小説『支社から来た使者は死者だった!?』
作者:(没さらし)

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 ズズっと熱いお茶をすする音が室内に響く。窓から差し込む太陽の光がのどかな雰囲気をよりいっそう演出する。外を眺めると雲一つない空が一面に広がっていて、陽光の暖かさと相まって春の来訪まで僅かであることを認識させた。
 A校舎の3階南側。部室の窓からの景色は、僕のお気に入りの一つだ。ここでこうして日差しを浴びながらお茶を飲んで眺めていると、世間の騒乱から隔絶されている気分になる。
 残ったお茶を飲み干して椅子から立ち上がった。部室の中を眺める。整理整頓されて乱雑さの欠片もない棚。埃一つない床の隅。僕の掃除の出来は完璧だ。満足げに一つ頷いて、もう一度窓から外を見た。いつの間にか細長い雲がいくつか現れて、赤くなり始めた太陽に少し重なっていた。風情があるなとまた温かい気持ちになって部室を後にした。

「あの〜」
 その声が僕に向けられていることにしばらく気付かなかった。僕は手を休めて何度も発せられるその声の方を向いてみた。目の前には活発そうな、ショートヘアと小麦色の肌をした長身の女の子がいた。僕と変わらないぐらいだから170はありそうな背丈だ。その子が遠慮がちに僕を見ていた。道の両端の背の低いブロック塀の間で、その姿勢の良い体に夕日を横から受けていて、スリムさが余計強調されて感じた。
 まあ、僕もこういう性癖だからこういうふうに声を掛けられること自体は珍しいことではない。僕は落ち着きはらって微笑んで言った。
「いやあ、気にしないで下さい。好きでやっているんで」
「はあ……。じゃなくて。いや、確かにそれも気にはなるんですけど」
 女の子の瞳が右に左に行ったり来たりしている。よく見ると特別大きい目ではないが、切れ長のそれは、芯が強そうな印象を与えた。僕はもう少し顔を崩してみた。女の子もつられて笑顔になる。ちょっと困ったようなその笑顔。でも三日月型になった目が惹くその笑顔は太陽みたいだと思った。少し雲がかかった、今寒空に輝いているような太陽みたいだと。
「僕の趣味みたいなものなんです。ほら、良く言うでしょう。登山家がそこに山があるから登るというの。僕にとってはそれがタバコの吸い殻や空き缶なんです」
「はあ……、そうなんですか。ご立派なんですね」
 力説する僕に女の子はそう答えてきた。その言葉もよく聞くものだけど、響きがいつもと違うと気付く。そう思って見ると僕を見る女の子の目つきが変わっていた。何て言うか、キラキラとしたものがあるような。初めての対応に戸惑いながら、僕は右手にある空き缶に目を戻す。これはアルミ缶だから、こちらの袋と。左手にいくつか持ったうちの一つの袋の口を開けてアルミ缶を入れた。カランという金属同士がぶつかる音が辺りに響く。
 そっと目を戻してみると、女の子が僕の顔をじっと見ていた。
「会長さんって、噂通りの人なんですね」
 僕が口を開くより早く女の子が言ってきた。
「噂って……」
「会長なのに全然偉そうじゃなくて、それでいて地域奉仕なんてのも自分から進んでされている人格者だって」
 ‘地域奉仕’とはこのゴミ拾いのことなんだろう。それにしても人格者って……。
 僕は照れてしまうのを隠すために質問をかぶせる。
「君は何だって僕が‘会長’だってことを知っているのですか?」
「私は‘ししゃ’から‘会長’に会いに来た‘ししゃ’なんです」
「えっ?‘ししゃ’?」
「ちょっと待て―い!」
 僕が聞き返したところにけたたましい叫び声が割って入ってきた。僕と‘ししゃ’と名乗った女の子が同時に声のした方を向くと、僕と同じ制服を着て僕に似た顔をした、僕の双子の妹の美穗が猛ダッシュでこちらに向かってきていた。
 美穗がスライディング気味に僕と‘ししゃ’の間に滑り込んできた。そして‘ししゃ’の顔を一瞥すると、僕の腕を掴んで歩き出す。引きずられる僕と‘ししゃ’との間が離れていく。‘ししゃ’は突然の展開に唖然とした顔をしていた。何故だか僕は‘ししゃ’に苦笑した顔を作って向けた。

 いくつか道を曲がって、道の両脇に空き地が広がる人気がなくなった路地で美穗は立ち止まった。
「和也。あんた最近何回危ない目に合っているのか分かっている?」
「うん? ビルの上から鉢植えや資材が落ちてきたり、全部で5回くらいかな」
 美穗の苛立った声に僕は落ち着いた声で答える。
「またあんたは人ごとのように答える。分かっている? あんた狙われているんだよ」
 美穗の言葉に苦笑を浮かべてしまった。分かってはいる。何故だか自分が危険な立場にいることくらい。でも美穗の言葉通りそれを自分のことのように考えられない。理由が分からないというのももちろん理由だろうけど、それ以上に僕という人間が感情の上下がほとんどない平坦な心の持ち主であることが大きいだろう。それが美穗を含め周りの人間から‘おじいさん’やら‘終わっている’と言われる所以だ。それを変えたいとは常日頃思っているが、なかなか上手くいかない。
「和也。さっきの子は誰? よく分からない人と道端で話をしちゃだめだよ。危ない人だったらどうするの」
「でも、そんな危ない人って感じはしなかったよ。そういえば、‘ししゃ’から僕に会いに来た‘ししゃ’だって名乗っていたよ」
「‘ししゃ’から来た‘ししゃ’? あんた思い当たることある?」
「そう言えば、部活の支部のことが‘支社’だったような」
「部活ってあの……」
 美穗が途中で口をつむぐ。いかにも怪しげな黒ずくめの男たち五人が僕たちの前に現れたからだ。

