないわ」
百代の制止の声にワン子は耳を傾けず、身体を引きずるようにしながら百代に突貫する。
だがスピードは明らかに遅く、誰が見ても悪足掻きにしか見えない。百代は舌打ちすると、向かってきたワン子の腹部を殴りつける。
「あ……がっ!?」
身体が勢いよく吹き飛び、ワン子は地面に転がり落ちた。もはや虫の息であり、まともに戦える状態ではない。
それでも、ワン子は自分の身体に鞭を打って立ち上がった。その不屈さが百代を更に苛立たせ、それと同時に、妹に手をあげているという罪悪感が襲う。
「もういい加減にしろ。それ以上は……お前の身体が壊れる」
百代の言葉には、ワン子を気遣う気持ちが込められていた。しかしワン子は百代を凝視したまま、ゆっくりと百代に向かって歩き始める。
まだ、ワン子には戦う意志は消えていなかった。
「くっ……心が壊れたアンタなんかに、情けなんて……かけられたくないわ!」
「この―――――!」
ワン子の言葉に逆上した百代は、ワン子の身体を蹴り上げようと足を構える。
「もうやめろよ二人とも!なんでったって、姉さんとワン子がこんな事しなきゃならないんだよ!?」
二人の決闘に見るに耐えられなくなった大和が叫ぶ。しかし、ワン子は首を横に振った。
止めるな……と目で訴えている。これはただの決闘ではない。真剣な戦いなのだと大和は悟る。
この姉妹の戦いに、誰かが介入する余地はないのだから。
「アンタは……川神百代は、アタシが倒――――」
「――――黙れ!!!」
百代の叫びと共に、正拳突きでワン子を殴り飛ばした。ワン子は地面に再び倒れ伏せてしまう。
百代は静かに、ワン子の側まで歩み寄った。
「この際だ、はっきり言ってやる。ワン子―――――お前には武術の才能がない」
怒りに任せ、百代は本心をワン子に叩きつける。
ワン子のパワー、スピード、技術……人並み以上の能力はあるが、師範代を目指す者としては全てにおいて劣っていた。それは、いくら努力を重ねても超えられない壁。
生まれながら持つ“才能”という名の壁である。ワン子はそれに恵まれなかった。それは仕方のない、変えようのない事実だった。
「……そんなの、自分でも、分かってるわ……」
百代の身体にしがみ付き、縋りつくように立ち上がろうとするワン子。ワン子は、自分には才能がない事を、うすうすと感じていた。
百代のようには、なれないかもしれない。師範代は夢のまた夢かもしれない。
それでも―――――、
「……でも、アンタには才能がある……アタシには、ないものを……たくさん持ってる……!」
ワン子は怒り―――否、表情はいつしか悲しみに染まっていた。貯めていた涙を溢れさせ、百代の顔を見上げながら訴える。
それは怒りでもなければ軽蔑でもない。百代を―――姉を慕う、純粋な妹としての気持ち。
「だから……戦いをやめるなんて言わないでよ。アタシの知ってる、川神百代は……こんな。こんな事じゃ絶対に諦めない!」
あの時百代を殴ったワン子の行動は、単なる失望ではなく、普段の百代に戻って欲しいというワン子の思いであった。
「答えが見つからないなら……大和達と一緒に探せばいいじゃない。もっと頼ってよ……アンタは……お姉さまは、一人じゃないんだよ?」
「ワン子……」
百代の戦意が徐々に失われていく。そして、ワン子は張り裂けそうな気持ちを百代にぶつけた。
「だから……だから、お願い……!帰って来て、お姉さまああああああああ!!!!」
ワン子の嗚咽が夜空に響き、そのまま泣き崩れる。百代はそんなワン子の姿を見下ろし、ただ立ち尽くしていた。
すると、様子を見ていた大和達が百代の元へと歩み寄る。
「……姉さん、一人で悩むなよ。姉さんのためなら、いつでも相談に乗るぜ?」
その為の舎弟だろと、笑う大和。
モロやガクト、クリス、京、まゆっちも頷いた。皆同じファミリーとして、仲間を思う気持ちは何よりも掛け替えのない物。大和達はそれを、百代に改めて教えてくれた。
空虚が支配していた百代の心が、“川神百代”としての心を取り戻していくのが分かる。
今、川神百代の心は確かに“震えて”いた。
「……はは、まったく。お前たちは」
百代は微笑み、泣き崩れるワン子を優しく抱き締める。暖かい、百代の温もりがワン子の身体を通して伝わる。
