ビアンカの家は山の斜面に沿うようにして建てられている。その外縁を囲む通路からの眺めは、まるで城のテラスから城下を見渡すように心地良い。
遙か先の山々の稜線に沈み行く太陽を見つめながら、アランはぼんやりと物思いに耽っていた。
『あの子は、ビアンカは私たちの本当の子じゃないんだ。拾い子なんだよ』
ダンカンの台詞が脳裏を過ぎる。
彼が言うには、ビアンカはアルカパ郊外の森に捨てられていたそうだ。危険極まりない場所で毛布一枚にくるまれただけの幼子が、ダンカンに拾われるまで生きていたのは奇跡としか言いようがない。
ただ、そのときのビアンカはとても安らかな寝息を立てていたそうだ。まるで世界に守られ安心しきっているように。実際、周囲に魔物の気配はぱたりと消えていた。
今でこそ普通の少女、普通の女性としての生活をしているが、ビアンカは何か特別な運命を秘めているのではないかとダンカンはつぶやいた。
だからこそ、アランのような青年に導いて欲しいのだと。
「ふう……」
アランは木組みの桟に肘を乗せた。ダンカンはそれ以上の話を振ってこなかったが、彼が真剣にビアンカの将来を考えていることは痛いほど伝わってきた。パパスの友人である彼にここまで信頼してもらえたことは、それだけでも光栄に思う。
ただ、アランの懊悩は一気に深まってしまった。
ビアンカと再会したとき、アランの心を占めたのは純粋な喜びだった。逢えて良かった! 生きていて良かった! まさに歓喜と呼ぶに相応しい感情だった。やがて彼女と話をしている間に、懐かしさと、幼少の頃は意識しなかった深い思慕を感じるようになっていた。
ふと、子どもだった頃の冒険を思い出す。一緒にレヌール城のお化け退治に行ったときだ。彼にとってビアンカはちょっと強気な姉であり、かけがいのない友達であり、仲間であった。
それが今、大人になって再会し、彼女は見違えるほど美しくなった。だが、彼女の本質は変わっていないように思える。それがたまらなく眩しく、魅力的にアランの目には映る。
ビアンカに覚えた感情は、フローラに対するそれとは微妙に違うように思える。その違いが何なのかアランにはわからない。ひとつ確かなことは、ビアンカもフローラも、アランにとってとても大事な存在だということだった。
僕はこんなにも移り気のある男だったのかな、とアランはひそかに頭を悩ませる。
「アラン、どうしたの。こんなところで」
振り返ると、すぐ後ろにビアンカが立っていた。眩い笑顔ながら、ちょっとだけ気遣わしげな表情も浮かべている。
彼女はそっとアランの隣に立った。二人の間には人一人分くらいの空間がある。
「それにしても、大変だね。ピエールたちに聞いたけど、アラン、もの凄く大変な旅をしているじゃない」
ビアンカが言った。アランは気を取り直して応える。
「これは父さんの意志を継いだ旅なんだ。大変だなんて言っていられないし、そんな風にも考えてないよ」
きっぱりと告げると、ビアンカは「ふふ」と笑った。
「やっぱりアラン、私が想像してたとおりだ」
「え?」
「優しくて格好いい、立派な男の人になってた。うん、お姉さんは嬉しいわ」
うんうん、と何度もうなずくビアンカ。
彼女の言葉を聞いたアランは、無意識のうちにこう尋ねてしまっていた。
「ビアンカは、僕と再会するまで、ずっと僕のことを考えてくれていたの?」
「え……」
ビアンカが固まる。アランもどうしてそんなことを聞いてしまったのかわからない。
互いに見つめ合う。
少しだけ冷たい風が二人の肌を撫でた。
「あ、そうだ!」
無理矢理空気を変えようとしたのか、ビアンカが唐突に手を叩いた。
「アラン、疲れているでしょ。いいところに連れていってあげる」
「いいところ、ってどこ?」
「温泉よ。温泉!」
ああ、とアランは思い出した。確かこの村に来たときに話を聞いた気がする。
村の方に視線を向けると、確かに一箇所、もうもうと湯気が立ち上るところを見つけることができた。「あそこかな」とつぶやくアランの横で、ビアンカが胸を張った。
「この村はとっても体に良い温泉が湧いているの。私たち家族がここに移り住んだのも、ここの温泉でお父さんに湯治をしてもらうためだったのよ」
「そうだったんだ」
「だから、今から一緒に行きましょ。私も汗を流したいし」
「そうだね……って、ん?」
アランは首を傾げた。
「ビアンカも入るの?」
「そうよ。当たり前じゃない」
さも当然という顔をされた。アランは頬をかく。
実のところ『温泉』というものがどういうものか、アランはいまいち想像できていない。放浪の旅が長いため、とにかく体が清潔に保てればそれでいいという考え方だったから、湯にゆっくり浸かって疲れを癒やすという発想があまりないのだ。
ここまでビアンカが自信を持って勧めるのだから、良いところに違いないし、別にビアンカと一緒に行っても問題ない場所なのだろう。
アランはそう考え、素直にうなずいた。
「うん、わかった」
「よし。それじゃあ準備して、さっそく行きましょ。手拭いは私が持っていくから、アランは自分の着替えを持っていくのよ? いい?」
「はいはい」
アランは苦笑した。その口調はまるで弟に対する姉のものだ。アランは懐かしい気持ちになった。