小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 僕は製紙工場の操業準備や活版印刷機の開発が一段落すると、カトレアの病気の治療のための準備を始めた。

 彼女の病気の原因は、肺を圧迫している肥大化した組織と異常な量の魔力の二つだ。前者はこれを切除しなければならないので、外科的な治療方法を採らざるを得ない。これについては、必要な器具や設備をそろえる必要がある。後者は体内の魔力を吸い出す方法が必要になるが、こちらについても何か手立てを考えないといけない。

 まず、僕は肥大化した組織を切除する方法について検討することにした。
ここハルケギニアでは、メスを始めとする手術器具を調達するのは困難だ。そこで、僕は魔法でこれを代用できないか考えた。
 風の魔法に『ブレイド』という魔法がある。杖の周りに魔力を纏わせ、刃を作り出す魔法だ。込める魔力を調整すると刃の長さや厚さを調整することができる。そこで、この魔法を利用して魔力のメスを作ることにした。これなら切れ味は申し分ないし、衛生的にも問題が生じることはないはずだ。

 それに加えて、麻酔が必要になるな……。
 この点、僕は『スリープクラウド』という水の魔法を麻酔に利用することにした。この魔法は、催眠効果のある魔力の霧を生み出し、相手を眠らせる魔法だ。この魔法を利用して、麻酔の代わりにすることにしたのだ。しかし、スリープクラウドのみでは、睡眠が浅く、麻酔としての効力が弱い。そのため、僕は母から学んだ薬草学の知識を活かして、水の魔法の効力を増幅させる秘薬も併用することにした。これにより手術に耐えうる、十分な麻酔を行えると思う。

 次は、手術する際の術野の確保だな……。
 これには解析の魔法『ディテクトマジック』を使えば事足りるだろう。この魔法を使えば、直感的に彼女の状態を知ることが出来る。出血しても術野が潰される心配はない。
 ただ、ここで大きな問題が生じる。この世界では複数の魔法を同時に発動することはできない。そこで、僕はマジックアイテムを利用することにした。ディテクトマジックの魔法を封入したマジックアイテムを使えば、ブレイドの魔法を使用しながらディテクトマジックを使えるはずだ。

 あとは、彼女の異常な量の魔力をどうにかする手段を用意しないとね……。
 そこで、僕は現代医療の治療方法の一つである、人工透析に着想を得ることにした。マジックアイテムの材料として使われる魔法金属は、魔力を吸収する性質がある。そのため、この金属で作った腕輪を絶えず身につけていれば少しずつ体内の魔力を吸収することができ、体内の魔力量を適切な量まで、徐々に減らすことが出来るだろう。

 僕は自分の考えをまとめると、活版印刷機を作るときにお世話になった職人達の仲介で、王都でも腕利きのマジックアイテムの鍛冶師を紹介してもらった。彼らの紹介ということで、鍛冶師の方も僕の依頼を快諾してくれた。

 数日後、僕の元には小さな片眼鏡のモノクルと、意匠の凝った腕輪が届けられた。モノクルにはディテクトマジックの魔法が封入されていて、魔力を込めるとスペルの詠唱なしでディテクトマジックの魔法を発動できる。腕輪はモノクルと同じ魔法金属で作られているが、こちらには何の魔法も込められていない。施された細工は活版印刷機の開発に協力してくれた金属細工師の自慢の一品らしい。ヴァリエール家のお嬢様に贈ることを知った彼が、無駄に張り切って作り上げたらしい。
「これなら彼女のハートを射止められること、間違いなしですぜ」と、親指を立てて渡されたときは思わず顔が引きつってしまった。

 まぁ、なんにせよ……これでカトレアの治療に必要なものは揃った。あとは練習あるのみだ!
 それから僕は農村から家畜の豚を何頭か購入し、ブレイドの魔法で作ったメスの切れ味や使い心地を確認しつつ、その技術を磨いた。大学時代には実習で何度かメスも使ったが、医大生の身分であった僕が、自ら執刀して、手術に臨んだことは一度もない。
 毎日朝から晩まで、豚の体を何度も何度も魔法のメスで切りつけた。そんな僕の様子を家族のみんなは遠くから生温かい目で見守っていたらしい。しかし、「シリウスのやることだから仕方ない」と納得されたのは、甚だ不本意であった……。

