小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「すごい!めちゃ助かる。七恵ちゃん、ありがとう!」

 橘が笑ってる。……顔見たいけど……勉強どころじゃなくなるな……

「さあ!数学やるぞー!」

 私は橘が授業の度にのぶに見せている教科書を広げた。



「……イコール、18……解けた!出来たよ!七恵ちゃん、ホントにありがとう!」

 数学の試験範囲の公式をやり直しただけだったけど、橘は理解したみたいだった。

 最後の問題まで解けて、満面の笑み。……顔見えないけど。

 私の手を取ってぶんぶん振り回しながらお礼をくれる。

 その時、

 ポニーテールに結んだゴムが切れて、バラッと大量の髪が肩から背中に落ちた。

「……あと、ポニーテールが苦手」

 橘が付け足すように呟いた。



 ブラシで長い長い髪を漉きながら、橘にポニーテールを結ってあげていた。

「ポニーテールが苦手なんじゃなくて、本当は左手が使えないの」

「……どういう意味?動かせないの?」

 ぎゅうっっと天に向かって髪を引き上げると、白いうなじが現れた。

 ……これは……綺麗だわ……橘はうなじ美人だ。

 どっかのエロエロ猿なら確実に、ドラキュラ気取ってむしゃぶりつくね!人格崩壊を招く。

「神経障害とかは全然ないよ。ただ、左手だけ酷く不器用なの。だから自転車乗ってもいつの間にか車道に躍

り出ちゃうの、なぜか右に曲がるから。急にも止まれない、ブレーキが左ハンドルにあるから。だから自転車

も苦手」

 まとめあげた髪を最後にギュッとゴムで縛りあげた。

「それも平気ね、橘後ろに乗せて私がこいであげる。はい。出来た」

「わあ、ありがとう。こんなキレイなポニーテール、初めてだ」

「こんなでよかったら、毎朝結ってあげるよ」

 これは嘘。こんな破壊力を秘めたうなじを、誰が世間に晒してやるもんですか!

「私、もともとは左利きだったのを右利きに矯正したから、両利きなんだ。だから私が橘の左手になってあげ

よう」

 私は後ろから、右手では橘の右手を、左手では橘の左手を握った。

「本当!?両利きなんて凄い!尊敬する。……わたし、七恵ちゃんが居たら、恐いもんナシじゃない?」

 頭を私にもたれながら振り返った橘が、あんまり可愛いことを言うから、苛めたくなった。

「恐いもんナシ〜?そうかなあ?」

 わざと橘の耳元に唇を押し当てて囁いた。

「……のぶに聞いちゃった」

「ひゃあう!!」

 橘が跳び跳ねた。耳を押さえるはずの手は、両手とも私の手の中に抑えられている。

「やめてやめて、七恵ちゃん!くすぐったいのー」

「何でー?これじゃあ内緒話できないじゃーん」

 身を捩って逃げようとするのを押さえ込んでいるから、羽交い絞めに押し倒す形になってしまった。

 それでも力を緩めず「橘……橘……」と名前を呼び続けた。

 唇をキュッと結んで堪えていた橘が不意に息を漏らした。

「……はぁふ……ン」

 私は橘から飛び退いた。

 ……な、なんちゅう声を出すのよ!

 し、心臓が口から飛び出すかと思った。動悸が止まらない。

 今の私がのぶだったら……エロ猿からスーパーサイヤ人戦闘準備OK(仮)になってたわ……間違いなく。 

 橘は自由になった両手で両耳を塞いで、ふるふると小さく首を振った。
 
 前髪が分かれて避けて、片目が現れた。黒い瞳にいっぱいの涙を溜めていた。

 我慢して抵抗して高揚したのか、橘の白い肌はお風呂あがりのように紅潮して、全身がほんのりピンクに染

まっていた。

 ……ヤバい……エロい……

「もうっ!本当に苦手なんだから!」

 私は笑った。自分の鼓動が橘に聞こえないように。

「うん、ごめん。でもまたひとつ、ホントに苦手なモノがわかったから」


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