第1章『百代編・一子編』
20話「憧れが憎しみへ変わる時」
百代が叫び、ワン子目掛けて全力疾走する。
「はああああああああーーーーー!!」
百代の内にあるのは、行き場のない怒りと、裏切られた事への悲しみだった。
鉄心やルーに手をかけた事や、今まで仲間を騙していた事。
信じていたのに……百代はその思いを、拳という形でワン子に叩き込む。
「――――ごふっ!?」
百代の正拳が、ワン子の腹にめり込む。防御する暇すらなく、ワン子はまともに攻撃を受けた。神速の一撃が炸裂し、ワン子は身体に致命的なダメージを負う。
だが、
「か、はっ………すっごい、効いたわ」
それにも関わらず、ワン子は笑っていた。こうして百代と戦える日を、待ち望んでいたのだから。
自分の強さを確かめるように、ワン子は受けた痛みをじっくりと噛み締めた。
ワン子は確信する。今の自分なら、百代と互角――――それ以上に渡り合える事ができると。
ワン子は薙刀を投げ捨て、百代の顔面を右手で鷲掴みにする。
「川神流――――」
ワン子の右手に膨大な気のエネルギーが収束していく。これは危険だ――――と、百代は距離を取ろうと離れようとした瞬間、
「零距離・致死蛍―――――!!!」
収束したエネルギーが複数の気弾となり、百代の顔面に直撃した。
文字通り零距離で発射された気弾はバルカンと同等の速度で連続射出し、百代の顔を焼き尽くす。
「せやぁーーーーー!」
ワン子のさらなる追撃が入る。百代の腹部に鋭い蹴りを入れ、その衝撃で百代の身体は勢いよく吹き飛ばされた。
「ぐっ………!?」
地面で踏ん張りを入れ、衝撃を和らげる百代。腹部を抑えながら、目の前のワン子という”敵”を睨み付けていた。
額からは血が流れ、頬を伝いながらポタポタと雫を垂らしている。
威力も、スピードも、技も。今までとは比べ物にならない程に、ワン子は強さを増していた。
百代でさえも、反応する事ができない……ワン子の異常とまで言える成長は、もはや驚愕を通り越して不気味であった。
「…………瞬間回復」
気を集中し、身体に受けた傷を瞬時に回復する。百代は傷を完治させると、ワン子に抱いていた疑念をぶつける。
「何で……何でジジィやルー師範代達を襲った!?」
「――――――」
百代の問いに対し、ワン子は答えない。ただ黙って、百代を静かに視線を送っていた。一向に答えないワン子に苛立ちを覚えた百代は、
「答えろ、ワン子おおおおおぉぉ!!」
校庭中に響くくらい、大きく声を張り上げた。すると、沈黙を守っていたワン子がようやく口を開く。
「――――瞬間回復」
ワン子は目を閉じ、気を集中させる。すると、ワン子の身体中とその周囲に黒い霧のようなものが立ち込め始めた。
霧は徐々にワン子を包み込むように揺らめき、ワン子の受けた傷を塞いでいく。
瞬間回復――――百代が使うものと、全く同じだった。だがどこか歪で、禍々しさを感じる。
「瞬間回復!?………お前、何で」
百代は思わず声を漏らす。短期間で瞬間回復を体得する事など、万に一つもあり得ない。
それにワン子の放った『致死蛍』もそうだ……自分が使う技を、ワン子は簡単に使用している。自分の中で煮え切らない感情が、百代の心を支配していた。
そう、まるで今まで自分が積み重ねてきたものを、踏みにじられたかのように。
「――――じーちゃんやみんなには、酷い事をしたと思ってるわ」
ワン子は静かに呟いた。鉄心達に手を掛けた事への罪悪感……それはワン子自身も感じているのか、少し戸惑っているようにも見える。
「だったらどうして――――!」
百代には理解できなかった。罪悪感を感じるくらいなら、最初から手を出さないはずだ。
ましてや、ワン子を養子として受け入れ、親子同然に育ててくれた人間に対してする事ではない。
「だって、じーちゃん達を倒したらきっとお姉さまも認めてくれると思って………」
全ては百代に近づく為……ワン子にとって、鉄心達はその布石でしかなかった。
そこには善意も悪意もない。ワン子を動かしているのは、単なる”純粋な憧れ”でしかないのだから。
「……そんな事のために、ジジィたちに手をかけたのか」
百代は地面に視線を落とし、身体を震わせながらワン子に問いかける。ワン子は答えなかったが、その沈黙は肯定を意味している―――そうとって間違いないだろう。
ワン子は捨てた薙刀を手に取り、その切っ先を百代に向ける。
「――――決闘よ、お姉さま。今のアタシなら、お姉さまと対等に戦えるわ」
百代との決闘。それはワン子が待ち焦がれていた夢。それが今、実現されようとしている。
ワン子は歓喜していた。百代と戦えれば何もいらない。何を失っても構わない。どんな犠牲を払っても構わないと……身体が疼いていた。
「…………」
ワン子が自分との決闘を望んでいる……しかし、百代は視線を落としたまま立ち尽くしている。
――――いつかは妹と戦う日が来る、そう思っていた百代。