 練習に取り組むこと一ヶ月。自分でも納得できるだけの技術を身につけることが出来た。もうしばらく豚は見たくないな。手術のシミュレーションも幾度となく繰り返したし、あとは状況に応じて臨機応変に動くしかない。

 そして、僕はカトレアとの約束通り、彼女宛に手紙をしたためた。それからしばらくすると、カトレアから話を受けたヴァリエール公爵から、来訪を許す旨の返事が届いた。
 僕は手紙を受け取ると、急いで準備を進めた。そして、ようやく今日、公爵のお屋敷に向けて出発することになった。前回のルイズの誕生日会のときと違い、今回は一人での公爵邸訪問になる。

「では、父上、それにみなさん。行って参ります」

「うむ、気をつけていくのだぞ。公爵様に失礼のないように。まぁ、お前なら何の心配もないであろうが……」

「はい、気をつけます」

「お兄様……気をつけて行ってらして下さい」

 ナタリアが僕にそう声をかける。なんだか元気がないような気がする。

「ありがとう。ナタリアも病気をしないようにね?」

「シリウス、ヴァリエール公爵の家は三姉妹だよな? お前ならやってくれると信じてる」

 フランがいい笑顔でサムズアップを決めてみせる。何を馬鹿なことを言っているんだ……。

 そんなフランの言葉に、僕が少し呆れていると、ナタリアがフランのわき腹に思い切りひじ打ちを打ち込んだ。

「ぐわぁぁぁぁっっ」

 ナタリアの脇でフランが悶絶して、転げまわっている。

「しかし、毎日毎日、豚を切り刻むお前を見て疑問に思っていたのだが……まさかカトレア様の治療方法を研究していたとはな。私も含め、みんな、とうとうお前の気が触れたのではないかと心配していたのだよ」

「父上……それはあんまりです」

 とうとうって……なんという物言いだろう。涙が出そうになる。

「ふむ、お前は医師を志しておったのう。思う存分腕を振るってきなさい」

「はい、それでは行ってまいります」

 僕はそう言うと、治療に必要な道具を入れたカバンを手に持ち、後ろに控えさせていた馬車に乗り込んだ。御者席にはミスティが座っている。彼女が手綱を振ると馬車はのんびりと街道を走り出した。















 前回と同様の二日ほどの旅程を終え、僕は再びヴァリエール邸を訪れた。馬車で大きな正門をくぐり、左右に長い屋敷の真ん中に位置し、意匠をこらした玄関を抜けるとヴァリエール公爵家の面々が僕を出迎えてくれた。

「お久しぶりです、ヴァリエール公爵様。半年前にもご挨拶いたしましたが……ヴィルトール伯爵家長男、シリウス・ド・ヴィルトールです。これからしばらくお世話になります」

「うむ、よく来てくれた。歓迎しよう」

「ありがとうございます」

「久しぶりですね、シリウス」

「お久しぶりです、カトレア様。お元気そうで何よりです」

 カトレアが前回会ったときと変わらない笑顔で笑いかけてくれる。

「シリウス!? 今日の来客ってあなただったの? 新しいお医者様が来るって聞いていたから、あなたとは思わなかったわ……」

 ルイズは僕のことを知らされていなかったのか、驚いた様子でこちらを見ていた。まぁ、医者と聞いていたのに僕が来たら驚くよね。

「お久しぶりです、ルイズ様」

「なんだ、ルイズ。シリウスと知り合いなのか?」

「あうぅ、えっと…そうです! 誕生日会のときに挨拶されて、それで覚えていたんです」

 ルイズは少し慌て様子でそう答えていた。

「そうだったのか。では、シリウス、さっそく君の話が聞きたい。私たちは2階のテラスに行くとしよう。カリーヌとカトレアもついて来なさい」

「お父様、私も彼の話に興味があるので、ご一緒してよろしいでしょうか?」

 金色の髪の眼鏡をかけた女性がヴァリエール公爵に声をかけていた。柔和なカトレアとは違い、少しだけ釣りあがった目元が気の強さを印象付ける。

「まぁ、お前なら構わないだろう。よろしい、一緒について来なさい」





 僕は公爵様の案内で、二階のテラスに通される。ミスティはヴァリエール家の侍女に案内され、僕が滞在する客間に荷物を運んでいった。テラスにあるテーブルのイスに腰を掛け、ヴァリエール家お抱えの侍女が優雅にお茶を注いで回る。侍女が用意を終え、後ろに下がると、公爵様がおもむろに話を始めた。

