小説『BL漫画家の鈴木さん』
作者:ルーフウオーカー()

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 美大には行けなかったが、道内の美術科のある大学に通った。同級生の中には
在学中にコンペで賞をとって有名になっていく学生もいたが、田中にそこまでの
才気はなかった。絵描きにもなれず、就職もできず、浪人3年目にしてあの会社
に拾われた。
 身体を壊したのは、その後も絵を描き続けたからだろう。コンペの募集が発表
されるたびに、そろそろ自分も通用するのではないかと思ってしまう。そうして
ろくに眠らず食事もとらず、自分の時間をぜんぶ絵を描くことに費やしてしまう。
同僚はそういう時間を、適切な休養とリフレッシュだとか、社会人としてのスキ
ルアップのために使っていたのだろう。それが大人というものだろう。
 わかってはいても、自分を変えられなかった。

 そんなわけで田中のアパートは油絵の具とアクリル塗料とクロッキー帳と、大
小とりまぜて一〇〇近い数のキャンバスであふれかえっていた。描き終わったも
のもあれば、未完成のまま放置しているものもある。完成したらきっとすごいも
のになると思って、どうしても捨てられなかったりするのだ。
 実家は狭く、このすべてを置くスペースはとてもない。画材はあきらめるにし
ても、絵は捨てたくなかった。
 いつか個展を開きたい。
 そんな思いが胸の奥にあるのだ。
 だが、描き続けるつもりなら画材こそ持って帰るべきであって、通用しなかっ
た作品など惜しげなく捨ててしまうべきではないのか。
 そう気づいて田中は、自分は絵に対してすら本気ではなかったのだろうかと疑
い落ち込む。それが抑うつというものなのだとわかっていても、自分の甘さを考
えないわけにはいかなかった。

 結局、車に積めるだけのものを積んで実家のある手志内に帰った。
 丘の上に広がる森は国の農業試験場、その周り一面がたまねぎ畑、というのが
子供の頃の記憶だったが、今はすべてが雪に覆われている。
 秋になるたびに大量に廃棄され、畑の上で腐っていく玉ねぎの臭いは、少年期
の記憶と深く結びついている。最低限の値段を維持するための廃棄処分だったが、
その頃から割の合わない商売だったのだ。農業を継いだはずの兄は、今では一年
中出稼ぎに出て、内地の工場で働いている。畑をつぶしてアパートを建てた人も
いるが、手志内のような田舎に住宅需要はなく、そのときの借金を未だに返せな
いと聞いた。いつか夏に帰省したときには、耕作が放棄されて雑草が生い茂るま
まになった荒地が、虫食いのように広がっていた。
 二車線の国道沿いにはシャッターを下ろした店ばかりが並び、パチンコ屋の駐
車場にさえ車の姿がない。地域全体が開拓以前の荒野に返ろうとしているかのよ
うだった。

「会社辞めただと、どういうことだ、わしは聞いとらんぞ」
 父である。
「もう、三回ぐらい説明したと思うけど」
「貴様がそんななのは気合が足り取らんからだ。何でも気合充分でぶつかってい
けば、おのずから道は開けるものだ。死ぬ気でやれ!
――気合充填体操ーそのいーち!腕を前から上に上げて……」
 玄関前でいきなりラジオ体操めいたことをはじめる田中の父である。一緒に踊っ
てやるのが親子の情なのだろうが、めまいと頭痛と吐き気がいっぺんに襲ってき
て倒れそうになった。
「で、母さん、俺の部屋は」
「ああ、そのまま使っていいよ。お父さんの荷物も置いてあるから、いろいろ狭
くなってるけど、あんたの荷物はあんたがいたころのまんまにしてあるから、心
配せんでもええよ」
「……はい」
 片付けというものに関心のない田中の母であった。

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