 五人は僕たちの前で立ち止まってサングラス越しに見てくる。先頭のリーダーらしき男がゆっくりとポケットに突っ込んでいた手を抜きだした。その手には黒い肌に張り付くような手袋がはめられている。そして緩やかな動きで指を鳴らした。それを合図に後ろの四人がそれぞれの構えをとって僕たちに歩み寄ってくる。
「和也! 後ろに下がって!!」
 美穗の悲鳴のような声が辺りに響いた。

 幾つもの肉と肉、骨と骨がぶつかり合う音がした。現状は地面に倒れている男は一人。美穗は肩で息をしている。多人数でとはいえ、空手の高段者の美穗を相手にしてここまでやりあえるということは、相当な手練れなんだろう。
「美穗……」
 後ろから僕が掛けた声に美穗は右手を挙げて応えた。その後ろ姿は心配するなと言っているようだ。もちろん僕は心配などしていない。美穗はとっておきを残しているからだ。
「いい加減、諦めたらどうだ」
 リーダーらしき男が薄い笑いを貼り付けた顔で言った。この男はまだこの乱闘に参加していない。体格や雰囲気から他の男以上の手練れであることは容易に想像できた。でも美穗に勝てるほどではないはずだ。
 美穗がゆっくりと握っていた手のひらを伸ばす。ピシッと伸ばされた指先。そして形作られた手刀を横に構えた。
 背中から伝わる威圧感が増す。それは黒ずくめの男たちも感じたらしく、重心をさらに下ろして構えた。
 辺りに静寂が降りてくる。とても張り詰めた静寂が。男の一人が動いた。
 次の刹那。美穗の構えた肘から先が消える。それと同時に動いた男が大きな音と共に弾き飛ばされた。
 男は路地を越えて、隣の空き地まで飛んでいく。そしてピクリとも動かなくなった。残された男たちの間に動揺が走る。
 美穗の必殺技の手刀。美穗は高段者らしく他の技も鋭いが、手刀は桁が違う。目でその動きを追うのはほとんど不可能なレベル。だからこそ、驚異的な殺傷能力を秘めたその技を普段は封印している。といっても、僕にはよく使ってくるのだが。今さらながら、あれを度々受けている僕の体が痛んでいないのが不思議だ。
「次かかれ」
 リーダーらしき男が怯んでいる他の男たちを促す。その声には有無を言わさない響きがあった。
 次々に美穗に向かっていく男たち。そして次々に大きな音を立てて吹っ飛んでいく。ついに場にはリーダーらしき男だけが残った。

「まだ向かってくる気?」
 美穗が低い声で男に問い掛ける。今や圧倒的優勢になっても気を緩めていない。それが伝わってくる声だった。それに男は嫌らしい笑いを浮かべる。
「もう勝ったつもりか? クックックッ」
 男は笑いながら、胸の内ポケットから何かを取り出した。折り畳まれたそれがゆっくりと形をなしてくる。一瞬夕日が反射して眩しい光が目に飛び込む。銀色の部分を持った物。ナイフだった。

 美穗が後ずさりする。怯えているのが背中越しでも伝わってきた。
「美穗、逃げよう」
 僕の声もかすれてしまっている。美穗も何度か小さく頷くが、いっこうに動こうとはしない。僕も分かる。蛇に睨まれた蛙の状態になってしまったのだ。
 ゆっくりと男が美穗に近付いてくる。美穗は相変わらず動けない。それを後ろで見ている僕も動けない。美穗が刺されてしまう。それが頭の中で理解できても、体は言うことをきかながった。
「ハッハッハッ」
 男の高笑いが頭にこびりつく。男と動けない美穗の距離がなくなった。僕は目を背けた。

 キンッという高い金属音が響く。そして「グワッ」という男のものらしき呻き声が続いた。背けた目をもう一度戻す。美穗の頭と重なっているショートヘアーの後頭部。
 美穗が金縛りが解けたみたいにその場に崩れ落ちる。男と美穗の間に入った姿がはっきりと見えた。夕日が照らすスリムな体を細身のパンツとファーがついたタイトな革ジャンで包んだその姿。さっきの‘ししゃ’と名乗った女の子だった。

 ナイフを持った腕を押さえていた男が上半身を起こす。顔は怒りで満ちていた。ボクサーみたいな構えをしてから一気に‘ししゃ’に飛び掛かる。次の瞬間。‘ししゃ’の全身がぶれた。美穗の手刀、いや、それ以上のスピード。そして凄まじい音がして、男の体が空を飛んでいった。

「君はいったい……?」
「あなたは何者なの……?」
 僕たち双子の声が重なる。空手の高段者の美穗を遙かにしのぐスピードとパワー。それは明らかに人としてのものを超えていた。
 ‘ししゃ’がこちらに向き直る。横から夕日で赤く照らされた左の顔。それは確かに優しく微笑んでいた。だけど陰になる右の顔は憂いを感じさせた。
「あなた、その腕……」
 美穗の声が震えている。
 ‘ししゃ’の革ジャンの左腕が大きく裂けて血がしたたり落ちていた。
「大丈夫です。あまり痛覚ってないんです」
 ‘ししゃ’はそう言って腕を上げて見せた。裂けた袖がめくれて腕が露わになる。
「なっ……」
 思わず僕は声を漏らした。‘ししゃ’の腕には刃物で裂けたらしい傷から血が溢れている。しかしその傷とは別のところにいくつもの縫い跡があった。その縫い跡を境にまるで肌の色が違う。
 美穗が僕と同じように息を漏らす。‘ししゃ’は微笑んだままそっと告げた。
「私は死んでいるんです。死者なんです」

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