私の頬をホロリと雫が伝った。
終わりじゃなかった……そんな風に言ってもらえるなんて思わなかった……でも『七恵の好きになった人を
わたしが嫌いになるはずがないじゃない』って……
「だから彼氏じゃないってば……」
「でもあーちゃんは『間男』って……あ」
いきなりまた海乃の目がバタバタと泣き出した。
「じょうだっだ……のびゅが……」
わー!待った待った!!
私は慌てて海乃の頭を抱き込んだ。だらしない。情けない。10年も想いながら、私は未だに好きな女を泣か
せる事しか出来ない。涙の止め方もわからない。……そう10年前にも思った。10年経っても同じ事を思うの
は、私が10年変わってないって事だが、進歩もないって事で……全く、押し倒したいどころではないの
だ……。
嘘のうまかった海乃を今、笑いながらも隠しようもなく泣かせているのは、私だ。
「ごめん。海乃、ごめん。私……嘘ついてきたの。ずっと、ずっと。海乃にも、のぶにも……私は、のぶと付
き合った。のぶの彼女で居た。でも、でものぶの事好きじゃないんだ、本当に」
海乃の手からゴロンとオウム貝が転がり落ちる。
「私、のぶが許せなかった……ずっと前から海乃の事が好きなくせに、告白したら友達でいたいなんて……海
乃を傷つけてばかりいるのぶが許せなかった。だけど、海乃はそれでものぶばかり好きだったから……絶対よ
そ見をさせないようにしたかったの」
「……何で……だって、七恵はずっとのぶの事見てたじゃない……」
海乃の涙が止まった。
「のぶが見てたものを確かめるのに見てただけだよ。あんな顔だけ猿、見飽きたよ」
だけど、私は海乃を抱く手の力を緩めることはしない。顔を見たら、つべこべ言う口を塞いでしまいそう
だ……口で。
「毎週毎週告白ぶっこいて、女を寄せ付けないようにした。でも、最後の夜にのぶが海乃とちゃんと一緒にな
りたいって言うから、私の役目は終わったって思ったのに……海乃が居なくなって、またのぶは昔みたいに女
遊び始めて……海乃に似た女に気持ちが動いたりしたから……寝た。海乃の代わりにしろって、彼女になった
の。ただ、のぶを捕まえおきたかった。海乃が帰って来た時に、のぶが知らない誰かと居たら悲しいでし
ょ?」
「……そんなの……七恵が居れば、きっと大丈夫なのに……」
!?ええええええええ!?ちょっと、それマジ!?それじゃあ私の嘘の行方は……なんて思うまでもなく、海乃は
また抱き抱えられた腕の中で泣き出した。
「だけど、のぶから七恵の話聞いた時、やっぱりショックだった。すごく嫉妬した。七恵のうんこたれ!って
思った……ごめん……」
だから、うんこって言うなよ……海乃だなー、やっぱり海乃だ。
「それでいいんだってば。でも、それで海乃を傷つけたね……せっかく逢えたのにのぶひとりで帰って来たか
らボコっちゃった。あ、そういえば婚約者だった岡野もボコっちゃった」
「え!?会ったの!?」
「うん会った会った。ついこないだ。結婚するんだって。元カノと。……構わないよね?」
……右手の包帯取れてて良かった。
「そうなんだ。岡野さん、結婚するの。良かった。……七恵は結婚しなくていいの?」
「だから、しないって。でも海乃はしてくれなきゃ困るよ。私、全部準備してきちゃったから、一緒になって
くれなきゃ……だって20年でしょう?」
海乃が私が抱き込んだ胸から「何で……」と顔を上げた。
「ごめんね。海乃ん家からアルバムとノート、拝借しました」
「そっか……あーちゃんもいるんだもんね……バレバレだね……気持ち悪かったでしょ?」
「どこがよ?綺麗だったよ?」
目を附せて力無く笑う海乃の顎を、両手で包んで引き上げて、丸い瞳を覗き込む。
「……本当だ。瞳が紫色だね……のぶは知ってたよ。私が言う前から。それに、のぶは覚えてたよ……5歳の
海乃を。初恋だって言ってた。別人だとは思ってたけど。あんまりにも綺麗だったからね。」
「うそ……」
海乃の頬がピンクに染まる。
「準備したって言ったじゃん。しとくって……約束したじゃん。海乃の丸ごとをみんなで抱えるから、だから
安心して一緒に生きてよ、のぶと」
言いながら涙が止めどもなく溢れてきた。
私の両手に包まれた海乃の頬にも、紫色の瞳から押し出される涙粒が幾筋もの道が刻まれていた。
「……なんでそこまでするの?わたしなんかに……七恵……」
小さく小さく、海乃は呟き、唇を噛みしめる。
私はね、私は……海乃、貴女の笑顔を守りたかっただけなのよ……
「海乃……海乃がくれた電話で、私が最後に何て言ったか、覚えてる?」