小説『アールグレイの昼下がり』
作者:silence(Ameba)

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乙の部屋のドアをノックしたが、反応がなかった。
しかし、ティータイムに乙が何も言わずに出掛ける事は考えにくい。
瀾は遠慮がちに、そっとドアを覗くと忍ぶように中に入った。

「乙…様?」

中は静まり返り、瀾の声が虚しく響いただけだ。
どうする事も出来ず、瀾が少したたずんでいると部屋の何処からかカチャカチャと物音がする。
程なくして眼鏡を掛け、白衣を纏った乙が部屋の奥ばった小さな廊下から出て来た。
確か、あそこは瀾が乙に初めて会って足をひねった時に乙が消えていった場所だ。

「ッ!!…な、瀾!!」

瀾を見るなり驚いた顔をした。
どうやら乙は、部屋に瀾が入ってきた事すら気が付かなかったらしい。

「ど、どうしたんだ?こんな所で」

何やら乙の様子がおかしい。
瀾は、少し不思議そうに口を開いた。

「お茶のお時間でしたから…」
「あ、ああ、もうそんな時間か」
「あの…私、お邪魔でしたでしょうか…?」

瀾は、少し俯いた。

「いや、そんな事はない。
せっかく瀾が持ってきてくれた紅茶だ。
冷めない内に頂くよ」

俯いている瀾に近づくと眼鏡を外し、唇を重ねた。

「ん///」
「どうしたんだ?
元気がないみたいだが?」
「あ…いえ、ただお邪魔だったかなって思ってしまって…。
乙様、私を見てビックリなさっていたので…」
「フッ…そんな事か」
「それにその格好…」
「ああ、これか?ちょっとな…」

言葉を濁した乙に瀾は、また目を伏せた。
乙にだって話したくない事の一つや二つあって当然だろう。
でも、何処か寂しさが瀾の胸を撫でていく。
乙は、そんな瀾を抱き寄せると、優しく口を開いた。

「心配しなくても、ティータイムが終わったら教えてやるよ」
「…え?」
「気になるんだろう?
俺が何をしていたのか」

瀾は俯いたまま、少し遠慮がちにコクンと頷いた。

「さ、その前にひと休憩だ。
瀾も付き合えよ」
「は、はい…///」

瀾は、アップルパイと紅茶を乙の前に用意し、自分の分も入れた。
主人付きのメイドは乙と聖慈の場合、大抵ティータイムに一緒に過ごす為、カップは二つ用意する。
ケーキも小さいとはいえ、ワンホールあるので2人で食べるにはちょうど良い。

アップルパイは控えめの甘さだったがサクサクとしたパイと甘酸っぱいリンゴの歯応えに瀾は、幸せそうにティータイムを楽しんでいる。
乙もそんな瀾を横目に微笑みがこぼれた。

「本当に美味そうに食べるんだな」
「え…」
「クス…」
「わ、私!!そんなに乙様に笑われる程、はしたない食べ方をしていたんでしょうか!?」
「そういう意味じゃない。
瀾は、見ている方が食べさせて良かったと思うような食べ方をするって事だ♪」
「…///」
「クス…ほら、シロップがついてるぜ」

乙は瀾の口の端についたシロップをペロリと舐めた。

「///」
「可愛いな…」

乙の笑顔に恥ずかしくなった瀾は、慌てて話をそらした。

「そ、そう言えば!!
もうすぐですよねっ!!」

そこまで言うと瀾は墓穴を掘った事にハッとして、少し淋しそうに微笑みながら静かに続けた。

「…編入…」
「そうだなぁ」

乙は何気なく答える。
瀾は、わざと明るく話を続けた。

「な、何か楽しみですね?
素敵な学校だといいですね!!」
「ああ」
「な、何か良いなぁ〜」

乙は瀾の頭にポフンと置くと、フッと微笑んだ。

「解りやすい奴…」
「な、何がですかぁ!!」
「フッ…別に。さ、ティータイムも終わったし行くか」


瀾は、急いでティーセットのカートを置いてくると再び乙の部屋へ駆け戻ってきた。

「そんなに急がなくても俺は逃げたりしないぜ?」
「ハァハァ…だ、だって…
待たせるといけないと思って…!!」

乙に案内されるまま、初めて見るドアの前まで来た。
ゆっくりドアが開かれたその小部屋の中は小さな理科室のようだった。
よく解らない薬品やビーカー達が所狭しとテーブルに並んでいる。
瀾は、恐る恐る一歩ずつ中に入ると物珍しそうにキョロキョロしながら乙に話し掛けた。

