小説『The Last Judgement―最後の審判―【完結】』
作者:亜薇(楽園喪失)

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<2>神の狩人


 日が落ちかけている頃、炯士と霧都はマンハッタンの五番街を並んで歩いていた。
 炯士は一年程、霧都は炯士と出会う前と合わせて一年半程アメリカに住んでいる。しかしニューヨークに来たのは数か月前で、この世界的に有名な観光地を訪れるのは二人とも初めてだ。
「……ウザい位人だらけだな。かくれんぼするには絶好の場所だよなァ」
 ここはニューヨークのメイン通りであり、世界各地からの観光客が混ざって行き交っている。既に欧米暮らしが長い二人は完全に街に溶け込んでおり、旅行者にはとても見えなかった。
「炯士、念の為言っておくがくれぐれも……」
 足早に歩いて行く炯士に霧都が念押しする。すると炯士は、彼の言葉を途中で遮りうんざりした声で言った。
「ハイハイ、殺しませんよ……奴等の情報吐かせるまでは」
 こうして最初から打ち合わせをしていても、炯士にはそれをすっかり忘れる……もしくは平気で無視をする悪い癖がある。
 今回もどうせ霧都との約束、そしてジェダの命令を守らず自分の好き勝手にやるだろうと、霧都は予測していた。そもそも炯士に対し『規則』に『約束』、『作戦』や『命令』等、何の役にも立たない。リーダーのジェダに従ってはいるが、それも何時まで続くか全く分からないのだ。
 最も人の多い通りを抜け、暫く歩くと横道に逸れる。初めて来る場所であり、地図等見ていないにもかかわらず、何度も歩いている道であるかのように霧都はどんどん進んで行く。
「……おまえ、ここ最近悪い遊びが過ぎているらしいな」
 表通りから外れて人が少なくなった辺りで、霧都は再び口を開いた。
「……?」
 霧都の問い掛けが、炯士には始め何のことだか分からないようだった。
――ああ、ジャクリンのことか。
「仕事に差し支えなけりゃあいいだろ。俺もあいつも溜まってるんだよ」
 悪びれもなく、炯士は笑って答える。
「あいつを放っておいているのはジェダだし、代わりにジャクリンを慰めてる俺が文句言われるのはおかしいだろ」
 当然だとでも言いた気な炯士に、霧都は軽く溜息をつく。
「それは感心だ。慰めるなんて考えがおまえにあるなんてな」

 その嫌味に、炯士は舌を少し出して笑った。
――日が落ちる。
 霧都は高い建物に囲われた狭い空を見上げる。
「そろそろ急ぐぞ」
 横目で炯士を一瞥して、歩く速度を上げる。
――前回のように、ジェダの手を煩(わずら)わせなければ良いが。







