小説『鸚鵡貝は裏切らない【完結】』
作者:魚庵(ととあん)(・胡・晴・日・和・)

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「今日、店サボったでしょう?風邪ひいて寝込んでるはずのアンタは、誰と何処に行ってたのよ?」

 のぶは私の言葉に悪びれた様子もなく、小窓から鍵を取り出して部屋のドアを開けた。

 本当は話したくてウズウズ……いや、聞き出したくてイライラしてた。

「話があるから中入れよ」

 部屋に入るとのぶは敷きっぱなしの布団を折り畳んで、二人で充分に座れるだけのスペースを作った。

 予め布団をどかす事が『もうお前とは寝ない』というサインだということくらいはわかる。

 靴を脱いで上がると、私が座る前に目の前に土下座した。

「ごめん!七恵、俺と別れてくれ!頼む!!」

 ボサボサの茶髪の頭を畳に擦り付ける勢いでひれ伏した。

 そう言われる予感はあった。その不安だけで、私の豊満な胸は潰れそうだったよ、1時間前まではな!

 今ではもう悔しくて憎たらしくて、涙が出そうだ!

 しゃがんでのぶの旋毛を指で押さえて、冷静に問いただす。

「……何?好きな娘でも出来た?赤い糸でも手繰り寄せちゃった?」

 なのにのぶは、この期に及んで何も答えやしない。

「七恵は昔から俺によくしてくれた……感謝してる。俺には大事な幼馴染みだけど、もうお前の気持ちには応え

られねえ!ごめん!」

 ……ンな事、聞いてねーよ!

 のぶの髪を掴んで頭を浮かせると、隙間に腕を突っ込んで襟を掴んで引き寄せた。顎を突き出せばキスでも出

来そうな距離まで引き寄せて、腹の底から叫んだ。

「海乃と逢ったわね?答えろ!!」

 目頭を熱くして涙が零れた。

 目の前でのぶは驚愕の表情で「何で」と言いかける。余りにムカついて、力任せに自分の額をのぶの額に打ち

付けた!

 ガツン!!と鈍い音が響いた……チクショーやるんじゃなかった!物凄く痛い!

「お前……何すんだ!」

 片手で額を押さえ、もう片方の手で今度は私の襟元に掴みかかる。

「何で隠すのよ!そんなに自分だけのものにしたきゃ、何で一人で帰って来てんだ!」

 同じく片手で額を押さえながらも、片手ではのぶの胸ぐらを掴んだまま言った。言われて怯んだのはのぶだっ

た。

「……何で……海乃だって、わかったんだよ」

 のぶの口から、やっと名前が聞けた。

「一昨日から、のぶに纏わりついてるオーデコロンの香り……ジョーバンのセクサピールだった。海乃が好きで

つけてた香りよ。けどあの娘は肌が弱いから身体にはつけられないから、バッグやハンカチにつけては持ち歩く

の。普通なら香水で人物の特定なんて出来ないけど、あれは3年前に製造中止になっててね、私が探し抜いてし

こたま海乃にプレゼントしてんのよ!だから……今時あんな懐古的なコロン使えんのは、海乃しか居ないの

よ!」

 ヒデ君からの密告と、ちかちゃんからのうっかりは今は黙っていよう……私はのぶの口から海乃の事を聞きた

い……何処に居て何をして、のぶとどんな話を……こいつと…………いかん、また沸々と怒りが……怒り

が……

「……どうやって逢ったの?」

 のぶの胸ぐらを引っ掴んだまま迫った。悔しくて悲しくて、嬉しい涙が止まらなかった。だけど、腹の虫が治

まらないんだ!のぶひとりが海乃に逢って来た事に!触れて来た事に!

 のぶはもう私の襟元を掴んではいない。今にも泣き出しそうな、犬っころみたいな顔していた。

「……女は怖えな……香水なんて気づかなかったよ」

 元はアンタが中坊ん時に「女の匂いがする」とか言ったからじゃないか!

「どうせのぶの鼻は、魚が新鮮か腐ってるかと、女が処女か非処女かにしか効かないんだよ!!」

 のぶは力無く笑った。

「……わかった。話すから……この手を離してくれ」

 それでも、今のぶを泣かしているのも、海乃だろう。


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