34:組織のトップは物知り
「「はぁ……」」
机に突っ伏す男子二人。
生徒会長が先程発表したとんでもない提案に事後承諾をせざるを得なくなった彼らは、現在全力で落ち込み中である。
「信……全力で防ごうとした?」
「したさ……」
「じゃあ許す……」
「そりゃどうも……」
そんな男子に目もくれず、女子たちはキャイキャイと絶讚お話し中。内容はもちろん、学園祭のことである。
心なしか、というか確実にやる気がみなぎっているのは生徒会長のありがたい提案によるものだ。
「織斑くーん! 決まったよー!」
ごちゃごちゃとしている人混みから一夏に声がかかる。ちなみに何が決まったかと言うと、学園祭でする出し物である。
二人ともとても話し合いに参加するような元気はなく、今の今までただただ机に突っ伏していたのだ。
「ほら、クラス代表。呼ばれてるぞ」
「あ、真宮くんも来てー! 早くー!」
「お前もな」
二人はそろって立ち上がり、のろのろと女子の混雑に分け入っていく。そのとたん、ほぼ飛び込んでくる形で出し物の案がところ狭しと書き込まれた紙を渡された。
「「「「「「ここから選んで!!」」」」」」
「つってもなぁ……」
頭の後ろに手を回しながら、信がざっと目を通す。それにならい、一夏も自分の方の文字列を見ていく。
二人の顔が一行ごとに青くなっていったのは言うまでもない。
(『織斑一夏のホストクラブ』、『織斑一夏とツイスター』、『織斑一夏とポッキー遊び』、『織斑一夏と王様ゲーム』……ろ、ろくなのがない……)
(『真宮信と秘密のお遊び』、『真宮信と愛の逃避行』、『真宮信の優しい囁き』、『真宮信と一緒』……ヤバイ、頭痛が……)
(ん!? これなんだよ!? 『織斑一夏を一刀両断』って!! 箒か!? さっきからやたらと睨んできてるあいつが書いたのか!?)
(『実践! 高速切り替え〜真宮信を蜂の巣に〜』、『真宮信は私の嫁』、『信さんの女たらし』、『酢豚に埋もれて死ね』……後半悪口だし! 大体誰が書いたかわかるし! 何!? 俺が悪いというのか!? つーか鈴! 自分のクラスに戻りなさい!)
「どれがいい!? みんなで話し合ったんだけど!」
キラキラ光る目の中に、ギラギラと殺気が混じる。おもに五つ。誰とは言わないが。
そんな視線をものともせず、信たちは言い放つ。
「「却下」」
一気に嬉々とした表情が崩れて消える。
「「「「「「「えーーーーーーーー!?!?!?」」」」」」」
「何ガッカリしてるんだよ!? 俺はその反応にガッカリだよ!?」
「あのなぁ、みんなもーちょっと真面目に考えてくれよ……あとごく数名になんだけど、なんでそんなに怖い顔してるの?」
こんな時にあの有名な織斑先生がいればささっと場を納めてくれるのだが、生憎すでに職員室。何か重要な会議があるだかなんだからしいが、本当のところはわからない。
そのため、代わりに教室にいるのは山田先生なのだが……。
「まやまや〜……どーしよー……」
「や、やっぱりダメですか……ポッキーのやつとかいいと思ったんですけど……仕方ありませんね」
((取り込まれていらっしゃる……))
男子たちはもはや無表情で立ち尽くすほかなかった。
そして、我に返った信が泣きつくような勢いで一夏の肩を掴んでブンブンと前後に揺らす。
「クラス代表!! 何とかしてくれ!! こんな暴挙を許してはいけない!!」
「わ、わかった! み、みんな! もっと普通の――」
