小説『The Last Judgement―最後の審判―【完結】』
作者:亜薇(楽園喪失)

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<1>魔都の夜


――声が聴こえる。
 まるで誰かを呪うかのような、憎悪に満ち溢れた声。
 掠(かす)れ、時に上擦(うわず)り……酷く興奮している様子で、何と言っているのか良く聴き取れない。
 彼は耳を澄ます。忌々しく呻いているのは誰なのか、突き止めるために。
 特別興味が湧いたわけではない。只……黙らせようと思ったのだ。鬱陶しく耳障りで、一刻も早く止めさせたかった。
 居所さえ分かれば容易いことだ。脅すなり、暴力で口を閉じさせるなり、手段を問う必要はない。
 やがてその声は何処かで確かに、聴いた覚えのある声だと気付く。
――もっと、もっと近くに。そうすれば……
 彼は歩き出す。闇の中、断末魔のような声を頼りに。
 だが進んでも進んでも、一向に近くなる気がしない。近づくと共に、相手が遠ざかっているのか……逃げているのか。おまけに弱まったと思えば、また音量が大きくなり始める。
 ……思い出せない。確かに聴き知っているはずなのに。 
 顔を歪めて舌打ちし、彼は苛(いら)つきを隠さない。
――早く黙らせないと……ムカついて仕方ねぇ。
 足を速めるが状況は変わらない。気が短い彼は、暫くして追いかけるのを止め立ち止まった。
『……ね、……ね……』
 同じ言葉が繰り返されていることは分かるが、どうしても聴き取れない。
 何時の間にか……認める。意地でもその声を止めさせようと思い始めている自分を。
……そしてその瞬間、彼は目覚めた。






◇   ◇   ◇

「ちょっと炯士(けいし)……何よそ見してるの? 集中しなさいよ」
 吐息混じりの、女の声。僅かに苛立ちを含ませながらも、青い瞳は熱に浮かされている。
 彼女の不満そうな声に、炯士はぴくりと反応する。自分の腕の中にいる女から目を逸らし、別の方を見て何か考えごとをしていたのだ。
 我に返り女を見やる。白い肢体や金の髪、潤んだ瞳を隠そうとする勝気そうな表情が再び目に入る。
「……」
 赤い眼を細めて口元を歪め、言葉も発さぬまま彼女の柔らかな胸元に顔を埋める。忘れかけていた情欲を突如思い出したかのように、目の前の御馳走を堪能し始めた。
 ……彼女、ジャクリンを誘い込むのは至極簡単だった。彼女はどちらかというと奔放で、炯士の方が付き合わされることもままある。しかし今回は、数週間ホテルに籠もらされているストレスを発散しようと炯士が誘ったのだった。
 ジャクリンの厚い唇を舌先でぺろりと舐めると、悪戯っぽく笑んで囁くように言う。
「何度も俺とこんなことして……ジェダにバレても良いのか?」
 言葉ではそう問いかけながらも、彼女の細い首筋に激しく口付け喘がせる。
「……良いのよ。あんただって分かってるでしょ? 彼は何でもお見通しなんだから……とっくに知ってる」
 何ともないという口振りだが、炯士は見抜いていた。彼女の言葉に込められた……どこか諦めのような感情を。 彼にはそれが面白くて仕方ない。快楽に身を委ねながらも、ジェダヘの想いに身を焦がすジャクリンの姿を見て余計に欲情するのである。
 ここ2、3ヶ月で数度、炯士はジャクリンと目合(まぐわ)った。美しい彼女の身体は、普段同じ女と幾度も寝ようとしない炯士ですら飽きさせることがなかった。
 腰を進ませる度に漏れ出る艶めいた嬌声に夢中になっていると、背後のドアが立てるギイイという音が耳に入ってくる。入ってきたのは、一人の女。
