それから簡単に準備を済ませ、連れだって家を出る。村の主立った道は一本だけ。途中、あの小さな墓の前を通る。
アランは自然と足を止めた。墓に向かって、再び小さな祈りを捧げる。同じく立ち止まったビアンカが、少し驚いた表情でアランを見ていた。
アランは微笑む。
「ごめん、立ち止まって。何だか自然と体が動いちゃって。やっぱり僕にとって、亡くなった人は特別な存在だから。父さんには、墓も建ててあげられなかったし……」
「それ、私のお母さんのお墓だよ」
ビアンカの言葉にアランは目を見開いた。すると彼女がそっと身を寄せてくる。
「良かった。アランが優しいままで。お母さんもきっと喜んでいるよ。ありがとう」
「ビアンカ……」
柔らかな体と彼女の匂いに、アランはわずかに赤面した。
どれくらいそうしていただろう。ビアンカがぱっと離れ、いつもの満面の笑みを浮かべた。
「さ、温泉までもうちょっとだよ。行こ!」
先導するように駆け出すビアンカ。その後ろ姿に彼女の気恥ずかしさを感じたのは、アランの気のせいだろうか。
それから二人は、質素な佇まいの宿に辿り着く。入口の左手には植物で覆われた板垣で囲まれ、奥から湯気と共に人々の笑い声が聞こえてきた。
建物の中に入ると、すぐカウンターが目に入る。どうやら宿と併設されているようだ。受付に立つ壮年の男にビアンカが親しげに話しかける。ふと、男に視線を向けられた。驚きとともに、何か冷やかすような色が浮かんでいるのが見えたが、すぐに男は笑顔になった。
「やっぱビアンカちゃんは村の男じゃ釣り合わねえよなあ」
「え? どういうこと?」
首を傾げるビアンカ。
それから二人は宿の奥に入り、『更衣室』と書かれたスペースに入る。布で仕切られただけの簡単な部屋だ。どうやらここで服を脱いで温泉に入るらしい。
更衣室には二人の老人がいて、アランを温かく迎えてくれた。「今日の風はちょっと冷たいよ。風邪を引くから早く入りんさい」とまで言ってくれる。続いて更衣室に入ったビアンカとも陽気な挨拶を交わしている。小さな村だ、皆知り合いで、家族に近いのだろう。
温かな気分に浸っていたアランは、ふとあることに気づいた。
「服を脱ぐ場所はここだけ?」
「うん。そだよ」
「そだよ……って、じゃあビアンカはどうするのさ」
「どうするのさ……って、もちろんここで脱ぐけど?」
「え?」
唖然とするアランに、ビアンカはけらけらと笑った。
「大丈夫よ。私も皆も慣れっこだし。これがこの村の習慣なのよ」
「そう、なの、か?」
「ひとつしかない温泉だもの。皆で大事に使わなきゃね」
それはとても大切なことだとアランも思うが、やはり、何かが違うような気がする。大衆浴場に縁が無かった彼は、そういうものなのかなと無理矢理自分を納得させた。
長旅でよれた服を脱ぐ。無意識の内にビアンカに背を向けていた。
しゅるしゅる、と互いの服が衣擦れの音を立てていると、不意にビアンカが声を上げた。
「うわぁ……アラン、すごいカラダ」
「うへ!?」
細い指先で背中を撫でられ、彼にしては珍しい上ずった奇声を出す。なおもビアンカはぺたぺたとアランの体を触る。
「すごく引き締まってる……けど、傷跡もいっぱい。ねえ、痛くないの? 大丈夫?」
「あ、ああ。もう傷口は塞がっているし、痛みはもうないから。やっぱり長旅をしていると魔物との戦いも多――」
言いつつ振り返ったアランは、完全に凍りつく。
服を脱ぎ去り、握ったタオルで胸元を隠しただけのビアンカがそこにいた。
どんな強敵にも冷静さを失わないアランが、このときばかりは完全に我を見失っていた。
「いや、あの……えと……」
「ふふっ。アランのエッチ」
「ええっ!?」
「冗談よ。ずいぶん離ればなれになってたけど、私とアランは姉弟みたいなものだもの。今更、そう……恥ずかしくなんてないよ」
その口調にわずかながらの蔭を感じ取ったアランは表情を戻す。
「ビアンカ」
「さ、お爺さんたちが言ってた通り、このままじゃ風邪をひいちゃうわ! 早く入りましょ、アラン! ここの温泉は本当によく効くんだから!」
そう言ってビアンカは率先して湯に向かう。
その後ろ姿は、余りにも鮮烈な光景としてアランの脳裏に焼き付いた。