「メイド喫茶はどうだ」
「よく言った、ラウラ! そうだぞ! メイド喫茶とか普通の……え?」
ぽかんとして、信は振り向く。そこに立っていたのはドイツの冷水、ラウラ・ボーデヴィッヒだった。
「客受けはいいだろう? それに、飲食店は経費の回収が行える。確か、招待券制で外部からも客が来るのだろう? それなら、休憩場としての需要も多少はあるはずだ」
全員が銀髪少女の口からすらすらと出てくる言葉に唖然とする。
まさかまさか。
『あの』ラウラがそんなことを言い出すとは夢にも思わず。
一足先に混乱から回復した一夏は言葉に躓きながら、皆の意見を聞く。
「えーと……みんなはどう思う?」
誰一人声が出ない。
そんなとき、信が笑いながら手をあげた。
「ラウラに一票。理屈も通ってるし、大丈夫じゃないか? なにより俺たちに無害! どうだ、シャル?」
「え!? な、なんで僕にふるの!?」
「経験者だろ?」
「え?」
「いやー、実は前にシャルがメイ――」
「わ、わー!!!! わー!!!! ぼ、僕もいいと思う! うん! 一夏と信には執事とかやってもらえたらいいんじゃないかな!」
『執事』という単語がクラスの女子全員の心を貫ぎ、ラウラの意外性プラス優等生のシャルロットの意見ということもあって、すんなり『メイド喫茶案』は納得されたのだった。
「執事!! この二人が!!」
「いい!! すごくいい!!」
「ふ、服は!? 私演劇部衣装係だから縫えるけど!」
一気にさまざまな意見が飛び交う。もうこうなったらやめられない、止まらない。
意見が出るのは大いに良いことなのだが、あまりに十代乙女たちのエネルギーが巨大すぎて制御が効かなくなり始めた。
クラス代表の一夏はほったらかしでどんどん進んでしまい、話があっちこっちに飛んで、もはやなんの話をしているのかわからなくなる始末。
このままでは、と一夏と信が思ったちょうどその時、短く、少し強めの咳払いが皆の発言を一瞬止めた。
「メイド服ならツテがある」
みんながバッと振り向くと、そこにはまたしてもラウラの姿が。自分が注目されたのに照れたのか、ラウラは顔を赤くし、また咳払いして横を向く。
「……ごほん。シャルロットと嫁がな」
「は?」
「えっと……ラウラ、それって先月の……」
「うむ」
「ああ〜……計画的だな、ラウラは」
信が感心したように声を出す。
「き、訊いてみるだけ訊いてみるけど……ダメもとだからね?」
不安そうに微笑むシャルロットに、女子一同『構わないです!』と一言。結果的に、無事メイド服と執事服は貸し出してもらえた。
そんなこんなで一年一組の出し物はメイド喫茶改め、『ご奉仕喫茶』に決定。
めでたしめでたし。
「ところで鈴はなんでここにいるの?」
「う、うるさいわね……てっ、敵状視察よ!」
◇
「……というわけで、一組は喫茶店になりました」
「ほう。案外普通だな」
俺は職員室に結果報告へと出向いていた。
まったく……クラス代表って疲れるなぁ……。
「で?」
「はい?」
「とぼけるな。どうせ何か企んでいるんだろう?」
「いや、特に……ま、まぁ、コスプレ喫茶、みたいなものです。はい。」
「立案者は誰だ? ま、大方目星はついているがな。田島か、リアーデか。あの辺のやつらだろう?」
「ラウラです」
「……は?」
「ラウラです」
キョトンとしてるよ。あれ? 発音悪かったかな……上手く伝わらなかったのか?