「……ノック位しろよ、不躾(ぶしつけ)だなァ」
 あからさまに不機嫌な声で言うと、ジャクリンから手を離さずにそのまま後ろを向く。思った通り倫子が入り口に立っている。
「……邪魔して悪いんだけど。霧都が呼んでるよ、炯士。急ぎだから早く来いだって」
 倫子が入って来て尚お構いなしに、炯士とジャクリンは暗がりで妖しく動き求め合っている。そんな二人を倫子は冷めた目付きで見ながら、淡々と言う。 
「ちっ……何だぁ? こんな時間に」
 舌打ちして、漸く動くのを止めてジャクリンを引き離す。そのままベッドから出て立ち上がると、不完全燃焼のジャクリンが炯士を恨めしそうに見ている。
「しょうがないだろ、あんたはさっき一回イッたんだから我慢しろよ」
 面倒くさいという目でジャクリンを見下ろしてから、彼は靴を履き横に放り出した服を着始めた。ジャクリンの方も、溜息をつき仕方なく体を起こして部屋の明かりを付ける。
――明るい所で見ると痛々しいわね……
 華奢な炯士の白い背中に無数に刻まれた傷。炯士はシャツを着て再びそれらを隠すと、倫子を一瞥して軽く笑み、部屋から出て行った。
 彼が居なくなると、ジャクリンも衣服を着て鏡台の前に座り、長いブロンドをブラシで梳(す)き始める。
「私にも何か用なの? 倫子」
 炯士を呼びに来ただけではないらしく、倫子は何か言いた気な顔でジャクリンを見つめている。
「良いの? 炯士となんかしちゃって……よくもまあ、あんな子供と……」
 あのような場面を見てしまったのにもかかわらず、倫子は落ち着いていた。ジャクリンと炯士なら、彼女たちの性質上特段驚くべきことでもないのかもしれない。
 ジャクリンは微笑むと、大げさに首を横に振った。 
「炯士が子供? とんでもない。こういうことにかけては十分大人として通用するわよ。あの若さで……一体どこで経験積んだんだか」
 それはジャクリンの正直な感想だった。欲望には従順だが頭は常にクールな彼女が、何度うっかり飲まれそうになったことか。
「……余計なお世話かもしれないけど、余り炯士に深入りしない方が良いと思う。あの子は……」
 ジャクリンは倫子に皆まで言わせず制止する。
「危ないって言うんでしょ? 分かってるって」
 鏡に映った倫子を見ながら、片眉を吊り上げるようにして笑む。
「あんた炯士が怖いんでしょ? 何考えてるかたまに分からないし、一応仲間である私たちのことだって……平気で傷つけたり殺したりできるだろうしね」
 彼女たち『悪魔狩り』は、普通の人間とは違う感覚と倫理感でもって生きている。それでも同じ悪魔狩りとしての仲間意識位は持ち合わせているし、利害が一致する者同士として協力し合っている。しかし炯士はそうした意思さえ持とうとせず、あくまでも自分が相手を気に入るか気に入らないか……気まぐれで判断し行動する。
「でも面白いじゃない? 堅物の霧都なんかよりずうっと良いと思うけど」
 意味深に、わざわざ霧都の話題を持ち出して倫子の反応を見る。
「……とにかく、面倒なことにはならないようにしてよね。ジェダだって……とっくに気付いていると思うよ、貴女たちのこと」
 無理矢理話を切り上げ、倫子は踵(きびす)を返した。彼女が部屋を出ていくのを確認すると、ジャクリンは嘆息して呟いた。
「別に……知ったところでジェダは何も感じないわよ」
 ぽつりと自分から口にしてみるものの、彼女はその自嘲気味な言葉を少しばかり後悔した。ふと大きな窓の外を見ると、ニューヨークの高層ビル街の夜景が目に映る。今のジャクリンには、その見慣れた景色ですら……酷く虚しいものに見えた。




