小説『ハルケギニアの青い星』
作者:もぐたろう()

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 ヴァリエール公爵邸でのルイズの誕生日会から屋敷に戻りしばらくすると製紙工場の操業準備が大詰めを迎えた。

 まず、工場の建設地の選定が最初の難関だった。
 
 第一に、『紙』の原料となる木材の産出場所である林場の近くであること、輸送路の確保の観点から街道の近くであることが必要となった。その方が、材料調達や運搬コストを削減をすることができ、価格を安価に抑えることができるからだ。

 第二に、水場の近くである必要がある。紙の製造はパルプを取り出すために木材を煮込み、できたパルプから異物を排除するために洗浄をおこない、それを水に溶かし梳()いて紙にするという工程を経る。そのため、各過程で多くの水を必要とするからだ。
 この条件に合致する場所を屋敷から馬で半日ほどの距離の場所に見つけ、ここをヴィルトール家直営の製紙工場の建設地として工場の建築を進めることになった。





 そして、一番大きな問題は生産体制をいかに整えるかだ。その話し合いのために父の執務室に僕やフランが集まり、連日議論を重ねている。

 まず、紙の製造のためには木材を煮込みやすいように粉々にしてチップに加工する必要がある。だが、これを人力で行なおうとすると効率が悪いし、費用も高くなる。そこで、これをどのように行なうかが問題となる。

「父上、木材の加工には父上が召抱えている風メイジに協力させるのがよいかと思います。彼らの訓練の一環としてこれをおこなわせるのです」

僕はヴィルトール家で召抱えている風メイジを利用することを提案した。

「おお! 確かに、それなら早く簡単に木材を加工できるな」

 フランが僕に相づちをうつ。

「フラン、それだけじゃないんだ。これにより風メイジを普段から有効に活用できる。もともと風メイジは戦闘能力は高いんだけど土や水のメイジに比べて応用が利かないんだよ」

 土メイジや水メイジは街道の補修や医療活動といった活動に当たらせることができるが、風メイジは戦闘や諜報には向くものの領内の諸活動には不向きだった。しかし、これにより風メイジの魔法を普段から活用できるようになれば費用対効果の面でもうま味が大きい。

「ふむ、いい考えだ。領軍の方とも調整を行なわせよう」

 メイジを雇う費用に頭をかかえない領主はいない。メイジの人件費はメイジではない兵士と比較してはるかに高いからだ。そのことをよく知る父は僕の提案のメリットを正確に理解しているようだった。





 次に、紙の製造に必要な化学薬品の確保が問題となった。紙の製造のためにはアルカリ性の薬剤と一緒に木材チップを煮込む必要がある。これには苛性ソーダを用いるのが一番だ。しかし、その製造は塩水の電気分解によることになるが電気が普及していないこの世界においてこれを作るには魔法を使用する必要がある。だが、それでは十分な量を用意することができないのだ。

「父上、生産ラインを高品質の紙と低品質の紙の二つに分けてはどうでしょうか? 高品質の紙の製造にはこの薬品を使うことにし、低品質の紙の製造には領内で取れる石灰などで代用することにすれば十分な量の薬品を確保できるでしょう」

「それならこの薬品をあまり使わないで済むな」

「フラン、それに加えて紙を白くする漂白剤を使うのも高品質の紙に限れば漂白剤も必要な量を十分に確保できるよ」

 紙をより白くするためには電気分解の際に生じる塩素を漂白剤として使用することになっている。こちらも、苛性ソーダ同様にあまり量を作ることができないので、この点においても品質に応じてラインを二つに分けることには大きな利点がある。

「だが、それならいっそのことすべて石灰などを使えば良いのではないか? 紙を白くする薬品を使わなくともそれなり紙は作ることができるのだからな」

 父が当然の疑問をぶつける。どちらの薬品を使わなくともそれなりの品質の紙を作る方法はすでに実験で検証されている。

「父上の疑問も当然ですがこれには狙いがあります。これらの薬品を使った紙の品質は他の業者などが作る紙の追随を許さないでしょう。そして、この高品質の紙は王宮に買っていただきます」

「ふむ、その目的はなんだ?」

「王宮で使われているという『王室御用達』という看板が必要なのです。これにより我が領の紙は高い信用を獲得できます。そうなれば、品質の低い紙についても売上の上昇が期待できるでしょう。また、これにより今後あらわれるであろう競争相手とも差別化を図ることができるというものです」