「ぷっ……あっははは!! ボーデヴィッヒか!? あいつがコスプレ喫茶? よくもまあ………ふははっ!」
「あ、あはは……」
「そうか……あいつがなぁ……昔はあんなに……はははっ!」
まさかの大爆笑。こんな千冬姉見たの始めてだ。涙目になってるし。
どうやらこんな千冬姉を始めて見るのは職員室の先生方も同じらしく、みな目を丸くしていた。
「はは……はっ!? ……ん、んんっ! さて、報告は以上だな?」
あ、戻った。早えぇ。
「はい」
「ではこの申請書に必要なものを書いておけ。学園祭一週間前には出すように。いいな?」
(めんどくさいなぁ……)
「い・い・な?」
怖えぇ。
頭を激しく上下に振ると、頭が痛くなった。
メリハリついてるよなぁ、本当。怖い、またはすごく怖いかの二択だけど。
それでも昔よりは優しくなってるってとこが驚く。たしか、千冬姉が高校生くらいの時だよな。ちょっとずつ丸くなったのって。
(あ、そういえば……束さんとつるむようになってからだ……)
やっぱり、この二人は持ちつ持たれつの関係なのかもしれない。俺には次元が違い過ぎてよくわからないけど。
「織斑、学園祭には各国軍事関係者やIS関連企業など多くの人が来場する。一般の参加は基本的には不可だが、生徒一人につき一枚配られるチケットで入場できる。渡す相手を考えておけよ」
「あ、はい」
千冬姉が無言で頷いて俺に背を向けた。
『帰ってよし』の合図を受取り、一礼して職員室を出た。
静かに扉を閉じて、早速歩き出そうとすると。
「ちゃお♪」
「……」
目の前には生徒会長、更識楯無さんが。
うっ……悔しいけど、やっぱ美人だ。いや、負けるな俺! 何に負けるかは知らないけど。
「……何ですか?」
「ん? どうして警戒してるのかな?」
「いやいや……それを言わせますか?」
ロッカールームでのこと、そして学園祭のこと。もうすでに俺の中では要注意人物である。
俺の警戒心丸出しの表情を涼しげに見つめる先輩は、何か探っているような目をしていた。
「ふふ。それもそうね」
「じゃ、失礼します」
そう言って俺はアリーナへと歩き出す。
だが先輩が限りなく自然に一緒に付いてきた。一瞬気付かなかったほどだ。
「……」
本当に自然だ。不自然過ぎるほどに、自然だ。もとから俺の横にいたかのように、俺が許可しているかのように。
なんだかこの人、誰もが巻き込まれてしまうような『流れ』を持っている…………気がする。
そして、何だろう……この人誰かに似てるような……?
「まあまあ、まずは私の話を聞いてくれないかな? 若いうちはもっとオープンにいくべきよ」
「誰にクローズされたかわかってるんですか」
「んー? 私?」
「何故に疑問系?」
「そうね。じゃ、交換条件を出すわ。私が君の専属コーチをしてあげるから、許して?」
「いや、結構です」
なんやかんやで箒や鈴、セシリア、シャルロット、ラウラがコーチとして俺に付いてくれる。これ以上増やしたって意味がない。すでにいっぱいいっぱいだし。
「そう言わずに。私、こう見えても生徒会長なのよ?」
「は?」
「あら? あなたも知らないの? IS学園における生徒会長は最強なの」
「……はぁ……」
「反応薄いわね〜。だからね、最強の私に教わっちゃえばいいじゃない。YOU教わっちゃいなYO!」
「何なんですか……」
呆れながら歩を早める。すると、会長が俺の視界から突然いなくなった。
「……あなた、悔しくないの?」
俺は思わず立ち止まってしまった。
振り向くと、会長が神妙な顔つきになって俺を見つめていた。
「いつまで追いかけているつもり?」
「何を――」
「信くんのことよ。わかってるでしょう?」
「……」
「彼がなぜ君の指導をしないか知ってる? 彼はね、いつも君と対等な立場だと思ってるの。ライバルだと思ってるのよ?」
いつの間にか会長は俺の心を射抜くように鋭く、厳しい目を向けていた。
俺は蛇ににらまれた蛙のごとく、身動きが取れなかった。
「それなのに君は何? いつまでたっても『自分はまだまだ』、『全然ダメだ』……信くんとまともに戦おうとしたこともないじゃない」
「ならどうしろっていうんですか? 『なんだこんなもんか』って信を落胆させろって言うんですか?」
