小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「あたしはその彼女があなた達の許に帰る気がないんなら、居場所なんて教えたくないわよ」

 海乃の面影を、僅かだけど背負うその顔で、絶対言われたくなかった言葉にカッときて、振り上げた右手を綾

に止められた。

「……わかってるわよ!私やのぶが、海乃に捨てられた事くらい!それでも……それでも私が逢いたいのよ!の

ぶだって……海乃じゃなきゃダメなのよ……でも、海乃が幸せなら帰らなくてもいいのよ……ただ、それを見な

いと納得がいかないのよ!」

 小さな沈黙の中にため息が交じる。

「あたしにしておけばいいじゃない。代わりでいいなら」

「一緒にすんな!!」

 譲れないそこは、綾とハモった。

「わかったわよ!……見つけたら、先にあたしが喰ってやる」

 呆れたように、晴香は笑った。



「結構ショック?うーちゃんの事」

 首根っこに顔を埋めながら綾が聞く。

 あのバカ女のお陰で、何だか盛りがついてしまい、夢中で綾を求めていた最中だったので、ちょっと不機嫌に

「何が?」と問い返した。

「うーちゃんが生きてた事」

 バシッと綾の頬を叩いた。

「嬉しいに決まってるじゃない!」

「捨てられて忘れられてるとわかっても?」

「私はのぶとは違うの……愛してもらえないのはわかってるから……生きてれば嬉しいよ……綾は嬉しくないの

ね」

 綾は、込み上げた涙を舐めとってから口づける。……しょっぱい。

「嬉しいよ。うーちゃんは俺の初恋だし、うちの患者だし……それに死なれでもしたら、永遠に七恵の心を持っ

てかれちゃうじゃないか」

「……死んじゃったら、その人は永遠になるの?」

「そうじゃない?刻まれた想い出は根深いよ。治療しきれるかどうかってくらいね」

 胸の奥がチリチリと焼ける……いつぶりだろうか。

 永遠という響きは魅力的だけど、死んだら意味無いじゃない……そこに愛など求めたくはない。……けど相手

が海乃なら、たとえ底なし沼の未来にも私は確かに飛び込み兼ねない。

「永遠の愛ってヤツ?事実は小説より奇なり……ね。今の事実の方が、その辺のドラマよりよっぽど劇的だ

わ」

 だって、生きているから抱き合える。ぬくもりは想い出だけじゃ補えない。

「そう言えばさ、小説の方はどうよ?」

 綾のツッコミに、痛々しい事実を覚える。

「全然ダメ。棒にも箸にも引っ掛からないわ。行っても二次選考で落ちる」

 素人の小説を世に出すのは、小説ほど甘くないのが事実である。

「そんなにつまんないの?つまり、才能がないってことか」

「うーん。才能より文才に欠けるのかも……小難しい表現が読みづらいのよね」

 私の評価に綾は吹き出す。すっかり、セックスどころではなくなっていた。

「何のために頑張って出版社行ったんだよ?そんなの読み易く書き直せば良いんじゃないか。せっかくプロにな

ったんだし」

「それじゃあ、それこそ意味がないわ!海乃の書いた文章のままで、送り出さなきゃ……気づいてもらえないじ

ゃない」

 私は就職前から、海乃の書いた小説を丸々原稿用紙に写し取っては、あちこちの大賞に投稿していた。

 海乃の名前をペンネームにして……

 受賞でもしたら、海乃の目に止まるかと思ったのだ。出版社への職を選んだのも、結局の目的はそれだ。逆に

海乃が持ち込んでも、情報は得られる。

 ……だが本当に、現実はいつもいつだって甘くはない。

「じゃ、出版業界のコネで押し出せよ」

「私まだ新人だし、ジャンル違うし……それ以前に文章力がね……綾も読む?」

「いや、いいよ。下手なら仕方ないか……」

「ストックはまだまだあるから……まだやってみる。全くね、海乃にはどんな小説より自分の事実の方が奇異な

のに……ノンフィクションはないんだよね」

「うーちゃんは同情を嫌うからね……芸能人の暴露本じゃあるまいし、自分をエサに晒してまでのしあがろうと

はしないよ」

 腹立つくらい、綾は海乃を信じている。


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