本当なら嬉しいはずなのに、喜べない。喜べるはずがない。こんな形での決闘は望めない。百代の出す答えは、必然的に決まっていた。
「―――――断る」
「え………」
百代は冷静さを取り戻し、答える。返事は否だった。予想外な答えに、ワン子の表情が消える。
「断ると言ったんだ」
百代はもう一度意思表示し、ワン子の決闘は受けないと返答する。当然、百代の出した答えにワン子は納得するはずもない。
「なんで……何でよ。だってアタシ、お姉さまと並ぶくらい、強くなったんだよ?」
鉄心達を倒し、ここまで頑張ってきたワン子の努力が、百代のたった一言で否定された……認めない。認められない。認められるはずがなかった。
「確かにお前は強くなった。見違えた……まるで、」
百代がワン子との決闘を拒否した理由。その決定的な一言を、ワン子に告げる。
「ワン子じゃない、誰かだ」
「!?」
百代はワン子の努力を否定しているわけではなかった。だが、今のワン子は百代や大和達の知っているワン子ではないと断言する。
「なに……言ってるの?アタシは、アタシだよ?」
「いいや、違うな。私が知っているワン子は、どんな理由があってもジジィやみんなに手を出すような人間じゃない」
首を横に振って、ワン子の目をしっかりと見据えながら答える百代。
「ワン子、今のお前は昔の私と同じだ。私には分かる」
百代を―――戦いを求めるワン子の姿は、どこか以前の自分を見ているようだった。明確な理由もなく、ただ強くなるために、強者と戦い、戦って戦って戦い続けた自分の行いを。
「……私が言えた義理じゃないが、戦いに囚われば、周りが何も見えなくなる。私はビッグ・マムと戦って、それを思い知らされた」
だからこそ、ワン子には自分自身の過ちに気付いて欲しかった。今だから言える……戦いに執着し過ぎてはならない、と。
「私は、今のお前との決闘は望まない――――だから目を冷ませ、ワン子」
百代ははっきりと言い切り、それ以上は何も言わなかった。
強者を求め、いかなる相手でも挑戦を受け続けてきた百代。その百代が、初めて決闘を拒否した瞬間だった。
「……あ………あ」
ワン子は動揺する。自分の憧れであり、目標である百代に否定され……全てを失ったも同然であった。
「ぐっ!?………あ、うぅ」
突然、酷い頭痛に襲われるワン子。頭が割れるような痛みに耐え切れず、頭を抱えてその場に蹲ってしまう。
”――――どうして、どうして認めてくれないの?”
ワン子の心の声が聞こえる。
”―――お姉さまに近づく為に、こんなに努力をしたのに。”
悲痛な心の叫び。心配して声をかける百代や、大和達の声すらも今は届かない。
”―――許せない。こんなの絶対に認めない。”
感情が高ぶり、思考がぐちゃぐちゃになっていく。こんな事、あり得ない。あっていい筈がない……頭の中でいくら否定しても、現実は変わらず、何も変えられない。
故に、百代という”目標”の存在が、酷く忌々しく思えた。許せなくなった。
”―――どうしても戦わないというなら、アタシはお姉さまを、川神百代を………。”
ワン子の中で、百代に対する”憧れ”が”憎しみ”へと変わる。
心は深い闇に染まっていき、ワン子の黒い感情が剥き出しになっていく。
川神百代を”殺す”という、憧れとは程遠い感情に。
「―――――」
頭痛が消え、ワン子はゆっくりと立ち上がった。顔を上げ、百代を射抜くように睨み付ける。
その目は憎しみの色に染まり、もう”川神一子”としての面影は感じられない。
「お姉さまは、大切な仲間を守るために戦う……そう言ってたわよね?」
感情のこもらない声で問いを投げるワン子。
「そうだ……それがどうした?」
不審に思う。ワン子の”気”が、一切感じられなかった。次は何をしてくるか分からない……百代は咄嗟に身構える。
ワン子は薙刀を構えて、切っ先が後ろになるように居合いの形を取った。同時に、ワン子の身体から黒い闘気が溢れ出す。
「だったら―――――」
ワン子の黒い闘気が、薙刀の刃に集まって収束していく。
「守ってみせなさいよ……守れるものならね―――――!」
刃に暴発する風が纏い始め、大地が、大気が震える。風が砂嵐を巻き起こして、百代の視界を遮った。そして、
「我流奥義―――――烈風砲!!!!」
薙刀を振りかざし、風を纏う切っ先から風の塊を百代――――ではなく、大和達の方へと差し向けて解き放った。
風の塊は弾丸となって加速を始め、地面を削りながら大和達目掛けて奔っていく。
まさか、ワン子が”仲間を何のためらいもなく攻撃をする”など、誰も想像できなかっただろう。
「やめろおおおおおぉぉぉーーーーーーーーーー!!!!」
百代は大和達を守ろうと駆け出した。だが、加速した風の弾は止まらない。もう大和達の目前まで迫っている。いくら百代が全力を上げ、スピードを出したとしても間に合わない。
