小説『私は障害者である』
作者:佐藤賢二(ABストア)

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1. 窓辺に風が通り過ぎて、、、

私は障害者である。
正確に言うと、私は障害者と呼ばれている。
私は、ずっと私だった。
変わらず私はわたしである。
生まれる時の母親の産道から抜ける際に、少し早目にダダをこねた結果酸欠となり、それはもう大騒ぎの結果、一時は医者から危ないと言われ、親父も覚悟を決めたらしい。
すったもんだあったけれど、私は生きている。
自分的にはすこぶる体調は良い。
先日、周りは私の成人を祝ってくれた。
思えば結構いろいろあったし、周りにも世話になった。
特に母さんには頭が上がらない。って言うか、逆に私のおかげで母さんはきっと充実して真面目な日々を送っている。この前両親がぼそっと話していたのを聞いた。
時々行くファミレスに平日昼間に集合しているあの元気なママチャリ軍団を見ていると一層そう思う。

とにかく、私は障害者として育てられた。
これからも障害者と呼ばれて生きていくのだ。
東京都の発行した障害者手帳なるものを持っている。
たしかに、私の手も足も、私が思うようには動かない。
そりゃあ不便だ。と言うよりも何も、確かに簡単に出来る事は少ない。
物を取ろうとしても思うように手が動かない。
目は近眼らしいけど自分的には見えている。
耳は良く聞こえる。周りの人は私が地獄耳であると知っているのかな,、、
歩けないのは車椅子が解決してくれる。
押すのは主にお母さんだ。
不自由に見られる腕を自分なりには自由に使って指差しをすると、その通りの向きに向かってくれる。
違った方向に行こうとすると、私は大きな声を出して体を悶えれば大概思い通りの方向に行ける。
最近は介護支援の法律整備が進んだとかで、よその人がヘルパーとかでお母さんや親父、姉貴に代わって押してくれるようになった。
昔からよく関わってくるボランティアのお姉さんと違って、仕事だそうだ。
私の車椅子を押して金をもらっている。中にはボランティアよりも下手くそがいるけど、この制度は有難い。
役所はあまり積極的には教えてくれない人もいるけれど、ヘルパーさん達はだいたい良い人が多い。
きっと単純にお金を計算してだけでは割が合わないだろうに。
もっともみんなお母さんが面接しているみたいだ。
まあ、私のまわりには良い人が多い。人徳ってか?

窓辺から庭を見る。もう夏の日差しである。
乾いた空気が爽やかだ。
花が咲き、鳥がさえずり、草木は日々成長し、
特にこの頃の時間はゆったりと進むものである。
瞬間瞬間が、とても幸せな気分になれる。
ため息をつく。
目をつむると、時にそこは高原にもなるし、南の島の白砂にたたずむヤシの木陰にもなる。
カーテンを揺らし、前髪をサワっと通り抜け、頬をなでるように、風が通り過ぎた。

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