「君は自分と彼を比べ過ぎてるのよ。それで、自信を失っている。それこそ彼を落胆させると思うけど? 違う?」
俺たちは互いの目を見た。
会長は怒りとも、呆れとも違う目をしていた。
対して俺はきっと、静かな怒りの炎が燃えていただろう。
「私のしたことが気にくわないなら、それでもいい。でも、ここでみすみすチャンスを逃す気?」
「チャンス?」
「そう。ISのこと、私が初歩の初歩、基本の基本からみっちり教えてあげるわ。学園最強の私が。間違いなく、あなたは彼にとどく。私はそう思う」
しばらく無言。
認めたくなかったが、全て図星だった。さまざまな思いや葛藤が体を駆け巡り、やがてひとつに集束する。
俺は小さく息を吐いた。
「……信じていいんですか?」
会長は頼もしい笑顔を添えて、どこからともなく扇子を取り出す。閉じられたそれをビシッと俺に向け、美しく、力強く声を響かせた。
「私はIS学園最強の生徒会長、更識楯無。自信がないなら、それを付けさせるだけ。あなたが私を信じてくれるなら、断言しましょう。君は、もっと強くなれる」
その強い熱意のこもった瞳に偽りは微塵もなかった。
◇
ところ変わってこちらは真宮信。
「ジャンケン、ぽん! あっ!」
「お疲れ様でした。えっと、先輩で最後でしたよね?」
開いた手のひらをプルプルと震えながらやるせない思いで見つめている二年生の先輩に声をかける信。
生徒会長、更識楯無が独断で発表した例のジャンケン企画をただいま慣行中である。
「ううっ……チョキを……あそこでチョキを出していれば……」
「な、なんでジャンケンなのに誰も勝てないの……」
今回の挑戦権を得た二年六組の女子たちは全員敗北。肩を落としてゾロゾロと帰っていった。
そんな悲しげな背中に罪悪感を覚えつつ、信は苦笑した。
「はぁ……つっかれたー……」
「ふふ、お疲れ様。はい、紅茶よ」
「みーやんだいじょーぶー?」
「虚先輩、ありがとうございます。のほほんさんもサンキュな」
ここ、生徒会室に集った生徒会の役員三名。
「にしてもジャンケンなのに一回も負けないなんて驚いたわ。どんな確率なのかしら?」
まず三年生にして会計係、布仏 虚のほとけ うつほ。
会計係とは言うものの、他の仕事もバッチリこなす完璧主義な最年長者である。
「みーやんはね〜、心を覗くのが趣味だから〜、きっとなに出すのかわかるんだよ〜」
一年生であり、信と一夏とクラスメート。さらに先に紹介した布仏虚の妹。
庶務係、布仏 本音のほとけ ほんね。
いっつものろのろだらだら。姉とは違うゆっくりした動きと、無駄に長い袖が特徴。
「人を変態みたいに言うなよ……ていうかなぁ、人って気合いとか入りすぎると……っと、やめとこう。のほほんさんに言うとみんなに広まる」
そして、新設された役職『生徒会長補佐官』の役割を担う、真宮信。
この三人と生徒会長、つまり更識楯無がこのIS学園の生徒会役員である。
「ところでさ〜、集会の時のわたしの演技すごかったでしょ〜?みんなに見られてきんちょーしたんだ〜」
「本音、嘘はやめなさい。あなたが緊張したところなんて見たことないわ」
「はは……ま、確かにすごかったよ。おかげで俺はこのザマだけどね……」
信は本音に向かって弱々しく笑みを向ける。
「さて。それじゃ、仕事しましょ。真宮くんはこの書類を片付けて。本音はこっち」
ドサッ、といういかにもな音を立てて書類が目の前に置かれた。
あからさまに嫌そうな顔をする二人に向かって、虚はやれやれと腰に手を当て、片方の眉をつり上げる。
「ほら、二人ともしっかりして。今頃は織斑くんも頑張ってるはずよ?」
「えー? おりむー、何やってんの〜?」
「楯無さんと特訓。なんか組み手からやる……とか言ってた。のほほんさんもやってくれば?」
「ええー!? やだよ〜!? みーやんの意地悪ー!」
本音は本当に不服そうに口を尖らせて子供がただをこねるように顔を机の上で転がし始めた。
そんな様子を信と虚はにこやかに見守りながら、それぞれの仕事を始めるのだった。
「俺も頑張らなきゃな……」
一枚目の書類を片付けながら、信は呟いた。
◇
「がっ……! げほっげほっ!」
楯無は容赦なく、一夏を畳の上に叩きつける。
場所は柔道場。二人の格好は袴姿。