「確かに、王宮で使っている紙となれば貴族たちはそっちを選ぶだろうなぁ。貴族ってみんな見栄っ張りだし」

 フランは茶化して言うが、フランの言葉は物事の核心を捉えていると僕は感心していた。

 最後に周辺環境への配慮が問題だった。前世で工業化の弊害として様々な公害の事例を学んだ僕には、無計画な製紙工場の操業により様々な環境被害が拡大することが予想できた。そこで、父上に環境被害についての示唆を行い、その予防策を提案することにした。

 まず、廃液の問題がある。農業を主産業とする我が領地において水資源の汚染は致命的といっていい。そこで、苛性ソーダや塩素を含む廃液は一度集めてから中和し、魔法などを用いて無害な水に戻してから川に流すことを提案した。ラインを二つに分けたことにより有害な化学物質を含む廃液の量を減らすことができたので数人のメイジがいれば事足りることが大きい。また、廃液の一部は燃料にもなるのでこれは木材を煮込むための釜の燃料として再利用することにした。

 もう一つの問題として、材木の過剰伐採による森林被害の影響が考えられた。山から木を切り出してばかりでは、山の保水作用が減少し洪水や土砂崩れの原因となる。そこで、木の伐採と並行して植樹を進めることを提案した。多少コストはかさむものの、目先の利益だけを見ていては足元をすくわれかねない。もともと、我が領は林業が盛んなだけあって植樹の技術が領内にあったのでこれを活用することができる。

 そして先日、工場の建設や従業員の雇い入れ及び技術指導を終え、ついに製紙工場の操業を開始した。現時点で生産された『紙』は屋敷や懇意にしている商会で試験的に使用されるに留まっているが、その過程で生じた問題点の改善が終わればいよいよ市場へと送られることになるだろう。















 また、僕はせっかく紙を安価で利用できる準備が整いつつあったのでその利用法についても並行して準備を進めていた。

 この世界において本は基本的に手書きで書かれる。写本屋という職業の者たちが一冊一冊本を書き写していくのだ。当然、一冊の本を書き写すのには膨大な時間がかかるので必然的に本の価格は高価なものになり、本を手にすることができるのは貴族を始めとする一部の上流階級の者に限られてしまう。一応、印刷技術もあるのだが、木版を利用するもので一枚ごとに新しい木版を作らなければならないので同様に手間がかかる。そのため、本の価格を抑えることができない。

 そこで僕は本の価格を抑え、いずれは平民も本を手にできるようにするために活版印刷技術の導入を決めた。活版印刷は一文字ずつを文字を分解してハンコ状の活字を作り、これを原稿に従って組み上げることで印刷の元になる版を作るものだ。木版と違って文面ごとに一から版を作り出す必要がなく、版の作成も比較的容易なので印刷コストをずっと下げることができる。この世界の文字はアルファベットに似ているため文字数は日本語などと比較してはるかに少なく、活版印刷の利用に適しているのも大きい。僕は百科辞典を参照しつつ、活版印刷技術の概要を羊皮紙にまとめると父の執務室に提案しに向かった。

「またお前は性懲りもなくとんでもないものを持ってくる……」

 父は相変わらずの僕に呆れて頭を抱えている。父のこのような姿を見るのは何度目だろうか。そんな父に申し訳ないという気持ちから素直に謝罪の言葉を口にする。

「いや、構わない。最近はこんな状況を楽しんでいる自分がいることに気付かされる。しかし、これは面白い。確かにこの技術を利用すれば多くの本を安く印刷することができるようになるだろう」

「はい。現在、本の多くは貴族などの一部の者しか手にすることができません。これは本の価格が高価であることが原因です。本の価格を下げることができれば、平民も本を手にすることができるようになると思います」

「しかし、平民の身で文字を読むことができる者は決して多くないぞ。それにもかかわらず平民に本が広まるだろうか?」

 父上は当然の疑問を口にする。

「確かに、現状では本を読むことができる平民は少ないかもしれません。しかし、それは平民が文字を読めるようになる必要がないからです。平民でも文字の読み書きが必要な商人などは文字の読み書きを学びます。本が安価で流通するようになれば平民も本を読む必要に迫られ、いずれ識字率は上昇すると思われます。もちろん、これはただちに結果を伴うものではありませんが、長い年月をかけて確実に進むでしょう」