「何かの研究でもなさってたんですかぁ?」
「まぁ…そんな所だ」

ふとテーブルに目をやると、小さな皿にチョコレートらしき物が乗っていた。

「乙様、もしかしてお菓子作りでもしてたんですか?
あ、解った!!
クールな乙様がお菓子作りなんてイメージに合わない事を皆に見られるのが恥ずかしくて、こっそり作ってたんでしょう?」

そう言いながら瀾は皿の上のチョコレートを口に入れた。
それを見た乙は慌てて口を開いた。

「ぅわっ!!バ、バカ!!
瀾何してるんだ!!」
「何ですかぁ?
美味しいですよ?」

完全にチョコレートを飲み込んでしまった瀾を見て、乙は額に手を当てハァっとため息をついた。


───ドクン!!!


瀾の眼に映る風景が大きく脈を打った。

「…ぁ…!!!」

途端にクラッと目眩が瀾の体のバランスを奪う。

「瀾!!」

乙が瀾の身体を支えると、瀾はビクンと大きく身体を跳ねさせる。

「ひゃあぁん///」

乙の腕の中でヒクヒクと身体を痙攣させ息を荒くし、眼を潤ませていた。
乙は、眼を細め瀾に囁いた。

「油断しすぎだ。
何でもかんでも警戒心なく口に入れるから、そういう目に合うんだ…」
「あ・ア・アアン///」
「瀾が今、食べたのはただのチョコレートじゃない。
俺特製の媚薬だ」
「はぁん//び…媚薬…って//ア!!」
「はぁ…、今日は仕事になりそうもないな…」
「んん///熱…い。乙様…///」

瀾をベッドまで運ぶと、そっと寝かせた。

「体の熱が冷めるまで、しばらくそこで大人しくしていろ…」

ため息混じりに乙が言いベッドから離れようすると、瀾の手が乙の白衣の端を掴む。
頬を赤く染め、プルプルと身体を震わせながら小さく言葉をついた。

「い…ぃゃ…///」
「え?」
「……ッ///」
「何だ?」
「何処にも…行っちゃ…いや///」

半ば涙目で乙を引き止める瀾を見つめると、困った顔で仕方ないとばかりにベッドに座ると瀾の髪を撫でた。

「俺は、まだあの部屋でやる事が残っているんだが?」
「ふぇ…ヒック…ぃゃぁぁ…///」
「フゥ…参ったな…」
「熱いの…乙様ぁ…ふぇ〜ん///」

瀾は両手を広げて、半泣き状態だった。

「抱っこぉ///」
「…仕方ないな」

瀾の身体を抱き起こし、膝に乗せると瀾は自ら抱きついて擦り寄ってきた。

「んん〜///」
「…瀾、火をかけたままにしてあるから止めてきたいんだが…」
「私も行くのぉ///」
「歩けるか?」
「やぁ〜あ!!!」

乙にしがみつき瀾は、すでに手が付けられない。
仕方なく、瀾を抱き抱え、実験室へ。
部屋に着いても瀾は乙から離れようとしない。
取り敢えず、火を止め資料に目を通す。
…はずだったのだが、椅子に座った乙の膝の上に瀾が、ちょこんと腰を下ろし、またもや乙にギュウゥとしがみつく。

「……。瀾…」
「…?」

上目遣いに小首を傾げ、乙を見つめる。

「…資料が見れない」
「んん〜///瀾の事も見てくださいぃ〜///」

思わず、乙には小さなため息が零れたのだった。

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