痛みで身動きが取れない一夏の頭上から、無慈悲に挑発の言葉を投げる。
「ほら、いつまで寝てるの? 早く立ちなさい」
「ぐっ……! はぁ……はぁ……」
「最初の威勢はどこにいったのかしら?」
そう言いつつ、楯無は感激にも似た驚きを密かに抱いていた。
組手を始めたのは一時間前。『私を床に倒したら一夏の勝ち』というルールを提示した楯無は、未だに倒されていない。
対して、立ち向かってくる一夏はとうに数十回は床に叩きつけられ、体の各部に打撃を加えられている。
普通なら戦闘意欲も消えているはず。
しかし、その瞳に宿る強い意思はまったく衰えない。むしろ静かに、そして確実に強くなってきている。
体の動きもこの短時間で明らかに洗練され、一段階上のレベルに昇華しつつある。
(ふふ、男の子ってすごいわね)
よろけながら、だがしかし、大地に根を下ろす木のようにしっかりと立つ一夏を見て、楯無はますます笑みを広げた。
目の前の男子はぐいっと頬を伝う汗を拭い、攻めにも守りにも対応できる姿勢をとる。
圧倒的な敵を前にして、それでもなお食い付こうとあがく。一夏は確実に、本気で強くなりたいと思っている。
楯無は嬉しく思った。これほどまでに鍛えがいのある人材はいない。
彼に必要なのは練習の場ではなく、心置きなく全力で戦える実戦の場なのだ。伸びしろが無限にあるなんて、ワクワクすることこの上ない。
楯無が微笑みをたたえたままなのはそれが理由である。
「先輩……強いですね……」
「いいえ。あなたが弱いのよ」
心にもない言葉を投げてみる。
ようやく息を整えた一夏は、表情を変えず、今までにないほどの集中を始める。
感情に流されず、ただ一撃に全てを込める。
流石は世界最強の織斑千冬の弟。勝負の極意は無意識下に学んでいる。
「……すぅー……はぁー……」
(本気ね……)
意気込みを感じとり、楯無も揺らぎない姿勢で勝負の時を待つ。斬れるように鋭い沈黙が二人の間に広がってゆく。
二人の距離はたかだか数メートルほどしかないはずなのに、ひどく遠く感じた。
……何分、いや、何秒経っただろうか。
一夏が思いきり畳を蹴り、楯無に近づく。
IS学園最強が反応に遅れるほどの素早さで、一夏が動いた。
「――!」
あまりの早さに思考よりも反射が勝った。
腕を取って力任せに投げようとしてくる一夏。それを楯無は思わず本気で投げ返してしまった。
相手の力を利用し、自らの力に変換する。円を描くように一夏の体は浮かび上がり、逆側の畳にうつ伏せになるように叩きつけられる。
二人とも一瞬何が起こったか気付かないほどに滑らかで美しい技が決まった。
ズドン、という重いものが畳に打ち付けられたその音で、楯無はハッと我に返った。
今のは確実に気絶級の衝撃なはず。楯無は謝ろうと口を開きかけた。
しかし。
「がっ……! も、らったあっ!」
「!!」
一夏は朦朧とした意識のなか、楯無の足首を掴んで笑った。
その瞬間、楯無の見ていた世界が逆さまになる。文字通り、足下を掬われたのだ。
僅かに焦ったものの、すぐさま落ち着きを取り戻し、頭を床に向けたままの状態で右腕で体を支える。
「いい線いってるけど――」
そして、床についた手を軸にそのまま体を回転させる。
「甘ーい!」
左右に大きく開かれた足は連続ヒットし、まさかの反撃に面食らって数歩後ずさりする一夏。
その間に楯無はピョンと跳ねるように一回転。再び一夏を視野に入れる。
「くっお……おりゃぁぁぁぁ!!!」
もはや気合いだけで楯無につかみかかる一夏には『あれ? 端から見たら俺、変態じゃね?』とか思う余裕はない。
(さーて、どんな感じ――変態がいる!!)
そして、ちょうどたまたま物凄くいいタイミングで柔道場の扉を開いた信がその様子を見ているのに気付く余裕もない。
一夏の手が楯無の胸元を強引に掴み――
「あっ!?」
「きゃん」
――滑った。足の着地点に、汗が飛んでいたのである。
はっきりしない意識ながら、自らが掴んだ胴着が思いっきり下に開かれてしまったときに、楯無の下着に包まれた胸に目がいく余裕というか、本能は残っていた。
(箒といい勝負だな……って! ヤバイ!)
(織斑先生ー! 弟さんがご乱心ですよぉぉ!)
(隙あり!!)