「先に紹介しよう、長女のエレオノールだ」

 そう紹介を受けると、金色の髪の眼鏡をかけた女性が頭を下げた。カトレアと違って、少しばかり気の強そうな印象だが、二人の妹たちと同様にとても美人な女性であった。

「あなた、カトレアの治療をすると言っていたけど本気? 多くの医者が治療しようとしてもダメだったのよ? それにもかかわらず、あなたのような小さな子供が、カトレアを治療できるとは到底思えないわ。もし嘘だったなら、子供とはいえタダじゃおかないわよ?」

 エレオノール様は鋭い目つきでこちらを睨む。ヴァリエール公爵もカリーヌ夫人もやはり同じ気持ちなのだろう、黙ってそのやりとりを見つめていた。まぁ、これは当然だろう。僕はまだ14歳の子どもだ。しかし、引き下がるわけにはいかなかった。

「はい、嘘ではありません。始祖ブリミルとこの杖に誓いましょう。もし、私が言葉を違えたならば、喜んでこの首を差し上げましょう」

 僕は、姿勢を正してエレオノール様に向き直り、杖を胸の前に掲げそう言い放った。エレオノール様も公爵様も、僕の返答に驚いた様子で目を見開いている。ただ、カトレアは一人、楽しそうにそんなやりとりを見つめている。

「言うわね、あなた。気に入ったわ。じゃあ、話を聞かせてもらおうかしら? カトレアをどうやって治すつもりなの?」

「はい。そもそもカトレア様の病気の原因は大きく分けて二つあります」

「ほう」

 ヴァリエール公爵は興味深そうに相づちを打つと、続く言葉を待つ。

「まず、カトレア様の肺には生まれつきの疾患があります。これがカトレア様の発作や発熱の原因となっているのです。実は、治癒魔法は身体を元の状態に戻すことにより治療を行なうのですが、生まれつき疾患のあるカトレア様にはこの魔法は効果がないのです。そのため、魔法では発作や発熱を一時的に抑えることが出来ても、根本的な解決にはなりません」

「なんと!?」

 カトレア以外の三人は驚きの表情を浮かべていた。

「確かに、それが事実なら多くのメイジが、どんな魔法や秘薬を使ってもカトレアの状態が良くならなかったのも頷けます」

 静観していたカリーヌ様も得心がいったという顔で頷いている。

「そこで、私は治癒魔法によらず、肺にある異常な部位を、直接切り取ってしまおうと考えています」

「そ、そんなことをして大丈夫なのか?」

 ヴァリエール公爵が心配そうな顔でこちらを見つめている。娘の体にメスを入れるというのだから、その心配も当然だろう。

「はい、切り取る部位は、体とってもともと不要な部分です。実はこの半年の間、この切除を安全に行なうための魔法の開発と練習を行なっていました。簡単に概要を述べると、ブレイドの魔法を使い、カトレア様の体からカトレア様を苦しめている組織を切り取ることになります」

「そんな治療法、私の勤める王立魔法アカデミーでさえ見たことも聞いたこともないわよ!?」

 エレオノール様が驚いていた。まぁ、外科的手法は現代医療の考え方だからね。

「魔法は便利すぎるのです。人はその便利さ故に、なぜそのような現象が起こるのかについてしばしば無頓着です。治癒魔法がなぜ人の怪我を癒せるのか? どうして練金の魔法が石ころから金を作り出せるのか? 魔法の技術を磨くばかりで、そういったことを考えようとしません。考えなくても魔法が全てを可能にするからです。そして、魔法を万能の技術と勘違いし、それが通用しない場面に出くわすと途方に暮れる……そんなことを繰り返してしまうのです」

「なんと……」

「魔法は数ある手段の一つに過ぎません。確かに、治癒魔法は便利ですが万能ではありません。そのため、私は治癒魔法以外の治療方法を研究してきました。例えば、魔法や秘薬が人体にどのように作用するのか? 怪我とは病気とは一体何なのか? 人の体の構造を調べるために人の死体をいじった事もあります。そんな研究があったからこそ、カトレア様の体の異常をつきとめ、その治療方法を考え出すことが出来たのだと思います」

「……」

 三人とも、あまりの驚きに言葉が出ないようであった。魔法が支配するこの世界では、魔法の絶対性は揺るがしようのない前提だ。それを、僕は根底から覆すようなことを言っている。そのような驚きも当然のことだろう。