「お……お姉、さま?」
「ごめんなワン子。おかげで目が覚めた」
自分の為に、身体を張ってくれたワン子。そんなワン子が愛おしく感じた。
「うぅ……お姉さま、よかった……ふえぇ……」
自分の知っている百代に戻ったと感じたワン子は、嬉しさのあまりに泣き始め、百代の身体に顔をうずめている。暖かくて微笑ましい、姉妹が仲直りした瞬間だった。
百代は大切な仲間―――大和達の方へと向き直る。
「みんなにも迷惑をかけたな。私は、もう大丈夫だ」
百代の求めている答えは、未だ見つからない。今はまだ見つからなくとも、これから仲間達とゆっくり探せばいい。仲間達と歩いて行けばいい。百代は戦っている内に、大切なものを忘れかけていた。
「―――おーいみんな、今帰ったぜ!」
聞き覚えのある声。屋上の扉が開き、キャップが京都から帰って来ていた。両手には京都土産が大量に抱えられている。
「……って、あれ?なんかあったのか?」
百代とワン子、大和達の様子を見て首を傾げるキャップ。
「ああ、キャップ。実はね……」
何があったかモロが簡単に説明する。百代の事。ワン子の決闘の事。キャップはうんうんと聞きながら頷き、そうかと言って笑った。
「ま、たまにはそういう時もあるさ。それよりお前ら、約束の京都土産だぜ!」
キャップは大量の土産袋をかかげてはしゃいでいる。
「おいキャップ。京都土産と言えば、舞妓さんのねーちゃんだろ」
百代もいつものように振る舞い、冗談を言って笑う(8割くらいは本気)。キャップも勘弁してくれよと言って苦笑いするのだった。
ワン子との決闘を終え、百代は大和達と部屋へ戻り、キャップの土産話で盛り上がりながら会話を楽しんでいた。
いつも集まっているはずなのに、久々にファミリー全員が勢揃いした……と、そう百代は感じた。
(………そうか)
そこでふと、百代は気づく。大和達が仲間達と笑い合う光景の中、“それ”がそこにあったのだと認識する。
(なんだ……ちゃんと、あるじゃないか)
それは、百代の探し求め続けていた答え。こんなに近くにあるのに、何故今まで気が付かなかったのだろうか。
或いは、身近過ぎてそれが当たり前のように思えてしまい、見えていなかったのかもしれない。
百代の答え―――それは身近にあって、気付きにくいもの。百代の心を震わせた、確かな理由。
百代はこの時、初めて自分の戦う意味を知った……そんな気がしていた。
――――数日後。
ある昼休みの時間。校庭には多くの生徒達が集まっていた。
それは、百代とビッグ・マムの再戦が行われようとしているからである。百代とビッグ・マムは対峙し、互いに火花を散らしていた。
「少し見ない間に、随分といい顔になったじゃないか。川神百代」
腕を組み、堂々と立ち尽くしているビッグ・マム。百代には、あの飢えた獣のような表情はもうどこにもない。百代の瞳に宿るのは、純粋な武人としての魂のみである。
川神百代という―――“武神”が復活した瞬間であった。
「ああ、お陰様でな……今度こそ勝たせてもらうぞ、ビッグ・マム!」
百代は構え、戦闘体制に入る。ビッグ・マムは腕組みを解き、両手の拳を鳴らす。
そして、あの時百代に問いかけた言葉を、もう一度投げかけた。
「……今一度聞こう。川神百代、お前の戦う理由はなんだ?」
ビッグ・マムの問いに、百代は静かに目を閉じる。
百代の導き出した答え。脳裏に映るのは――――大和達、風間ファミリーの姿。大切な仲間。
そして目を開き、この大空に響き渡るくらいの声で答えた。
「大切な仲間を―――――守る為だ!!!!」
今の自分なら、自信を持って言える。大和達を守る……この力は、その為にあるのだと百代は思う。
ただ戦い続け、強くなるのではない。仲間達がいるからこそ強くなり、戦えるのだから。
百代の解答に満足したのか、ビッグ・マムはふっと笑みを零した。そして拳を構え、百代を見据える。
「いい返事だ。それじゃあ――――覚悟はいいかい?」
「望むところだ――――いくぞ!」
決闘の合図が鳴り、百代とビッグ・マムは互いに接近し、距離を縮める。
――――百代は仲間の為に、もう一度拳を振るう。
――――ビッグ・マムは百代の答えを確かめる為に、もう一度拳を振りかざす。