三者三様、それぞれの思いが交錯する。
いち早く口を開いたのは学園最強。それに続くは男子たち。
「一夏くんのえっち」
「なぁっ!?」
「ていうか変態野郎」
「誰が変た――」
思わずツッコんでしまった一夏に、楯無の繰り出す強力な打撃を避けるすべはなく。
本人が何をされたのかわからぬまま、空中に体が浮かび、またまた連続ヒットの嵐。
彼が気を失う直前に見たものは、信が合掌している姿だった。
「おねーさんの下着姿は高いわよ?」
その言葉を聞くと、ぷっつりと糸が切れたように目の前が真っ暗になった。
織斑一夏、己の煩悩が故に敗北。
(む、無念……!)
とてつもない疲労と、それなり悔しさを抱いて、一夏は事切れた。
◇
「で?」
「うん? なーに?」
この人はまったく……。
俺はため息をついた。
「だーかーらー! 言ってたじゃないですか! 『私が指導するに値するか確かめる』って!」
「あーあー! ごめんね、あれ嘘」
「はぁ!?」
「もともと指導はするつもりだったよ。これは『どのレベルから指導を始まるか』のテスト」
楯無さんは悪びれる様子もなくクスクスと笑う。
なぜこんなにも上品な笑いができるんだ。あなた嘘ついてましたから。まぁ大して困るようなものじゃないから良かったけど……。
「じゃあ一夏も鍛えるんですね?」
「うん。もちのろんよ♪」
「はぁ……しっかし最初の仕事が『俺と一夏の専属コーチをやらせること』だなんて、変なこと頼みますよね、本当に。まず仕事じゃないですし」
「気にしない気にしない♪」
俺は座った状態で手だけ後ろに動かし、体をそらせるようにして天井を見上げる。
こっちとしてはそういうのはいないんだけど、一夏はあまりにも多すぎるコーチを抱えている。
うち三人が……まぁ、うん。残りはかなりいい指導者らしいが。
だから多分断るんじゃないかな〜とか言ったらこのザマですよ。『断るなら、断らせなければいいじゃない――by楯無』ってこういう意味か……。
実力を見せつけるっていうなんともまあ荒療治。
完全にのびている一夏を横目でちらりと見る。
一夏……南無南無。
「さて、信くん? 次――」
「お疲れ様でした。あっ、一夏のことよろしくお願いしますね〜……」
「待てーい」
立ち去ろうとするも、がっしりと頭を掴まれる。ちょ、痛いんですけど。
「見たわよね?」
「な、何を?」
「正直に言いなさい。私のおっぱい、見たわよね?」
「年頃の女の子がそんな言葉を口にしちゃいけません」
ぐいっと頭を引っ張られて振り返ると、目の前には満面の笑みを浮かべた生徒会長が。
あれ? なんか……ヤバイ?
「じゃあ……見たい?」
「……はい?」
予想外。まさか自ら進んでそんなこと聞いてくるとは。
俺は唖然としてしまう。
「ふぅーん……信くんってやらしいのね」
「なっ!? い、今の『はい』は聞き返しの返事であってですね!? 決して肯定という意味の言葉ではなく!!」
「へぇ……なら」
「ちょ!? ちょちょちょちょ……!」
妖艶な表情をしながら、胴着に手を持っていく生徒会長。
おいおい……! この人いいとこの出じゃないのか!? そんなはしたないポーズはいかんだろ!
俺はとっさに片手で目を隠す。一応言っとくけど、目も閉じてるからね。隙間から覗くとかしてないからね。
……もういいかな? あわよくば……いやいや。そうじゃない。あくまで安全確認。薄目でそーっと……。
「……」
俺が見たのは『煩悩』の二文字がかかれた扇子だった。
いや、否定はできないですけどね!?