「すまなかった……」

 突然、ヴァリエール公爵は頭を下げた。

「急にどうされたのですか、公爵様。頭をお上げ下さい」

「カトレアから話を聞いたとき、私は半信半疑だった。こんな子供が、経験豊かなメイジたちでさえ匙を投げたカトレアの病気を、治せるわけがないと……。私は君を侮っていた。しかし、君の話を聞けば聞くほど、自身の認識の甘さに気づかされたよ」

「私からも謝るわ。あなたの言葉は、アカデミーに勤める他のどんな研究者よりも、ずっと納得できるものだった。あなたの若さを嘲(あざけ)った私を許して欲しいわ」

 ヴァリエール公爵とエレオノール様は僕に頭を下げた。

「お二人とも、頭を上げて下さい。僕はまだ何もしていません。現時点では、僕は偉そうに高説を披露しているだけの子供に過ぎません。カトレア様が回復したとき、みなさまで笑ってお祝い致しましょう」

「ふむ、そうであるな」

 ヴァリエール公爵は笑ってそう答えた。

「だから言ったでしょ? シリウスなら大丈夫。私は彼を信じていましたもの」

 今まで、ずっと事態を見守り続けたカトレアは、ようやく口を開くと、嬉しそうにそう言い放った。カトレアの強かさに、三人はお互いに視線を合わせると、笑みを浮かべる。



「そして、カトレア様の病気のもう一つの原因としてカトレア様の魔力が常人の許容量をはるかに上回っていることが挙げられます」

「魔力が?」

「はい。カトレア様は魔法を使うと発作を起こすそうですが、これは魔法を行使すると体内の魔力が活性化し体に無理な負担がかかるためと考えられます」

「確かに、それなら辻褄があうな」

「そこで、これをしばらく身につけて頂きます」

 そういって、僕は魔法金属で作られた腕輪をテーブルの上に取り出した。

「あら、素敵な腕輪ね? これを私に?」

「はい、カトレア様のために作らせました」

「ありがとう。男の子からのプレゼントなんて初めてだからとっても嬉しいわ」

 カトレアは嬉しそうに腕輪をはめ、ご満悦の様子であった。

「この腕輪は、マジックアイテムの原料になる魔法金属で作られています。この魔法金属には、魔力を吸収する性質がありますので、これを常に身につけてもらうことで、体内の魔力を少しずつ減らすことができると考えました」

「なるほどな……頼んだぞ、シリウス君。カトレアを助けてやってくれ」

「はい、もちろんです。何にかえても、必ずカトレア様をお救いしてみせます。そのために、私がここにいるのですから」

 僕がそういうとヴァリエール公爵は満足そうに頷き、傍にいるカトレアは少し赤くなって笑っていた。
 治療方針をヴァリエール公爵たちに話し終え、僕はあてがわれた客間へと案内される。しばらくはカトレアの治療のためにここに滞在することになる。さて、頑張らなきゃな。





 次の日から、カトレアの治療のための準備が始まった。手術は体力の消耗が激しいので、まずはカトレアの体力を回復させることにした。

 そのために、まずは食生活の改善に手をつける。ヴァリエール家は大貴族の家であり、その食事もさすがに豪勢である。どうしても油や塩の量が多く偏った食事になっている。そこで、お抱えのコックに、油や塩を少なめにさせ、野菜や果物中心のバランスの良い食事を提供するようにお願いした。

 次に、カトレアには少しずついいので運動をしてもらうようにした。とはいえ、いきなり激しい運動は無理なので、一緒に庭を散歩して回った。発作が起きたとき、すぐ対処できるように、僕も彼女の散歩には毎回付き添う。散歩中には二人で色々なことを話した。気がつけば、ルイズも一緒に散歩するようになり、賑やかな散歩となっていった。そして、一週間も経つ頃には、カトレアの散歩の距離も伸び、体力は順調に回復し始めた。

 またその頃には、彼女につけてもらっている魔法金属製の腕輪に魔力がたまり、彼女の魔力もかなり減ってきた。魔力を吸収した腕輪は強い光沢を放つようになり、もう一週間もすれば体の負担もかなり少なくなるだろう。

 治療が順調に進むにつれ、カトレアが病状を回復させていくのが分かると、僕は嬉しさを隠せなかった。このまま順調に行けばいいのだが……。

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