そして、葛城はわざとおいてあった醤油をそこにこぼした。そして……
「おいこの店の机はきったねぇ〜なぁ?お客様に対する敬意ってモンがなってねーなぁ?あぁ!」
と言って、いきなり怒鳴りだしたのだ。まったく迷惑極まりない。その近くにたまたまいた雪乃を呼び寄せ
て、テーブルを拭かせた。
そして葛城はほかの人には見えずらい死角を利用して、ティーカップをずらし、雪乃に倒させたのだ!ティー
カップに入っていた紅茶は見事に、葛城のだらだらと緩んだ制服にかかる。
「おいおいどうしてくれんだよ?制服がビチョビチョじゃねーか!」
「ひぅう。すいませんでした。今拭きますっ!」
わけのわからない雪乃はとにかくおどおどしながら、葛城の制服を拭いている。
くそっ!先輩じゃなかったら今頃ぶん殴っている。ほんとに苛立つ!
そして、葛城は前のめりになって制服を拭いている、雪乃のあごをクイっっと指でつかんだ。
「お前……。よく見るときれいな顔してんな。よし決めた!おいお前、こんな制服汚してくれたんだから、い
ろいろと責任とってもらうぞ?」
「……。」
「いい加減にしろっ!」
雪乃はあまりにも怖くて、がくがくと萎縮して、言葉を失っていた。
くそっもう我慢ならねぇッ!俺は無意識に脚を動かして、葛城の前に立っていた。
「あん?なんだてめぇは?俺はお客様に被害を加えた、この無礼者を一回の『制裁』で許してやろうってん
だ。むしろ俺の心の広さに感謝しろってんだ」
「お前に制裁を加える権利なんかまったくないッ!お前はわざと雪乃がミスをするように仕掛けたんだ。誰も
ばれないように。でも、俺の目までは誤魔化せないッ!」
「まったく証拠はあんのか?てか、このくらいのことでムキになんなよ?冷静になれよ」
「冷静になんかなれるかっ!お前に雪乃の恐怖がわかるか?俺はそれを気にせずへらへらしてんのが、気にくわないんだっ!」
「くっ。黙ってきいてりゃ調子に乗りやがってっ!」
『ばきっ!』『どんがらがしゃーん!』
俺は葛城の苛立ちのパンチを顔に食らって吹っ飛ばされた。吹っ飛ばされた俺に食器などがぶつかり、がらし
ゃんっと音を立てて割れてしまう。それに女子たちは「きゃぁぁ!」と高い悲鳴を上げて俺から離れていく。
殴られても怒りの収まらなかった俺は、再び反論した。
「アンタはこういう『穏やかな雰囲気』を一緒に協調して楽しもうとするのではなく、その雰囲気を壊すこと
で自分のストレスを解消し、自分だけの悦楽を手に入れようとしている。もしそれで成功したとしましょう。
その後貴方に来るのは『悦楽』ではなく他人からの『隔絶』です。そんな物を手に入れて、何の意味があるん
ですかっ!」
「ッ!?」
「もし、この店に不満があるのなら、何もせず即刻ここから立ち去ってください。さぁ!」
「……っけ。こんな居心地の悪い店こっちからねがいさげだ!」
そう言って葛城は、どかどかと不満そうに大きな足音を立てて、教室を出て行った。
葛城のいなくなった教室には三年生の姿は一切なく、ここにいるのは従業員の1−bの生徒だけだった。
どうやらこの騒動で三年生はいなくなってしまったらしい。
……またやってしまった。俺はまた他のみんなに関係ないのに迷惑を掛けてしまったのだ。
「……ごめん。ごめんな、俺のせいで。俺のせいでお客さんがみんな……」
「楓クンは悪くないよ?こうしてみんなの平安をまもってくれたじゃないっ!」
と俺の懺悔に、付け加えるように雪乃が励ましてくれた。そしてそれをきっかけにみんなが「そうだそだ!」
とか、「なんか、楓が。楓が輝いておる。むぶしぃ!」とか、とにかく批判とはちがうどこか不思議な感覚だ
った。なんかくすぐったいような。
そして、ちょうど俺がぶっ壊してしまった食器を片付け終わったそのとき……
こないと思っていた三年生のお客さんがさっきの数十倍の人数押しかけてきた。
そして、また再び営業は再開し、さっきのことは嘘のように活気を取り戻し、1−bのみんなも俄然テンショ
ン上げて仕事してくれている。
なぜ、いきなりこんなに?と思っていたそのときある会話が耳に入ってきた。
「うーん。やっぱりあの『茜さん』がおすすめした店なだけあるねぇ!かわいいだけじゃなくて、なんか雰囲気が落ち着く!」
……ん?今なんか突っかかるワードが。「茜さん」……まさかっ!?
と、思った最中、一段と目立つ格好をした一人の女性が現れた。
「きゃあーーー!茜さんよぉ!」
「はっ!?あれは、朝の大人の女性っ!なぜここにぃ!?」
やはりである。このいきなりのお客さんの来訪のわけは、わが姉、茜ねえさんの仕業だったのだ!
実は姉さんは二年前までここ宗学に通っていたのである。そして、この三年生が一年生だったころの、三年
生。つまり三年生の先輩に当たるのだ。
しかも、姉さんは高校時代にまさに、マドンナ的な存在だったらしく、後輩からの支持は今でも手堅いのである。
その、俺の姉とは思えないスーパーウーマンは俺の真横に、スッと歩み寄って耳元でささやいてきた。
「カエちゃん、なかなか成長したわね。見直したわ。これはちょっとしたお祝いよ」
といって、これまたススッと歩いて教室を出て行った。
結局、その後も姉さんの協力もあって、お客さんは絶え間なく、店に入って行った。そしてあっという間に時
間は過ぎ、三送会終わりの時間になった。
三年生はなにも片づけをせず、楽しいままで全員帰宅してしまった。
まったく、うらやましいものである!
そして、俺が嘆息しながら独りで道具を倉庫に運ぶ。運び終わると、ふと俺は誰かに肩をたたかれた。
まさか葛城が仕返しにっ!?と思ったがそうではなく肩を叩いたのは雪乃だった。
雪乃も荷物をもっている。どうやら雪乃も道具を置きにきたようだ。
そして、雪乃は道具を置いて、俺にしゃべりかけてきた。
「あのさ、髪に埃ついてるからとってあげる。しゃがんで?」
「おお。ありがとさん」
俺は指示通りに雪乃の前でしゃがんだ。と、そのときだった……
俺の頬になにやら、やわらかいぷるっとしたものが当たった。
「今日は楓クンほんとかっこよかったよっ!あと、守ってくれてありがと!これは私からの。お・れ・いっ!」
そういい残しては雪乃は誰もいない沈黙の用具室を走り出て行った。
その後俺は何秒か硬直した。そして無意識に
「唇ってこんなにやわらかいもんか?」
俺は抑えきれず、思ったことを独り誰もいない用具室で呟いた……