小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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 勉強は遊びながらの割には意外にはかどった。たぶん、橘は頭がいい!

「ありがとうね、七恵ちゃん。これならわたし、数学38点は採れそう!」

 ちょっと待て。橘、あんた今まで何点採ってたのよ!?

 俺より悪いかもと言ってたのぶの言葉を思い出す。……のぶかぁ……仕方ないなあ。

「ねぇ橘ぁ……のぶの事、どう思う?」

「……どうって?」

 橘は勉強用に広げたちゃぶ台に散らばった文房具をまとめる手を、止める事なく訊き返した。

 前は「好き」って答えられそうで訊けなかった。だけど、ひとつふたつと橘を知っていきながら、どこかし

らで橘は周りの女子とは違う特別な女と思ってきたから、のぶなんかに惹かれたりしないと思っていた。

 思った通り、橘はのぶを隣の席の世話の焼ける男子、くらいにしか思っていない。

 ……そう信じていた。

「んーと……カッコイイとか?」

「……どこのところが?」

 えーと……普段からのぶをカッコよく見てないから、そう訊かれると分からない。

「……顔かなあ?」

「綺麗な顔はしてるんじゃない?ジャニーズみたいな……でもあんまり顔見たことないから、よくわからな

い」

 のぶと同じ事を言ってるが、のぶが橘の顔を見たことないと言うのとは訳が違う!

「見ないの?」

「必要ないもの。でも、手はよく見るよ」

「……手フェチ?」

 橘が笑う。……やっぱり笑うと橘は可愛い。

「違うよ。戸川くん、毎日消しゴムをわたしに借りるの」

「消しゴム?」

「そう。始めは『忘れたから消しゴム貸せ』って言って手を出してきたの、顔はそっぽ向いてたけど。そのう

ち手だけ出して来て……消しゴムを手のひらに乗せると、使って机に乗せておいてくれるの。それを何回も毎

日繰り返してるから、手だけはよく見てる」

 ……確かに、忘れ物をしないような几帳面なヤツではないが……たぶん、毎日わざと持って行ってないん

だ……あわよくば、手でも握ろうとしてないか?

「手とか握られたことない?」

「あるわけないじゃない!理由ないもん」

 いやいや、のぶには充分な理由があると思うけど?

「戸川くんて、手がすごく綺麗なのね」

 え?

 ドキッとした。

「指も長いし、傷もないし……爪も綺麗な形だし、きちんと切り揃えてるし……手を大事にしてるんじゃない

かと思う。……うん、手はカッコイイかも」

 長年一緒にいたが、のぶの手なんて注意して見たことなかった。……綺麗なんだ……

「……どの消しゴム?」

 筆箱の中をごそごそとかき混ぜていると、橘の指が迷うことなく「これ」と隅から小さな塊を取り出した。

「随分ちっちゃくない?」

「二年になって下ろしたんだけどね、戸川くんすごく消すの」

 ……何だか小学校の時に流行った消しゴムのおまじないを思い出した。好きな人の名前を消して、90日以内

に消しゴムを使いきると想いが叶うとか……そんなヤツ。

 いくら何でも、そこまでのぶは女々しくないと思うけど……例えば、使いきったら告白とか……それくらい

は考えているかもしれない。

「今度弁償させな!新しいのよこせって」

「いいよ〜それくらい。それに新しいのはもう買ってきた」

 橘は嬉しそうに、筆箱から新しい水色の消しゴムを見せてくれた。

「明日から試験じゃない?試験中に消しゴム貸してたら、カンニングかと思われちゃうじゃない。だから戸川

くん用に消しゴム用意した」

 橘の口元が僅かに緩んだ。

 私は手を伸ばして、橘の前髪をひょいとあげた。

 伏し目がちに、手にした消しゴムを見て微笑む橘がいた。

 ……私は、顔に水でもかけられたような気がした。

「やだっ、七恵ちゃん、急に……びっくりした」

 橘は真っ赤になって前髪を押さえた。

「ごめん。前髪に消しゴムのカス付いてた」

 それは嘘だけど……

 私はわかってしまった。

 胸がドキドキと高鳴り、チクチクとした痛みとなって食い込む……



 橘は……のぶのことが、好きだ……



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