第1章『百代編・一子編』
サブエピソード11「まふゆのボルシチ」
夕暮れ時。
サーシャ達は、大和達と島津寮で夕食を取る事になった。
ちなみにマルギッテは軍の命令で帰還し、華は用事があるとの事で今回は同席していない(おそらくカーチャに呼び出されたのだろう)。
「〜♪」
鼻歌を弾ませ、台所で料理をするまふゆ。島津寮へと招待してくれたお礼に、まふゆが料理を振舞うと張り切っていた。
鍋の中でグツグツと煮えるまふゆの得意料理―――そう、サーシャの好物であるボルシチである。
「ん〜めちゃくちゃいい匂いがするわ」
鼻をきかせ、まふゆのボルシチを今か今かと待ち続けるワン子。リビングにはボルシチの香りが漂い、大和達の食欲をそそらせる。
(そろそろ煮えたかな……)
まふゆは鍋の蓋を開け、おたまで掬って味見をすると満足気に頷き、鍋をテーブルの前に置いた。
「はい、おじ様直伝・本格派特製ボルシチの出来上がりだよ♪」
自信満々に出来上がったボルシチを、胸を張って披露するまふゆ。
大和達はおおと感激の声を上げながら、鍋の中を覗き込んだ。鍋の中で具材がよく煮え立ち、大和達の食欲をより一層かきたてる。
「たくさん作ったから、熱い内にどんどん食べてね」
まふゆがボルシチを皿に分け、仕上げにサワークリームとデイルをつけあわせて大和達に配膳する。
「うまそうだな。それじゃ早速――――」
「もぐもぐ……вкусный(うまい)!」
大和の隣で、既にサーシャはボルシチを美味しく頂いていた。よほど好物なのか、食べる事に集中している。しょうがないなあ、とそんなサーシャを見てまふゆは苦笑いした。
「じゃあ俺達も、いただきます!」
早速大和達も、まふゆのボルシチを頂く事にする。
「おお……こりゃうまい!」
「ほんと、何杯でもいけちゃうわ!まぐまぐ……」
まふゆのボルシチの味に、大満足する大和とワン子。
「うむ、うまい!毎日食べてもいいくらいだ」
「はい、とても美味しいです。私も作ってみようかな……」
『伝授してもらえよ、まゆっち。このボルシチ、男に食わせたらイチコロだぜ?これで一気にポイントアップだ!』
「わわわわわわわわ!何を言うんですか松風!」
バクバクとボルシチを口に運ぶクリス。そして一人漫才(?)をするまゆっちと松風。
「うん。確かにおいしいけど、ちょっと辛さが足りないかな」
京は瓶に入った『ウルトラデストロイドソース』をドバドバと自分の皿に注ぎ込んでいる。こうして京のボルシチは、激辛カスタム仕様へと変貌を遂げた。
「大和もソースいる?」
「いるかっ!!」
大和は自分の皿を京から遠ざけた。いる?と聞きつつも、大和の皿にソースを入れ込もうとしている仕草は、何とも京らしい。
「こいつはうまいな……まふゆ、私の嫁になる気はないか?」
ボルシチの味(というかまふゆ本人)を気に入り、まふゆの肩を抱き寄せる百代。まふゆは反応に困り、戸惑っていた。冗談で言っているつもりだろうが、とても冗談には聞こえない。
ともあれ、皆ボルシチを気に入ってくれたようで、まふゆは嬉しく思うのだった。
おかわりをするペースが早く、ボルシチは鍋の中からあっという間になくなっていき、とうとう残り一人分となった。
「残りはアタシがもらうわ!」
ワン子はいち早く最後の一杯を狙い、おたまに手を伸ばす。
「――――!?」
ワン子がおたまの取っ手を掴むと同時に、サーシャもおたまを掴んでいた。互いに視線を合わせ、その手を離せと目で訴えている。
「……ちょっとサーシャ、アタシが先よ」
「僅かに俺の方が早かった。手を引くのはお前だ、ワン子」
互いに譲らず、バチバチと火花を散らす二人。
「“れでぃーふぁーすと”よ、黙ってアタシに譲りなさい」
反論するワン子。“あ、ワン子が珍しく難しい単語使ってる”と京が小さく呟いた。
「知った事か。そんな理屈では俺の心は震えない、諦めろ」
サーシャも譲る気はさらさらないらしい。一見カッコいい台詞に聞こえるが、女子からして見れば割と最低である。
「何よ、じゃあ勝負する?」
「いいだろう。表へ出ろ」
サーシャとワン子は合意し、決闘を受諾する。こうして、一杯のボルシチをかけた壮絶なバトルが始まろうとしていた――――。
「こら、サーシャ!」
「やめろ、ワン子」
まふゆと大和が同時に声を上げ、サーシャの頭にはおたま、そしてワン子の頭には大和のチョップによる制裁が入っていた。
二人はしゅん、と反省する。当然バトルはなし。そんな事でいちいち決闘に持ち込むなと、二人に説教をするまふゆと大和なのだった。
『みんな、マスターのお帰りだよ』
「おう、今帰ったぜ!」
説教の最中に、タイミングよくお手伝いロボット・クッキーがリビングへとやってくる。その隣にはキャップがいた。バイトの帰りだったらしい。
「いや〜バイトが長引いちまってさ。腹減ったなぁ……お、なんかうまそうな匂いがするな」
鼻をきかせて、キャップはテーブルに置かれた鍋に視線を落とす。
「お、なんだこれ。うまそうだな……いただきま〜す!」
何の躊躇いもなく、キャップは鍋の中のボルシチを一瞬で平らげる。大和達、そしてサーシャとワン子は、ただその光景を見ていることしかできなかった。
そして、鍋の中は空になった。
「これ、ボルシチだよな?すっげーうまかったぜ!一体誰が作ったんだ?」
キャップが周囲を見回すと、まふゆがそっと手を上げる。
「あ、あたしだけど……」
「マジで?織部、お前料理うまいな。俺旅してて色んな店のボルシチ食ったけどよ、こんなうまいボルシチ初めて食ったぜ!」
ボルシチの味がすっかり気に入り、また作ってくれよとキャップは笑うのだった。
―――――。
次の瞬間、悪寒と殺気がリビングの中を包み込んだ。キャップもただならぬ何かを感じ取り、後ろを振り返る。
その後ろには、殺意のオーラを纏ったサーシャとワン子の姿があった。
「キャップ………」
「貴様…………」
ボルシチを食された事への怒りを抑えきれず、サーシャとワン子はゆっくりとキャップに詰め寄った。
どうやら食べてはいけない物だったらしい……身の危険を感じたキャップは、
「な、何かヤバそうだから……とりあえず逃げるぜ!」
ダッシュでリビングを脱出し、外へと逃走を測った。キャップが逃げた事で怒りのボルテージがMAXになり、サーシャとワン子は逃げたキャップを追いかける。
「待ちなさいキャップ!アタシのボルシチをよくも〜!」
「俺のボルシチを奪った罪は重い………生きて帰れると思うな!!」
二人はそのまま外へと繰り出した。その光景を見て、やれやれと肩を落とす大和達。
ちなみにキャップ達が戻ったのは、日が沈んでから3時間後だったという。
食べ物の恨みは、時として本当に恐ろしい……それを改めて思い知らされた大和達なのであった。