「あんたって最低ね」
 日が沈みかけ、暗くなりつつあるというのに明かりを付けていない部屋。静まり返った空間に響くのは、容赦なく『彼』を軽蔑するジャクリンの声。
「久しぶりに会って第一声がそれか」
 青年はゆっくりと椅子を回転させ、背後にいたジャクリンの方に体を向ける。
 穏やかに……見た者を優しく包み込むような微笑、恐ろしく整った容貌、神に選ばれた聖者の如き異質な輝き……この青年こそがジェダだった。
 ジェダの光に吹い寄せられるように、ジャクリンは身を屈めて自分の頬を彼に近付ける。
「最低はお互い様だろう?  僕が……美しい君をこの上なく愛するこのジェダが、君の行動に心を痛めていないとでも?」
 ジャクリンの耳元で、落ち着いた低い声で言うと、すうっと上げた右手で彼女を引き寄せ金の髪を撫でる。
「……炯士達の仕事。あれはもちろん罠だって分かってて行かせたのよね?」
 ジャクリンの問いに、彼は再び微笑んで答える。
「炯士には少し刺激がないとつまらないだろうと思ってね。前回は彼の楽しみを奪ってしまったし」
 先日炯士が『獲物』を追いつめ『悪趣味』な方法で痛めつけていた際、見かねたジェダは間に割って入った。そして、『死んだ方がまし』だと言いたそうな少年を哀れに思い、慈悲深くも望みを叶えてやったのだ。
「……この国での『狩り』ももうすぐ終わる。僕達の仕事も『仕上げ』段階に入る」
 自分の膝にジャクリンを座らせると、彼女の青い瞳を覗き込む。
――綺麗な……ガラス玉みたいな瞳。
 ジャクリンは知っていた。誰をも魅了しながらも、彼の瞳は誰をも……何をも映し出すことがないことを。
「使命が終わったら、私達はどうなるの?」
 彼女は両手をジェダの背中に回し、首を傾けて尋ねる。するとジェダは、ジャクリンの髪を上げて額にそっと口付けた。
「……君の知っている通り。神の言われた通りだよ」
――さすれば我に従う者 愛しき子等よ
  そなたらに光ある天への道が開かれるであろう――
 ジャクリンは目を閉じる。自分の唇にジェダのそれが触れ、さらに彼の舌が口の中に押し入ってくるのを感じながら。
「可愛いね……やはり君は可愛い。そんな君が、僕はたまらなく愛しいんだよ? なのに……」
 待ち焦がれた男の腕が、指が……そして舌が、自分を満たしてくれる。それがジャクリンにとっては嬉しくも、この上なく悔しくもある。
 彼女には、ジェダが声に出さず心の中で発する言葉が良く聞こえる……気がしていた。
『炯士のような子供に身体をくれてやってまで、僕にこうして……愛して欲しかったのだろう?』
「んっ……!」
 彼は何時も、こうしてさんざん焦らした後息も出来ない程熱い口付けで……彼女を惑わし虜にさせる。そして、全てを奪い去る。
――ああ、聞こえる。私の身体を、心を侵しながら……ジェダが嘲笑い繰り返している言葉が! 
『ジャクリン、君は愚かだ。僕が君を本当に愛しているなんて、思っていないだろうね?  だからこそ当てつけに炯士と寝ていたんだね?  そんな君は……とても可愛いよ』








 炯士と霧都が『mask』というバーを見張り始めてから、早くも三日経過した。
 メイン通りから外れているせいなのか、その三日とも客足はかなり少ないものだった。地元の者しか利用しないようで、特に変わった怪しさはない。
 夕方訪れ客として入り込み、朝になってはホテルに帰り今日で四日目。今夜も既にカウンターの時計が深夜十二時を指している。
 言うまでもなく霧都は文句も言わず、それと怪しい者がいないかどうか目を光らせていたが、炯士の方は早くも我慢の限界だった。二日目からイライラした様子で足を揺らし、時折舌打ちしながらぶつぶつ愚痴をこぼしている。
「……マジうぜえ……ぜってえ出てきたら殺す……俺に殺らせろよ霧都……」
 霧都にとっては、忍耐という言葉を知らない炯士が三日もキレることなく我慢していることが意外だった。
「こんなとこでジッとしてるだけで……有り得ねえ。今日こそは殺るか犯るかしないと気が済まねえ」
 炯士は感情の起伏がとても激しい。機嫌が良い時も悪い時も、傍から見れば一発で判る。
「炯士、俺が言ったことを覚えているな?  絶対直ぐには殺すなよ」
 そう言ったところで大した効果が無いことを知りながらも、霧都は念押して言う。
「ああ……安心しろ、死にたくなる位痛めつけて用が済んだらなぶり殺してやるぜ」
 その場面を思い浮かべたのだろう、今度は楽しそうに下唇を舐めている。
「……気付いているか?  今日はこれまでと様子が違う」
 いつもカウンターにいるはずの店主が今夜は何時の間にいなくなってしまったし、残された客は既に霧都達だけだった。
「ああ、何となくな」
 吐き捨てるように言うと、ズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。彼の頼れる凶器、愛用のバタフライナイフがしっかり収まっている。
 時計の秒針の音だけが規則的に沈黙を揺らす。
 炯士は右手でポケットの中のナイフを弄び、左手で氷が溶け切った水を飲み干す。
……やがて閑寂が、カチャリという音で破られた。それは炯士がナイフをいじる音でも、グラスをテーブルに置いた音でもない。
 不意に後頭部に固く冷たいものが押し当てられるのを感じて、炯士は僅かに口角を上げる。背中から聴こえて来たのは震えを必死で抑えながら発せられる声。知らない少年の声だった。
「死ね」

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