小説『接吻』
作者:東雲咲夜()

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 瞼の裏に、ちかちかと光が見えた。
 ゆらゆらと映るそれが眩しくて楓夏は目を開けた。
 ベッドの上で少しだけ上半身を起こす。瞬きをしながら窓を見ると、カーテンが揺れていた。
 ふわふわと揺れるカーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。
 だから眩しかったんだ。
 眩しさの原因が分かって、楓夏はまたもぞもぞとベッドにもぐりこんだ。
 休日に朝早く起きる必要はなかった。ふかふかの掛け布団が気持ちいい。
 布団の暖かさも良かったけれど、背中にあたる温もりも心地よかった。
 体を反転させて、隣で眠る愛しい人を見た。
 楓夏の方を向いて眠っている彼。
「浩?」
 小声で名前を呼んでみたけれど、起きる気配はなかった。
 少し硬い黒髪髪をすいてみたけれど、やっぱり起きなかった。
 瞼も震えないから、寝たふりをしているのかどうかもわからない。
 つまらないけど、起こすのも申し訳ないので、楓夏は浩に背を向けた。
 眠ろうとしたものの、なんだか目が覚めてしまった。
 布団にくるまりながら、揺れるカーテンを見る。
 白いレース模様のそれは、朝日に照らされて少し橙色をしていた。
 普段特に見向きもしないものだけれど、たまにはじっと眺めるのもいいと思った。
 緩やかに揺れるカーテンを見ていると、うとうとしてきた。
 もう一眠りしようかな、と楓夏が瞼を閉じようとしたときだった。
 ぎゅうっと、後ろから力強い腕に抱き寄せられた。
 驚きながらも、楓夏は大人しく身を任せた。
 抱き寄せられてから、くるりと楓夏は浩の方を向いた。
「おはよう……」
 いつもより少し掠れた声で浩が言った。
 まだ瞼は重そうだったけれど、瞳はしっかりと楓夏のことを見ていた。
「おはよう。起きたの? それとも起きてた?」
 半分、と浩は答えた。
「楓夏が、髪を触ったあたりから気が付いてた」
 そうなんだ、と返事をしながら楓夏は猫のように体をすり寄せた。
 ゆっくりとした鼓動が聞こえて、なんだか嬉しくなった。
 力強くて、優しくて、あったかい。
 こうして浩にくっつくのが楓夏は好きだった。
 くっついて満足している楓夏を見て浩は言う。
「暑くないのか?」
「なんで?」
「一応毛布の中なんだが」
「そんなの関係ないよ。あついよりも、むしろ気持ちいいよ」
 人の温もりはとても心地よくて、安心できる。愛しい人の腕の中は、一番好きな場所。
 嬉しさが胸の奥からこみ上げてきて、楓夏はくすりと笑った。
 まだ少し眠たげにしていた浩が訝しげな顔をした。
「なんで笑うんだ? 何か可笑しいことでもあったか」
 不思議そうにする浩を見て、楓夏はさっきよりも大きな声で笑う。
 この愛しい恋人は、少し鈍感なところがある。
 乱暴なんじゃなくて、ぶっきらぼうよりも、不器用が当てはまる。
 そんなところも、好きなんだけれど。
「可笑しいよりは、嬉しいことかな。だって、浩がこうして側にいてくれるんだよ?」
「当たり前だろう? 俺はお前の事が好きだからな。傍にいるのは当然だ」
 あまりにもストレートな言葉に楓夏は赤面してしまう。
 不器用な割には、時折こうやって恥ずかしいことをよくいうから困ってしまう。
 しかも本人は軽く首をかしげながらいうのだから性質が悪い。
「浩が側にいてくれるから、笑うんだよ? だって、しあわせでしょう」
 楓夏がそういうと、浩は考えこむような表情をした。
「幸福……か」
「浩は、しあわせじゃないの?」
 そう尋ねてみると、浩は微かに微笑みながら言った。
「俺自身、幸福というものははっきり理解できていない。だが……お前といて嫌だと思ったことはない。居心地がいいのをしあわせというのなら、そうだな」
 楓夏はその言葉を聞いて、ちょっと涙ぐんでしまった。
 慌てて、くるりと向きを変えて、浩に顔を見られないようにした。
 正確には、涙ぐむというよりも、今にも泣きそうな状態だった。
 嬉しさで泣くのは、悲しさで泣くよりも全然いいものな気がする。
 それでも、たぶんみっともない顔をしているだろうから、浩には見られたくなかった。
 見られたら、浩は困ったような顔をするのだろう。何か泣かせるようなことをしてしまっただろうか、と。
 その優しさを考えただけでも、嬉しすぎてどうにかなってしまいそうな気がした。
 愛しい人から、大事に思われている。好きだといわれる。傍にいてくれる。
 これ以上しあわせなことがあるだろうか?
 涙もいつの間にか消えていて、楓夏は笑っていた。
 高揚した気分のままに、楓夏は浩に尋ねた。
 本当は、少しだけまだ目が潤んでいたのだけれど。
「どうして、傍にいてくれるの? 好きだからだけ?」
 どんな返事が返ってくるのかと、どきどきした。
 返ってきた浩の答えは――
「守ってやりたいからだ」
 守る? 一体何からだろうと、楓夏は考え込んだ。
 特に危ないことには手をだしていないし、そんな気もないけれど……
「お前が泣かないように。悲しまないように。寂しくないように。陳腐だが、お前を苦しませる全てのものから、守りたい。それだけだ」
 その言葉を聞いて、どうしようもなく胸が熱くなった。
 なるべく笑顔のままでいようと頑張っていたんだけれど。
「だから――泣くな?」
 我慢できずに、楓夏は泣いてしまった。
 顔は背を向けているから見えないようだが、軽くしゃくりあげているので、浩にはばれてしまったらしい。
 抱きしめていた腕が、ゆっくりと背中をさすってくれた。
 すこしずつ、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
「誰のせいだと思ってるのよ……」
 少しすねたような声で楓夏はいう。
「さあな」
 返ってきた浩の言葉はそっけなかった。でも、とても暖かくて優しさが込められていた。
 服の袖で涙をぬぐって、浩の方へと向き直る。
 一体なんだと訝しむ浩の顔を引き寄せて、楓夏は唇へとキスをした。
「なっ……」
 顔を離すと、ひどく驚いた顔をしていた。
 今までに見たことがないくらいに、動揺しているように見えた。
 口をぱくぱく開けたり閉めたりしている浩を見据えて、楓夏は言った。
「ありがとう」
 驚いていた浩の顔が、瞬く間に微笑みへと変わって。
 唇に、柔らかなキスが落ちてきた。
 どんな言葉よりも確かな想いが伝わってきて、また泣きそうになった。
 ふわふわとした幸福感に包まれたまま、楓夏は瞼を閉じた。
 もう少しだけ、このままでいるのもいいかもしれない……
 白いカーテンが、柔らかくはためいていた。


 優しいキスを落として 誓いを刻みましょう 愛を守ると
 
 たとえ離れ離れになろうとも 想いは消えることなく美しく

 ああ 麗しきかな 無限の愛情


 
 
 唇の上なら愛情のキス  
 
 
 

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