小説『私は障害者である』
作者:佐藤賢二(ABストア)

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6. 1,450グラムのリスタート。

嵐のような一日だった。

「暫く来ても変化無いし、赤ん坊に面会もできない。」と医者に言われていたはずなのに、親父は、やはり毎日足が向くらしい。
会社に行く前だったり、早退したり、何かと理由をつけては会いに来る。
なにしろ家族で一人動けるのが親父なのである。
お母さんは出産した病院に入院し、私の姉はやはりその病院の別部屋にいるし、私も未だ離れて彼等とは別の病院で完全隔離の未熟児室でパッケージの中である。
入院した日は、遅れて親父の方のお祖母ちゃんが来たし、翌日にはお祖父ちゃんも一緒に再び来院。
その日にはお母さんの方のお祖父ちゃんお祖母ちゃんがやってきた。
でも、私は全然知らない。目も開かないし、隔離されて音も聞こえない。
誰が来たのかなんて知る由もない。
頭は依然ボ〜としていて、リム状態というかとにかく夢の中である。
そう言えば、おっぱい飲んでないぞ、、、
普通、生まれた時期に初乳とか言う少し黄色い不味いヤツから飲むんだそうだか、私には近くにお母さんがいない。来るのは親父だ。
私は女だから良いけれど、男の子だったらあの軟らかな至福の感触を体験出来ないのは不幸だと、勿論私が思う訳でなく、後で親父が意味不明に呟いたのを覚えている。

ちょっと退屈な時間が過ぎる。

入院した日には、未熟児室というガラス張りの無菌室の中の、更に奥の小さな部屋、集中治療室の中の、又更にガラスケースの中に入れられ、未熟児室全体で86床の内の?2と付けられていたが、翌日はパッケージケースのままだけれど、集中治療室からは脱し、No.12となった。大した出世で、何よりパッケージのカラス越しながらも外の光が見える場所である。
私自身外の明りが見えたかどうか、あまり記憶にないが、これで折角毎日通ってくる親父や皆は私を見る事ができる。
その時点で私の体重は1,450gである。生まれた時は1,750gあったのを、治療の為に減量したのだ。究極のダイエットなんてネ、、、


1週間が経った。
親父と先生の2度目の面接があった。
その頃には、私の病室の序列は40番目になっていた。
面接は、前回と同じ狭い殺風景な部屋で、親父と先生の二人で行われた。
前回は私の手術の直後という事もあって、先生は手術着のままだったが、今日は小ざっぱりとした白衣にネクタイ、白のYシャツ、黒いパンツ姿で、改めて見ると小柄ながら結構良い男、、、だと親父は思ったそうな。
少し高いトーンのやさしい声で、穏やかに話し始めた。
「お父さん、お子さんの状況は極めて順調です。最初が最初で大変重篤な状況でしたから、まあ一安心ですね。」
「はあ、ありがとうございます。」
と、がっしりした上体を小さくかがめて礼をしながら答える親父。
「とにかく、お子さんの生命力が凄いんです。
今朝の検査でも、脳細胞が凄い勢いで再生しているのが判ります。
普通でも、新生児の脳は生まれてから猛烈な勢いで増殖していくんですけれど、お子さんの場合、一度死んだ箇所を補うのに余りある勢いで、他の脳細胞が増殖していうんです。
その勢いが通例よりはるかに元気なんですね。
だからこそ、その生命力で今回の状況を脱し得たのかもしれません。
はっきり言ってそれだけひどい状態でしたし、回復力も強力だと言う事です。」
「はあ、、、はい。」
と答えるだけの親父。もちろんわかりやすい説明に、さすがの親父も納得して大人しいのだ。
先生は更に穏やかに、少し笑みを浮かべながら、
「これでもう大丈夫でしょう。今日から体力を付けて、体重を上げていきましょう。
先ず、病院としても栄養のある点滴を始めますが、何より母乳が一番です。」
「あっ、はい、、、」
えっ、でもわたしは乳が出ない!!って、当り前だろう!!!
変にドギマギしたのを悟られまいと、親父は又一層神妙になる。
「そこで、お父さんにお願いなんですが、お母さんは母乳出ますね?」
「あっ、はい。出てます。」
私のお母さんは、産後直ぐにお姉さんには初乳から飲ませているそうな。
「それならば、袋を病院から出しますので、それにお母さんの母乳を入れて持ってきてください。」
つまり、母親の入院先の荻窪の病院で搾乳し、それを保冷のバッグに入れて親父が運ぶのである。
「毎日の必要はありません。できれば3日分毎に持って来てください。」
「判りました。持ってきます。」と、親父。
大変そうな親父、でも本当に大変なのはお母さんなんだよ。親父はただの運び屋です。
「暫く大変でしょうが、運んでもらっていれば、やがてお母さんも退院なさるでしょう。
そうしたら、徐々にお母さん本人が来られるようにしてもらえば良いですよ。」
「はい、わかしました。」
「それではこの後看護婦から袋を受け取ってください。
あっと、それから入院期間ですが、本人次第ですが3カ月位見ておいてください。」
「はい、わかりました。」
親父は何やら頭の中を巡らせている風に天井を見上げながら頷いた。実は別にたいして何も考えていない。意味もなく考えるふりをする。
そして、先生から立ち上げり、挨拶の軽い会釈をしながら退室した。
部屋を出た所で看護婦から話にあった袋を受け取り、保存・運搬の方法を一通り聞きながら別れる。親父はその後、病室でガラス越しだけれど私を確認して帰っていった。

未だ私は時間の長さが判っていない。
つまり、何もしないからと言って、ただ横になっているからと言って、退屈という概念が未だ固まって理解していない。
実際、その時、私は何もしていないのだから。
でも、今日から体力作りのスタートだそうだ。

少しずつ元気になって、早く退院して、家に帰って既にお祖父ちゃん達が買ってくれていた玩具で遊んで、いつか公園デビューして、走り回って、おままごと遊びもして、大きくなったらピアノのレッスンにも通って、親の顔色を見ながら少しは勉強もして、恋をして、、、、、、、

そんな人生のスタート。
ちょっと出遅れたけれど、今日から私のリ出発だ。
1,450gからのリスタートである。


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