小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 いつものように「ただいま」と、錦糸町の綾の店の扉を開ける。

 別に一緒に暮らしてないが、帰るのが面倒くさいと泊まりに行ってしまうので……ホントに二股じゃん、

私!

「おっかえりー!二股女」

 一際甲高い声にカチンと来た!見ると、カウンターに、見慣れていた愛しい顔を何をどうしたかパンパンに丸

く脹らました……晴香がいた。

「何コレ!?何に刺されたらこんなになるの?」

 会うなり丸くてツヤツヤの頬を撫でてしまった。

「久しぶりに会って、それはないでしょう?イイコトした仲じゃない」

 まだ言うか!?その汚点を!!

「どうしたの?欲求不満?やっぱり綾が恋しいか?」

「嫌な娘〜」

 コロコロと笑えばこぼれる花に、海乃を思い出すけど……ここまで肥えられたら、ムラムラとは来やしない。

というか、顔だけじゃなく身体も随分丸くなってるな……性格も丸くなりゃいいのに……

「確かに欲求不満だけど、今は無理そうだから、出しちゃったらまた遊びましょうよ」

「何出すの?」

「子供」

 え、えー!?この肥えっぷりは妊婦か!

「誰の子!?」

「旦那の子よ〜やだあ、もう」

 あー……びっくりした。また「暢志さんの子」とか言うのかと思った。

「結婚したんだ、念願の。おめでとう」

「ありがとう。いいわよ?女の幸せ。暢志さんと結婚しないの?しないよね?幻の彼女がいいままなんでしょ、

まだ?」

「よかったね、女の幸せ。悪かったわね、幻がよくて」

 我ながら刺々しいなと思うけど、晴香を見てると腹が立つんだ。私の純情(欲情だけど、誤った)を返せ!

「あたし、ちゃんと忘れてないのよ。今日は出産里帰りついでに報告……『タチバナウミノ』と遭遇したよ」

 他人の口から発せられた海乃の名前に、動揺する。

「嘘?どこで!?会ったの?」

 晴香の肩を掴んで揺さぶる。

「キスしてくれたら教えてあげる」

「何だと?雌ブタ」

 それでも顎を引き上げてキスしようとすると、綾が止めに入った。

「七恵、安直過ぎ。こいつ会ってはないから」

 晴香が面白そうに笑った。

「つまんない人たちね。そんなに彼女が大事なの?そうなの、会ってはないの。病院の待合室でね、名前を聞い

たの。受付に呼ばれてたの。どの人かと探したんだけど……わかんなかった。あたしと似てるんでしょう?すぐ

わかると思ったんだけどね……」

 いや、わかんないよ……今は全く、見る影ないから……

「どこの病院?」

「教えない」

 は?今更何言ってんの?

「キスくらいしてあげるから」

「ダメ。それ以上じゃなきゃ。……って言うのは冗談で、ホントに同一人物かわかんないじゃない。ぬか喜びさ

せても悪いじゃない?ちゃんとわかったら、また来るから、手洗っといてね」

「同一人物に決まってるわ!同姓同名の『橘 海乃』がいるわけないじゃない!どこの病院よ!それだけでいい

から……」

 強く袖を掴んだ手を、晴香はゆっくりはずして口づけた。

「何故わからないかなあ……あたしは居場所を伝えに来たんじゃないけど、あの名前があなたの欲しがってる

女、本人はなら、彼女は生きてるのよ。病院に来れるくらいに立って歩いてるのよ。まずはそれを喜べない

の?」

 涙が落ちた。そうだ……生きてるんだ。想像や願いじゃなくて、本当に生きてるんだ……良かった……

「……うん、そうね。本当にそうよね……ありがとう」

 隣のカウンター席にやっと腰を落ち着けた私の後ろから、綾の両手が伸びて来て包んだ。

「諦めなくて良かったな」

「そうかしら?」

 晴香がグラスを仰って言った。……酒飲んでいいのか、妊婦?

「そんなに遠方でもないのよ、そこ。そんな行けない距離でもない所に居て、今まで連絡ひとつ寄越さない女

が、あなたや暢志さんを想ってると思うの?とっくに別の生き方して、あなた達の事なんて忘れてるわよ!」

 その言葉に、血の気が引いた。


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