ガッカリしているのか、ほっとしているのか、俺はまたため息をついた。
「あはっ。興奮した?」
「……全然」
「あれー? その割には顔が真っ赤だよ? それに残念そうだし」
もうやだ……。
そりゃあ……興奮するだろ。男なんだから。
「まあいいや。もしかしたらいつかそういう関係になるかもしれないからね。その時にゆっくり見せてあげる♪」
「あ、あはは……俺なんかには楯無さんはもったいないですよ……」
「ふふ、どうだか。あくまでそれは君の主観でしょう? 周りから見たら違うかもよ?」
「『周りから見たら違うかも』っていうのは楯無さんの主観ですけど?」
「むう……」
あ、ふてくされた。頬を膨らませてこちらを睨む楯無さんは悔しいことに、すごく魅力的というか、放ってはおけなかった。
……わかりましたよ。
「あーもう降参ですよ……見ました。見ちゃいました」
「うん。よろしい。じゃ、袴に着替えてね?」
どうやら楯無さんの下着姿はすごく高いらしい。強制的に全額返済させられるだろう。しかも高金利っぽい。
気絶で済むかな……。
―――――――
――――
――
「だからね、君は持続的に広い視野を持たなきゃダメなの」
「な、る、ほ、どぉわっ!?」
あ、あぶねぇ! この人俺を殺す気ですか!?
楯無さんの鋭い連続突きを何度も紙一重でかわしながら、俺は辛うじて返事を返す。
「例えば――」
楯無さんの顔が勢いよく迫ってくる。
恐らくこのままだと頭突きを食らう。
でもこれはフェイク。 本命は腹部にパンチ。
俺はひっかからないぞ!
腕を交錯させて防御体勢をとる――
(と、見せかけて!!)
足払いを決めて、相手の体勢を崩す……はずだった。
が、楯無さんの足は床からすでに離れていた。
コンマ何秒、タッチの差で目標から逃げられた俺の足は畳の上を滑る。
(嘘だろ!? 始めから動きをよんでなきゃそんなこと――)
そこまで考えて、はっとする。
俺の額に例の扇子がピタッと当てられていたのに気付いたからだ。
「ね? 今、意識が私の足下にいきっぱなしだったでしょう?」
「うっ……」
確かに。完璧に当たったと思ったから上方は完全にノーマークだった。
楯無さんはスッと腕を下ろすと、俺と距離をとる。
どうやら仕切り直しのようだ。
「うへぇ……もうやめません?」
「何言ってるの。もう訓練は始まってるのよ?」
「てか俺はまずIS動かさないと……」
楯無さんはキョトンとした表情を浮かべる。まるで、意味がわからないとでも言いたそうに。
「まだわかってないの? あなたがISを動かせないのは、君が弱いからだよ」
「え?」
「君の中身・・・がそう判断したの。ねぇ?信くん……いえ、『PT-000』・・・・・・?」
「んなっ!? なん――」
俺が叫ぼうとすると、ドスッという鈍い音が聞こえた。
きっと同時に伝わったはずなのに、痛みは遅れてやってきた。腹を抱えるようにして膝を付いたところで、ようやく気付いた。
もろに強烈なストレートを食らってしまったのだ。
「ほら、動揺し過ぎると注意力が散漫になる」
「がっ……はっ……!」
「今まで君のご両親の一番側にいたのは誰だと思っているの? 君の素性をわかってないわけないでしょう?」
上から聞こえる楯無さんの声は優しく、けれども下手な言葉よりも刺があった。
はたしてそれが本心か、はたまた挑発なのか。
「見たら何でも出来るのは素晴らしい才能よ。でもね、出来ることが出来ても・・・・・・・・・・それは当たり前なのよ」
「ど……どういう……ことですか?」
「君自身の肉体や精神の強さがまだまだ足りないってこと。正直、一夏くんのほうがまだあるわ」
俺は痛みを引きずりながらも、なんとか二本足で立ち上がる。
なんだ、この人……どういう家系に生まれてきたんだよ。激強じゃないか。
「いい? 君がISが動かせないのは『まず己を鍛えよ』ってこと。このままじゃ、専用機が戻ってくるなんて夢のまた夢だよ」
楯無さんの目は俺を興味深そうに見つめていた。生まれたての子猫のような、綺麗な瞳だった。
己を鍛えよ。
俺はその言葉を頭のなかで何回も繰り返す。
確かにそう言われれば、一夏ほど己を鍛えた覚えはない。いつもいつも、俺は出来ることを上手くやってきただけだ。出来ないことを克服しようとは思わなかった。
