小説『BL漫画家の鈴木さん』
作者:ルーフウオーカー()

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 うつ病で会社を辞めるというのに、「頑張れよ」といわれて拍手で送り出された。
複雑な気持ちだが、いい人たちには違いない。小さい職場で忙しい割りに給料も安かっ
たが、それでも良い職場だったと田中は思う。
 仕事中に倒れては、休職、復帰を三度繰り返した。ずいぶん迷惑をかけただろうに、
誰もおくびにもださなかった。自分が仕事をしやすいように、ずいぶん調整してくれ
た。もちろん中には付き合いづらい人たちも、病気ってことを理解してくれない人も
いたけれど、それでも良い職場だった、と改めて思った。
 社屋を出たところで背後から声をかけられた。
「田中さん、ちょっと待ってください」
 同僚の鈴木さんが、事務所から出てきて追いかけてくる。

「あの、これ。記念の品です。受け取ってください」
 同僚一同からのはなむけの品なら、もうもらっている。それとは別に、というのは
どういうことだろう。
「私の、個人的なあれです。みんなの前では、ちょっと恥ずかしかったんで」
 鈴木さんというのは無口で無表情な、決して今風ではない銀ぶち眼鏡を決してはず
さない人である。二十台半ばで独身だというのに、彼氏がいるだとか誰を好きだとか
いううわさを聞いたことがない女性だ。意外というか、戸惑った。確かに職場の中で
は比較的よく話をする相手だったが。
 自分はこういうタイプにもてるのか、と思いそうになったが、催促されてその場で
包みを開けて、思考が止まった。

「どうですか、そういうのお好きだと嬉しいんですけど」 
 枝分かれしたチューブ状のなにやらくねくねした品は、パッケージには『アナルモ
ンスター』と書いてある。『エネマグラ』ともある。
「あの、僕にこれをどうしろと」
「挿れるんですっ、お尻の穴にっ」
「僕の」
「もちろんです」
「理由を聞いていいかな」
「すっごく気持ちいいと思うんです。田中さんに似合うと思うんです」
「ごめん、鈴木さんの言ってることがぜんぜんわからない」
「じゃ、ビデオ貸してあげます」
「いや、そういう意味じゃなくてですね」
「それ使って元気になってください。それじゃっ」

 さわやかに微笑みさわやかに手を振ると、鈴木さんはさわやかに社屋に戻っていっ
た。結構足細いなあ、と感心してしまったが、そういう事態ではない。
 ああ、そういえば、と思い出した。鈴木さんが入社してまもなくの飲み会で、美大
に行きそこなった話しをしたら、「私、ドウジンシで漫画描いてるんですよ」なんて
言っていたのが彼女だったのだ。
 ボーイズラブとかいうんだっけか。そういう世界が好きな人だったんだ。

 うすぼんやりと納得はしたが、元気になるも何も、これから一人暮らしのアパート
を引き払って、手志内の実家に帰るわけで、こんなもの親に見られたらどうすればい
いのだろう。
 とはいえ、女性からのプレゼントだ。好意を無に出来ないというより、もったいな
くてとても捨てられない。
 鈴木さん、よくみると可愛いしな。
 などと、ぼんやりと考えつつ、剥き身のエネマグラを手に、社屋前に立ち尽くす田
中なのであった。

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