風の弾が大地を裂きながら大和達に迫り来る。当たればただでは済まない。身体中を切り刻まれ、バラバラにされてしまうだろう。
だがその刹那、
「―――――震えよ!!」
大和達を庇うように、サーシャが大鎌を錬成した状態で割り込んだ。そして迫る風の弾丸を、大鎌で真っ二つに斬り裂く。
斬り裂かれた風の弾丸は行き場を失い、空に溶けるように消えていった。
「サーシャ………!」
忌々しげに、サーシャを睨み付けながら呟くワン子。サーシャは大鎌の刃をワン子に差し向けながら問いかける。
「答えろ。お前の持っている元素回路エレメンタル・サーキットはどこだ?」
単刀直入に、元素回路の在処を聞き出すサーシャ。サーシャの耳についたイヤリングが赤く強く光りだし、異常な反応を示していた。
この反応―――間違いなくワン子は元素回路を所持し、使用している。一般の人間が扱えば、悪影響を及ぼす事になる。一刻も早く回収しなければならない。
「元素回路……?何の事だ」
百代には一体何の事なのか、理解出来なかった。聞き慣れない単語に戸惑いを隠せない。
ワン子と元素回路と、一体何の関係があるのだろうか。百代が疑問を抱いたまま、サーシャとワン子の話は続く。しかしワン子は、
「元素回路?何それ、知らないわ」
サーシャに冷めた視線を送る。”お前に興味などない”そう目で訴えるように。だが、その口ぶりからして、本当に知らないようだった。
(こいつ……まさか無意識下で元素回路を?)
ワン子自体、元素回路を意識的に使っているようには見えない。しかし、あり得ない事ではなかった。経緯は分からないが、恐らくワン子は元素回路の力で異常に強くなっているのだろう。
「――――ワン子、お前のその強さは紛い物に過ぎない。サーキットの影響で力があると錯覚しているだけだ」
夢から覚めろと言わんばかりに、サーシャは告げた。ワン子には残酷な一言かもしれないが、このままワン子から元素回路を取り除かなければ、どんな悪影響を及ぼすか分からない。
「……アタシの力が偽物?あんた、アタシの何を知ってるっていうの?たかだか数週間たったくらいで、知ったような口を聞かないでよ!!」
サーシャの一言に、逆上して憎悪を剥き出しにするワン子。
「事実だ。もう一度だけ言ってやる。お前の力は紛い物だ。いい加減目を覚ませ、ワン子」
その時、ワン子の理性が、音を立てて弾けた。
「サーシャああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
感情を爆発させたワン子が、サーシャ目掛けて突貫する。
薙刀を勢いよく振り下ろし、サーシャに叩きつける。サーシャは大鎌の柄でガードするが、予想以上に力が強かった。
サーシャは押し負けそうになるも、押し返して大鎌を振り、ワン子の身体を切り裂く。
「――――っ!?」
ワン子は舌打ちをすると、後退して大鎌の一撃を回避する。その剣圧でワン子の服の胸元が敗れ、素肌が露わになる。
――――そこには、黒い紋章があった。まるでワン子の身体を浸食するかのように、細い根が肌に根付くように侵食している。
「やはりそこにあったか……!」
ワン子の身体に張り付く元素回路……サーシャ達が探し求めている、川神市に巣食う正体不明の元素回路に間違いなかった。
「ワン子、それは何だ……お前、何をした!?」
百代が真意を確かめる為ワン子に歩み寄る。元素回路が何なのかは知らない。だがワン子の身体に異常がある事だけは理解できた。
するとワン子は百代から逃げるようにしてその場から離れ、高くジャンプしながら壁を伝い、学園の屋上へと上がっていく。
そして、ワン子は校庭全体に響くように、百代に告げる。
「――――川神百代。アタシはアンタを……アタシを否定したアンタを許さない」
百代を見下ろしながら、抱いた憎悪の念を吐き出すワン子。
「待て、ワン子!私は―――――」
「――――川神院」
「何……?」
「川神院に午前0時。アタシはアンタに決闘を申し込む。もし来なかったら……」
ワン子は視線を大和達に向ける。もし決闘に応じなければ、大和達にも手を下す……百代の大切な仲間を、自分の大切な仲間さえも、見境なく手をかけると百代に脅迫した。
「ワン子、お前……」
「川神百代、アタシはアンタを倒すわ。そしてアンタを武神から……引き摺り下ろしてやる」
それだけ言って、ワン子は屋上を飛び降りると、他の建物の屋根から屋根へと飛び移り、百代達の前から姿を消した。
「………逃げられたか」
大鎌の柄を地面に突き立て、遠ざかっていくワン子の姿を睨むサーシャ。
「ワン子……」
遠くなるワン子の姿を、百代はただ見ている事しか出来なかった。
――――ワン子の豹変。突然の決闘。そして、サーシャが言っていた”元素回路”。考えれば考える程、混乱を招くばかりだった。
ワン子との決闘は、深夜行われる。戦わなければならない……百代の中で、確かな葛藤が始まっていた。