自分で言うのもなんだが、ほとんど出来てしまったから。
「あなたの場合、結果が出るから、だからこそ、周りより努力しなければならないの。常に誰かの目標であり続けなければいけないの。その覚悟がないうちは、ある意味あなたはこの学園で最弱よ」
「……」
「全力で来なさい。大丈夫、私には勝てないから。君に足りないもののひとつは、悪足掻きしてやろうという気合いだよ」
ゆっくりと目を閉じて、意識を集中させる。
俺の中でざわついていたものが消え、鏡のような心の水面が現れる。
そこまで言うんなら、足掻いてやろうじゃないか。全力で。
「……すぅーっ……はーっ……」
目を閉じ、深く息を吸い、深く息を吐く。
再び開かれた俺の目には、周りの景色がひどくハッキリと視え、そして次にすべきことがわかった。
互いに身構え、ジリジリと時間が過ぎていく。
「すいません、楯無さん……俺、本気です……」
「……ひとつ教えてあげるわ。君のその目は『越境の瞳』ラズルシェーニャ・グラースって言うの」
「そうですか。なんて呼ぼうか迷ってたんです。ありがとうございます」
「気にいってもらってよかったわ。その名前、私が考えたの」
その言葉が終わるや否や、互いの足が畳を強く蹴る。常人ならとっくに目標を見失っているだろう。
だが俺は『越境の瞳』のおかげで楯無さんの動きを細部までとらえることができた。
そして――
◇
「やっぱり君は強いわ……でも、私も負けるわけにはいかないのよ。だって生徒会長ですもの」
「俺は弱いって言ってましたよね?」
「それは『先を考えるとまだまだ未熟』って意味でね。現時点でも相当力はあるから安心なさい」
楯無はぺたりと座り込んで、額の汗を拭う。
ここまで本気になったのはいつぶりだろうか。肩で息をしている自分がひどく心地よく感じる。
楯無に投げ飛ばされて背中から激突した信は、未だに大の字で寝転がっている。
ちなみに一夏は端の方で気絶しっぱなしである。
「あ〜ちっくしょ〜……でも最後のは流石に卑怯ですよ」
「ふふ。ごめんなさいね」
最後の激突。
楯無が選択した攻撃は最も簡単で、最も効果的だった。少なくとも、楯無にとっては。
相手が先を読んで行動するなら、その裏をかく。ただ単純に。
自らが意図的に造り出した隙を・・・・・・・・・・・相手が認識できるギリギリの位置で晒す。ごく自然に、相手がそれを見つけたことにより『よし! こんな隙をよく見つけたぞ、俺!』と無意識に思うような、そういう類いの隙。
わずかに信の全神経がそこに集中したことを確認……いや、感応した瞬間、楯無の両手は気づかれる前に、彼の顔の前にあった。
そして、その場所で思いっきり両の掌を叩き、全ての集中を根こそぎ絶ち切った。
いわゆる『猫だまし』だった。
そんな子供だましみたいな手を使ってくるとは夢にも思わず、そして、その子供だましに至るまでの圧倒的な技術の差によって、信は見事なまでの一本背負いを食らったのだった。
「やられた〜……でも同じ手は二度と食いませんよ?」
「楽しみにしてるわ。じゃ、今回は私の勝ちってことでいい?」
クスリと笑って楯無は得意の扇子を取り出そうとした。しかし。
(あ、あら?)
伸ばした手はスカッと空を掴み、物体に当たる気配がない。
「引き分け、は無しですかね?」
信はゆっくり起き上がる。その手には楯無の扇子が開かれ、握られていた。
火照った体をそれで扇ぎながら、信はニヤリと笑った。
「いつの間に……って、それ取ってる暇があったら……」
「いや〜あはは……すいません。やっぱりいざとなると生身の女性を本気で倒そうとするのもどうかと思いまして……」
楯無は絶句した。
目の前で情けなさそうに微笑むこの少年は、まったく別のところを狙っていたのだ。あの息もできぬほどのスピードの動きのなかで。
しかも、敵に気配すら感じさせず。仕掛けた罠にかかったと誤認するほど、本当に鮮やかに。
背筋がぞくぞくとした。
もしかして始めてかもしれない。実力が自分と対等の男性を見るのは。
「……ねぇ」
「はい?」
「……ううん、なんでもないっ♪」
なぜか上機嫌になった楯無を不思議に思いつつ、信はつられて微笑むのだった。