今再び、両者の拳が勢いよく衝突した――――。
―――――――――――。
「―――――?」
目を覚まし、意識を取り戻した時には、百代は保健室のベッドに仰向けで横たわっていた。
ビッグ・マムに再戦を申し立て、自分の戦う意味を伝え、対戦が始まり……それ以降の記憶が曖昧であった。
あの戦いから、一体どうなったのだろうか。ただ、百代の身体には包帯や絆創膏があちこちにあり、治療が施されていた。
とりあえず、この現状から読み取れる事は一つ。百代は――――、
「私は……負けたんだな」
敗北したのだと、すぐに悟る。よく覚えていないが、互角にやりあえていたものの、結局ビッグ・マムに勝つ事は出来なかった。
なのに、敗北したにも関わらず百代の心は清々しかった。戦いに対する執拗な感情も、虚ろな感覚も、今は何も感じない。
これが“答え”を見つけた百代の結果なのだろう。それ故に、百代は満足している。
心も、身体も。これ以上ないくらいに満たされていた。
「お目覚めのようですね、百代さん」
男の声がした。百代のベッドを覆う、カーテン越しに映る一人の影。不気味なくらいに気配を感じない……この感覚、百代はあの男であるとすぐにわかった。
カーテンが開く。そこには眼帯の男、ユーリがいた。
「ユーリさん……どうしてここに?」
「貴方にお伝えしたい事がありましてね」
ユーリは百代に全ての全貌を伝えようと、ここへやってきていた。
鉄心が百代を更生させる為に、ビッグ・マムを派遣した事。百代に戦う意味を見つけさせる事で、精神を鍛えてもらおうとした事。
全ては、鉄心の孫を思う気持ちがあってこその配慮だったとユーリは語る。百代はただそれを黙って聞いていた。
「なるほどな……全部ジジィが仕組んでたって事か」
溜息をつき、天井を見上げる百代。しかし、腹は立たなかった。むしろ、強者を連れてきてくれた事に感謝しているくらいだ。
「えぇ……それにしても驚きましたね。あのビッグ・マムをあそこまで追い詰めるとは。さすがです」
百代とビッグ・マムとの戦いは、今まで以上に接戦であったとユーリは話す。
百代はビッグ・マムの勁によって瞬間回復を封じられつつも、持ち前の体術でビッグ・マムをギリギリまで追い詰めていた。
だが、瞬間回復を失った百代の体力に限界が訪れたため、決闘はビッグ・マムの勝利に終わった。
しかし前回の戦いよりも盛り上がり、ビッグ・マムと敗北した百代も称えられ、決闘は盛大に幕を閉じたという。
「追い詰めたつもりだったんだがな……まあ、次はこうはいかない。もう動きは見切ったからな。さて、次の決闘が楽しみだ」
世界は広く、まだまだ強い奴がいる。ビッグ・マムという強敵に出会い、百代の好奇心は高鳴るばかりだった。
「百代さん。その事についてなんですが……」
申し訳なさそうに、ユーリが答える。
「……?」
「ビッグ・マムは、たった今養成所へ帰還しました」
ユーリ曰く、養成所から連絡があり、急遽帰還せよとの事であり、ビッグ・マムはすぐに飛行機で飛び立ったらしい。
「な―――――」
百代は目を見開き、ぽかんと口を開けていた。ビッグ・マムはここにはいない。ユーリは仕方ありませんねと、ニコニコ笑っている。
やられたと……百代は拳を震わせ、
「あ……あいつ、勝ち逃げしやがったなーーーーーーーー!!」
ベッドから飛び上がる様に身体を起こし、思いっきり叫んだ。しかし怪我が完治しておらず、身体中に痛みが走り、ベッドに蹲ってしまう。
「い、いたた……ふ、まあいいさ。今度は私から出向いてやる。待ってろよビッグ・マム!」
百代は高らかに笑う。ビッグ・マムと戦える日を、楽しみに待ちながら。
(やれやれ。本当に更生したんですかねぇ……)
懲りない人だと、肩をすくめるユーリ。だが以前の百代と対峙した時よりは、だいぶマシにはなったと感じている。
(しかし、これで問題は一つ解決……ですか)
ユーリは心の中でほっと息を吐く。そして、窓の外を眺めながら思う。
川神市に蔓延している元素回路は、未だ根絶の目処はたっていない。問題は山済みであった。
(頼みましたよ―――――サーシャ君)
ユーリは祈り続ける。川神市の平穏を。そしてサーシャ達の任務が、無事に終わる事を。