 ジャクリンの部屋を出た炯士は、一つ上の階にある霧都の部屋へとやって来た。
「何だよ、こんな時間に」
 ホテルの部屋にありがちな雰囲気重視の、余り役目を果たしていない照明のせいで薄暗い。椅子に座っていた霧都は炯士の方へと視線を動かし、小さな丸テーブルを挟んだ向かいに掛けるよう促した。
 こんな夜更けに呼び出され、しかも遊びを邪魔されて炯士は少々機嫌が悪い。
「今度こそシゴトの話か? じゃなかったらキレるぞ」
 苛立たしげに足を組んで言い放つと、目の前の霧都が溜息をつく。
「良かったな、楽しい仕事の話だ」
 やや長めの癖の無い髪を後ろで束ね、霧都は抑揚の無い声で言う。
「楽しい? マジだろうな?」
 霧都の言葉に炯士は突然表情を変えた。打って変わって嬉しそうな、弾むような声を出している。
「前回もおまえにそう言われてやる気満々だったってのに、結局全然楽しくなかったじゃねえか。結局ジェダがトドメ刺しちまうし」
 瞳を輝かせながらも疑い混じりに自分を見てくる炯士に、霧都は静かに頷いた。
「ああ……恐らくこれまでで一番楽しい『狩り』だとジェダが言っていた」
 ジェダの名が出てきたためか、炯士はほんの一瞬だけ顔をしかめる。しかし直ぐにまた口元に無邪気な笑みを浮かべ、霧都の話を続けさせる。
「ふうん。まあ話してみろよ? 張り切るのはそれからだな」
――炯士、ジャクリン、倫子、霧都……そしてジェダ。彼らの「仕事」は「狩り」をすること。その獲物は、人間の皮を被って現代に現れた魔の眷属たち。
 『悪魔の末裔』。彼らはこう呼ばれた。
 太古、かのアダムの最初の妻とされながら、神に背き悪魔の王ルシファーの妻となった闇の女王リリス。彼女は魔王との間に何千、何万もの悪魔の子を生した。
 父である神の怒りに触れたリリスは、神によって遣わされた『悪魔狩り』によって滅ぼされ、その子供の殆ども殺し尽くされた。しかし全て死んだわけではない。残り僅かとなった悪魔の子供たちは、母の呪いと共にこの世に残されたという。
――我が刻印の末裔、やがて魔と化し、神の箱庭であるこの世界を破壊し尽くすであろう。
 それがリリスの残した刻印の呪い。
 悪魔の魂は人間の子供に受け継がれ、『リリスの子供たち』、『悪魔の末裔』と呼ばれ始めた。彼らは現代になって世界中に少しずつ生まれ始め、人間社会に紛れて暮らしている。体のどこかに『666』の数字を刻まれており、時が来ると『悪魔』として目覚めこの世を滅ぼす存在になるというのだ。
 末裔たちを今度こそ全滅させるべく、神が再び地上に下したのが炯士たち五人の悪魔狩りだった。元々六人いたのだが、その一人であり倫子の婚約者だったルーク・フェスナーは既に『悪魔』として目覚めた『末裔』との戦いで死んでいる。
 現時点でほとんどの『末裔』はまだ『悪魔』として覚醒していない。自分が『末裔』であることにすら気付いていない者も多い。『悪魔』になるとその人間は自我を失くし代わりに絶大な魔力を得る。そうなる前に、『悪魔狩り』達は彼らを「狩る」。
 悪魔狩りの行う狩りは神によって禁じられた「殺人」には入らない。歴史上繰り返されてきた聖戦と同じように、神の御名によって為されるものと見なされる。
 この「使命」により、炯士たちはこの数年間世界をまわって『悪魔』を殺し続けてきた。そのための準備は全てジェダがしているらしいのだが、資金調達手段等は仲間にすら全くの謎である。
 初めて悪魔狩りとして天啓を受け、仲間を集めたジェダという青年。今では悪魔狩りのリーダーということになっているが、とにかく彼には謎な部分が多いのだ。普段も指示を与える時以外は滅多に姿を現さないし、最近は霧都だけを部屋に呼び、自分の命を他の者に伝えさせることも多い。
「先日殺した二人が、『アビス』のメンバーだったことがわかった」
「『アビス』……?」
 炯士は記憶を辿る。確か『末裔』たちの組織で、悪魔狩りに対抗するためにアメリカ中の『末裔』が集まったものだといったか。
「この数ヶ月で既にアメリカ中の『悪魔』を狩った。だが『アビス』は決して居場所を漏らさぬよう動いている」
 自分たちが獲物として狙われる対象であることを自覚し、団結して悪魔狩りに立ち向かおうとしている。ジェダが『悪魔』の気配を察知し誰かを向かわせても、たちどころに煙の如く姿を消してしまうのだ。
「この前殺った二人から何か手掛かりでも掴めたってのか?」
 察しが良い炯士に、霧都は首を立てに振った。
「彼らが出入りしている店の一つがわかった。この間の二人のうち一方が所持していた手帳に記してあった」
 霧都の言葉に炯士が呆れた顔をする。
「うわっ……バカじゃねえあいつら……ってか霧都、おまえ趣味悪いなァ、あの後あいつらの死体調べたのかよ?」
 確かに仲間との集合場所をそんなところに書いておくのは馬鹿である。あんなに簡単に殺されるとは思っていなかったのだろうか? 『末裔』といってもそのほとんどが炯士達と同じかそれより下の子供であることを考えると、仕方のないことに思えてくる。 
「ジェダは俺とおまえにそこに行くよう言った。わかったのは場所だけで奴らがいつ来るかまではわからないから、数日張るようにと」
「数日張る!? 面倒くせえ……大体もし殺した奴らの手帳に店の名前書いてあること奴等が知ってたら、いくらバカでももう来ねえんじゃないか?」
「数日張る」「いつ来るかわからない」、これで炯士はいくらかやる気を無くした。
「ジェダが『間違いなく数日中に来る』と言っている」
 真面目な顔で言う霧都に、今度は炯士が嘆息した。
「またそれかよ。ほんっとおまえって『ジェダ崇拝』してんのな」
 ジェダは悪魔狩りの中でも「最も神に近い」者とされ、未来を見通せる力があるらしい。彼が断言すると必ずそうなる。
「少しくらい我慢しろ。それにうまくいけば、一気に奴らの本拠地を叩けるようになるかもしれないぞ」
 それを聞いて再び炯士の機嫌が戻る。霧都の言う通り、成功すればこれまでにない盛大な「狩り」ができる。
 殺せるか、殺せないか。これだけで感情をコロコロ変える炯士は単純で、子供っぽく見えるがある意味仕方のないことだ。とにかく彼の頭には「殺し」しかないのだから。
 炯士は右手で自分の額を抑えた。身体の奥から熱くなり、興奮を覚え始めたのだ。それはどこか、つい先程ジャクリンを抱いていた時のものに近かった。
「ワクワクするなァ……待ってらんねーよ」
 心底から楽しそうな彼を残して霧都が立ち上がる。そして深夜であるにもかかわらず、どこか部屋の外へ行ってしまった。

 


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