小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 夏休みの間中、橘とはほとんど一緒に過ごした。

 私の、十歳年下の弟も橘にはよく慣ついていて、いつの間にか「うーちゃん」と呼んでいた。……私でさえ

呼んだことないのに……

 私はオウム貝に向かって、こっそり「海乃」と呼びかけるようになった。



 学祭の芝居の稽古が始まった。

 夏休みにわざわざ制服を着て学校に行くのは、面倒くさかったが……今まで別々の教室で暮らしてきた者同

士がひとつの教室に集まり、二つの芝居をつくっていくのは予想以上に面白かった。

 夜には誰かしらが家に訪ねて来ては、橘に意見を訊きに来る。あぁそれはもう「邪魔だ!帰れ!」と言いた

かったが、橘が嫌がる様子もなかったので、よしとしていたが……嘘の上手い橘は、誰かに合わせて笑う事を

いとわない。それを知っているのは、きっと私だけだ。

 お陰でのぶまで家に来ている。誰より早く来て、誰より長く居る。

 馬が何の用だ!?……と思っていたが、理由は程なくわかった。4組劇の演出を担当しているヤスという男子

がいるのだが、彼が先日の稽古の時、ポロッとこぼしたのだ。

「……橘さんて、いいよな」

 私にも、橘の趣味だとか好きなアーチストだとか訊きに来ていたが、実は私もそう言った誰もが夢中になる

ような話は橘としてないので、意外に知らなかった。でも今まで必要としなかっからなのでわざわざ訊いたり

もしなかった。

 ……というより、ヤスなんぞ橘の前髪の1本にも引っ掛からないよ。と気にも止めていなかったのだが、の

ぶの心は穏やかではなかったようだ。

 一匹狼ののぶだったが、ヤスとは家が隣同士の事もあって、比較的仲は良い方だ。ヤスから何かしら聞かさ

れたのだろう。ヤスが来る日は必ずすっとんで来る。

 少しずつ、周りの目が橘に向いてきている。

 おかしい!!情報によれば、私の方がモテるはずなのに誰も私に言い寄って来ない。当初の『こっちに惹き付

けといて橘を守る作戦』が全く無効なものになっている。

 だったらいっそ、のぶとくっついて欲しい。誰かの物になるならば、のぶの物であって欲しい。のぶの物は

私の物だから!……第一、橘がのぶを好きなんだから……




 夏休みも終わりにさしかかった。

 芝居の稽古のない日曜日、両親は店を閉めて弟を連れて田舎に行っていた。

 私は橘とのんびりした昼下がりを過ごしていた。縁側に座って足を投げ出して、学祭の劇が終わったら縁日

を回ろうとか計画していた。近くの神社の夏祭りが台風で中止になってしまったので、その計画は大変盛り上

がった。

 あのオウム貝が、金魚すくいの後の金魚鉢に使えないと橘が言い出したので、無理を承知で二階の部屋まで

取りに行って戻った時だった。

 のぶが縁側のある日本間の前に立っていた。橘が居るはずの部屋の中をじっと見ている。また勝手に遊びに

来たんだなと声をかけようとしたら、のぶはそのまま部屋に入って行った。

 部屋を覗くと、橘が寝ていた。縁側に足を投げ出したまま、畳に仰向けに倒れていた。

 のぶは寝ている橘に近寄ると、顔やら腕やらをつついて起こそうとしていた。

 橘は一度寝落ちてしまうと、ちょっとやそっとじゃ起きない。

 何をする気だ……そう思いながらも、のぶから目が離せない。また、心臓の音ばかりが身体中に響く…… 

 のぶは、橘の顔にかかる前髪を指でかきあげる。なだらかな丘を描いた白い額と、瞼に閉じられた瞳現れ

る。頬に触れてから、一度だけ後ろを振り返る。私は咄嗟に身を隠した。

 見つめたまま……顎を摘まんで軽く唇を開かせると、その唇にそっとキスした。

 一度唇を離して目を閉じて、のぶは自分の唇で橘の唇をなぞるように、何度も何度も唇を重ねる。何度も何

度も優しいキスを繰り返した。



 私は胸が熱くなった。焼けつくように。なのに、頭の芯と指先は冷たく冴えてゆく。

 私は激しいまでの嫉妬と共に、その場を離れた。



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