「なるほどのう…」

「紙をもっとも必要とするものは本です。文字を読める平民が増え、本の需要が増えれば紙を生産する我が領地としても利益があることに間違いはありません」

「わかった。では、この一件はお前に一任しよう。資金が必要なら遠慮なくいいなさい。必要な額を都合しよう」

 父は僕の話に頷いて納得すると、そんな言葉を口にした。

「ありがとうございます、父上」

「よい。堆肥や鉄製の農具の利用などにより税収は順調に伸びている。お前の提案した農法も着実に成果を上げているようだし、今後の税収もきっと伸びていくだろう。紙の生産が始まれば税収以外の収入が増えることも予想できる。これも全てお前のおかげだ」

「必ずや父上の信頼に応え、成果を出してみせます」

 父が僕に仕事を一任してくれたのは実はこれが初めてであった。僕はそんな父の信頼がなんだか嬉しかった。
父から予算をもらった僕は父の紹介を経て、領内の鍛冶師ギルドから彫金などの金属加工に優れた鍛冶師を何人か紹介してもらった。そして、彼らに印刷に必要な文字を彫った活字と呼ばれるハンコを大量に作成することを依頼した。最初はその奇妙な依頼に首をかしげていた鍛冶師たちであったが、活版印刷機の構想を話すとこんなにやりがいのある仕事はないと張り切って仕事にあたってくれた。

 さらに僕は並行して、活字を組むための台や組み上げた版を使って印刷をするための印刷機の製作も進める。活版印刷機の細部までは分からない僕に対して、鍛冶師の人たちは職人の立場からいくつもの改善案を提案してくれた。その度にみなで集まって、ああでもないこうでもないと検討を重ね、数週間の作業の末にようやく試作品を作り上げた。
 製紙工場のほど近くに印刷所の建物を建て、必要な人員も雇い入れる。従業員の研修も兼ねてできあがった印刷機の試し刷りが行なわれることになったのだが、僕はその最初の原稿については早くから考えがあった。

 この世界の医療は基本的に魔法で行なわれる。そのため、医療技術がまったくと言っていいほどに進歩していない。水メイジの治療は非常に高価で、その恩恵に与(あずか)れるのはやはり貴族などの特権階級に限られる。そのため平民は基本的に自然治癒に頼るしかない。
 そこで、僕は前世で学んだ医学の知識とこの世界で学んだ薬草学の知識を活かして、簡単な病気の予防法や治療法をまとめた本を書きあげた。ハルケギニア版家庭の医学といったところだろうか。その内容は風邪や破傷風、熱中症といった一般的な病気の症状やその予防法、治療法を簡単にまとめたものになっていて、内容も厳選したので30ページほどしかない。村にも村長を始めとして何人かは文字を読むことができる者がいる。これを各村に配るだけでも、今後の村の医療環境が少しは改善されると考えている。

 そこで、このハルケギニア版の家庭の医学を完成した活版印刷機で刷り上げ始めた。実際に印刷をおこなう中でいくつもの問題点が浮き彫りとなったが、その度に鍛冶師たちと検討を行い修正を加えていく。そして、ついに300部ほどの本を刷り上げた。出来栄えは我ながら上々だと思う。
 そして、このできあがった本を1冊持って、父の執務室に完成の報告に向かう。

「ふむ、ついに完成したか。楽しみしておったのだ。…なるほど、出来は悪くないようだ」

 父はパラパラと完成した本をめくり、その出来栄えを評価する。

「ありがとうございます。中身は病気の予防法などが簡単にまとめてあります。水メイジとしての経験を活かして私が書き上げました。これを領内の村に配ることで、領内の病気などの予防に一役買えると考えています」

「そういえばお前の本職は水メイジであったな、すっかり忘れておったわ。なるほど、試作品としてはちょうどいい素材だろう。では、各村に届けさせよう」

「ありがとうございます」

「この出来なら十分であろう。では、今後の印刷機の増産や工場の設営などについてはシリウスに任せるぞ」

「はい、細部まで詰めてから計画案をお持ちいたします」

父の許しが得られたので今後は量産体勢を整えていくことになる。試作機の製作に協力してくれた鍛冶師たちと協議の上で、これからの計画を詰めることになるだろう。

(さて……カトレアの治療の準備も進めなきゃ。あまり待たせすぎるのも悪いからね)

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