クマが口を開いたのは一時間近くたってからだった。
「観覧車に乗らないかい?」
そう言ったクマの声はもう完全に平静を取り戻していた。
「いいよ」
僕達は観覧車のある方へと向かった。途中で従業員の人にクマが声を掛けられたが、適当な事を言ってやり過ごした。
観覧車の中は特有の親密な空気で満ちていた
僕達は向かい合って座った。
地面はゆっくりと僕達の体から離れていき、僕は一瞬世界のあらゆる物事から抜け出せたような気がした。
その時空からは既に雨が降り始めていて、それは音もなく僕達を世界から切り離し、すっぽりと包み込んでいた。
静かな雨だった。
「楽しめるかと思ったんだ。クマになれば」
「うん」
「だけどやっぱりだめだったよ。縫いぐるみの中から沢山の笑顔を見てきたけど、それは僕の方を向いていながら、僕の事なんてちっとも見ていないんだ。仕様がない事なのかもしれないけれど」
「うん」
「僕だって楽しみたいと思ってるんだ。だけど昔から気持ちを相手に伝える事がすごく下手で、人に優しくされた時はすごく嬉しいんだけど、その嬉しい気持ちさえもうまく表現できなくて、ぶっきらぼうになったりして、それでみんなは僕の事誤解していって・・・・・・」
「うん」
「このままずっと一人ぼっちなのかもしれないって思った。誰も僕の本当の気持ちをわかってくれることもなく・・・・・・」
観覧車はちょうどてっぺんを通過しようとしていた。
観覧車の窓から遠くの方にぼんやりと海が見えた。
それは静かな灰色の雨のカバーによって、深く暗い紺色に染まっていた。
「君の気持ちは僕にちゃんと伝わってるよ。君も僕も不器用で、思った事の半分も伝っていないんじゃないかってすごく不安になるけど、でも大事なのは、その人のためにどれだけ何かを真剣に考えられるかって事なんだ。だから、君はもっと幸せに・・・・・・」
僕の言葉はそこでとぎれた。
もう何も言う必要はない。
僕にはもうただ黙ってクマと僕の行く先を見守り続ける事しか出来なかった。
「窓ガラスが泣いているみたいだね」クマが言った。
「窓ガラスも、空も、雲も、海も、木も、家も、人も・・・・」
僕達は二人でいつまでも窓の外の景色を眺め続けた。
その景色たちの涙は、どこまでも深い灰色だった。
[了]