なんとか旅館にたどり着きいた。
急いで階段を駆け上がり、晃の部屋のドアを開けた。
晃が鼻の下を伸ばして、優海ちゃんに何か食べさせてもらっていた。
「何だよその格好?プールでも行ってきた帰りか?」
「……馬鹿」
ガラスの靴をあいつめがけて思いっきり投げつけた。
唖然としているあいつと優海ちゃんを置いて、走って旅館から出ていった。
「……馬鹿!」
あいつが叫び、ガラスの靴を俺に投げつけて出て言った。
何がなんだかわからなかった。
遠くで木が折れる音が聞こえた。
ガラスの靴を見ると中に少し水がたまっていた。
今日は台風が来てるんだった。
俺はあいつが何の為に来たのかやっと気がついた。
この暴風雨で涙か雨か判別がつかない。
気付くと自分のアパートまで帰ってきていた。
ドアを開けて、玄関に座り込んだ。
頼んでもないのに強風が気をきかしてドアを閉めてくれた。
……どうして私はあんな男の所へ行こうとしたんだろう。
本当に馬鹿だった。
私がいなくてもすぐに別の女が傍に来ている。
わかってたはずなのに。
外では風の音が激しく響いている。
立ち上がる気力もなくコンクリートの玄関に座り込んでいた。
突然、部屋のチャイムが連打された。
もしかして……
おそるおそるドアを開けると、やっぱりびしょぬれの晃が立っていた。
あわてて平然を装った。
「あれ、何してんの?」
晃は手に持っていたガラスの靴を差し出した。
「……忘れ物」
ガラスの靴を一応受け取った。
「忘れたんじゃなくて、返しに行っただけだから」
また晃にガラスの靴を突き返した。
あいつはガラスの靴をみようともせず、私の目をずっと見ていた。
「優海ちゃんとのこと誤解してたから……」
「……誤解?何のことだろう。身に覚えがないけど」
「……俺はお前が好きだから、信じられなかったらお前が信じるまで何十回でも何万回でも言ってやる」
風で木が折れる音が聞こえる。
「俺はお前が好きだから」
急に肩の力が抜け、涙が溢れてきた。
「……冗談はやめてよ。自分のこと分かってる?日本全国の人気者じゃないの」
「それがどうしたんだよ」
「……あんたの気まぐれに付き合って、結果傷つくの誰?私でしょ……」
「気まぐれじゃないって言ってんだろう!俺はお前が」
もうこれ以上何も聞きたくなかった。またおかしくなりそうだ。
「もうこれ以上あんたのせいで、傷つきたくも泣きたなくないから……もう帰ってよ」
どこかで看板が飛ばされて、大きなものにぶつかった様な鈍い音がした。
ドアを閉めようとした瞬間、晃は私の左手を握って廊下に引き寄せた。
後ろでドアが閉まる音が聞こえる。
「ちょっと、なにすんのよ。私はね」
「お前少し黙ってろ」
次の瞬間あいつの顔が目の前にあった。
唇にやわらかい感触がした。あいつの濡れた髪から冷たい滴が頬に落ちてきた。
抵抗しようとしたのは最初の一瞬だった。
唇のぬくもりを通じて嫌という程わかったことがある。
私はどうしようもないくらい晃が好きだった。
もう未来の事なんてどうでもいい、ただこの瞬間がとても幸せだった。
ガラスの靴が手から滑り落ち、割れた。
風が廊下にも吹きこんできたが、行き場をなくして高い音を出して消えた。
どれぐらいこうしていたのかはわからないけれど、突然、晃は肩を持ち力任せに私を離した。
「俺、もう駄目」
そう言うと、私にもたれかかるように倒れた。
「ちょっと。ねぇ、大丈夫?ねぇって」