―天空の花嫁編―
陽光が目を差した。薄暗闇に慣れたアランはわずかに眉をしかめ、手でひさしを作る。見上げた空は抜けるように蒼かった。
ルラフェン地方とサラボナ地方を結ぶ巨大な隧道洞窟に入ったのは朝方。思いの外人通りのある洞窟内を情報交換も兼ねてゆっくり進んでいたためか、もう昼近くだ。
「『噂のほこら』の人に助言をもらって正解だったね。出発時間が遅れたら、街に到着する前に日が変わっていたよ」
「多くの商人、旅人を受け入れてきた経験があるのでしょう。それはそうとアラン」
ピエールが隣に進み出た。珍しく彼の肩に乗っていたメタリンが、ぴょんとアランの頭に乗り移ってくる。ピエールの疑問をメタリンが引き継いだ。
「アンタ、ほこらを出てから妙にそわそわしてない?」
「え? どうして」
「だってここに来て妙に詳しく話を聞きまくってるし。そりゃあ、探してる何とかの盾ってヤツの情報を集めるのはわかるわよ? けどそれにしちゃあサラボナの街について尋ねすぎじゃない?」
「そう言われてもさ。目的地のことや、盾を持っている人のことを確認するのは必要だと思うけど」
若干戸惑ったように仲間を見るアラン。ピエールは何食わぬ顔で言った。
「その盾の持ち主とされる男はルドマン――あなたの知己だと聞きました。それから、彼の愛娘である二人の女性とも親交があると」
フローラとデボラのことだ。別に隠す必要はないのでアランがうなずくと、メタリンが大きく息を吐いた。いつの間にか隣に来ていたチロルまでもが、どことなく不安げに喉を鳴らす。
アランは彼らが何を心配しているのか理解できなかった。
「いったい、どうしたのさ」
「どうしたもこうしたもないわよ。アンタは何とも思わないわけ? これから絶対手に入れなきゃならないモノが、よりによって知り合いの手にあるのよ。そんでもって、そいつのとこには年頃の女が二人もいる」
「? だから?」
「天空の盾を餌にして、あなたを婿に迎えよう。先方がそう主張してきたときのことを、我々は危惧しているのです」
きょとんと目を瞠る。やがてアランは小さく吹き出した。
「何を心配しているのかと思えば。大丈夫だよ。ルドマンさんはそんな無茶は言わな――」
「がうっ。がるる、がう!」
「何だいチロル。君も心配してるのか? 君だってルドマンさんには会ってるだろ? あの人がそんな人じゃないくらい、わかるじゃないか」
「『逢ったことがあるからこそ、その心配がある』……と、彼女は申していますよ。チロルに聞きました。かの人は気に入った御仁にはかなり強引に話を進めるそうではないですか」
アランは口を閉ざす。そういえば十年前にフローラがそんなことを言っていたなとアランは思い出した。わずかにこめかみに汗が流れる。
「でも、たとえルドマンさんが押しの強い人でも、いきなり僕を婿になんて考えないよ。他に相応しい人がきっといるだろうし、第一、あれからもう十年以上も経っているんだ。きっと忘れられているさ」
「これだからあなたは。いいですか、あなたはご自身の魅力と、亡き父上の傑物ぶりを過小評価しています。私に言わせれば、ルドマンなる男があなたを縁談相手の候補に選ぶことは十分に考えられるでしょう」
英雄は人の記憶に残るものです、とピエールは言った。しばらく考え、アランは表情を引き締めた。
「わかった。心に留めておくよ。でも天空の盾を手に入れることと、縁談の話とはまったく別物だ。僕はそのつもりでいる」
「それを聞いて安心しました。あなたがそういう心持ちなら、我らがやることはひとつです」
今一度きょとんとするアラン。忠実な魔物の騎士は胸を張って宣言した。
「相応しい女性が現れるまで、余計な虫からあなたを守ることです」
「ま、そういうことね」
「がるる」
「ギャア、ギャア!」
「クルックー!」
いつの間にか他の仲間たちまで集まってきて、ピエールに賛同していた。唯一スラリンだけがアランの肩で呆れている。
「みんなー。だからボクがずっと言ってるでしょ! アランなら大丈夫だって! というかピエール、チロル! 前にボクが『止めて』って言ったら、良いこと言ったって、褒めてくれたじゃないか!」
「気が変わりました」
「えええっ!?」
「ほっほっほ。まあ気にしなさんなスラリン。こいつらは我らの主のことが心配で心配でしょーがないのじゃから」
訳知り顔でマーリンが笑う。アランは軽く頭を押さえた。
「……僕は、そんなに女性にだらしない人間だと思われているのか?」
「だらしなくないから心配なのです」
「どういう意味なんだ」
「それは自分で考えないといかんのう、アラン殿。ま、儂が思うにピエールたちの不安は当たらずとも遠からずといったところじゃろうて」
いそいそと馬車に引っ込みながらマーリンが言う。アランは仲間たちを見回した。責めるような視線ではないが、全員がアランをじっと見つめていた。
「もし迷ったならば、古今の格言を思い浮かべると良いですぞ、アラン殿」
笑みを貼り付けて、馬車の幌から顔を出すマーリン。アランと目が合うと彼はしたり顔で、
「英雄色を好む」
「ふざけるならば永遠に引っ込んでいなさい。爺」
「ほっほっほ。怖い怖い。しかしそれくらいの割り切りは必要なのではないですかな? 儂はそう思いますですぞ、アラン殿」
ピエールの静かな恫喝にも動じず、マーリンは馬車の中に姿を消した。
皆を落ち着かせて、アランは再び歩き出す。東には峻烈な山脈や大きな森林、西には河が流れる地形ながら、整備された街道のおかげで馬車は順調に進んだ。
――しかし、これほど緊張しながら街を訪れるのも珍しいよな。
河の向こうに見えてきた巨大な塔と、その傍らに広がる街並みを視界に捉え、アランはふとそんなことを考えていた。