43:部活の先輩の顔と名前を覚えるときはなぜかキャラの濃い順になる
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「……嫁?」
「え? どうした?」
「その……もしかしたら……怒っているか?」
ラウラが申し訳なさそうに言った言葉に、俺は驚いて足を止めた。
現在俺たちは一組を抜け出し、あてもなく歩いていた。ギャーギャーと騒がしい1組にいると、またなにか面倒事が増えそうだったからだ。
「そんなことないけど……なんでだ?」
「いや……なんとなく顔が恐い気がしてな……」
やべ……周りに怪しいやついないか見回してたからかな……。
いつもは流してしまうような景色も視界に入れるため、細かいところまで神経を配らなくてはいけないから、自然とこわばった顔になっていたのかもしれない。
なんにせよ、誤解を解かなくては。
「そ、そうか? ちょっと緊張しちゃってたからかな……ほら、ラウラのメイド服かわいくてさ」
「かわっ……! んっ、んっ! そ、それはその……嬉しい……」
ラウラは相変わらず誉め言葉に耐性がないようで、もぞもぞとむず痒そうに体を動かした。空いていた左手を使い、頭を撫でてやると、ラウラはさらに照れ臭そうな仕草をしていた。
俺はいつものクールなイメージとのギャップを感じで笑ってしまう。
「む……それだ」
「え?」
「その顔だ。いつもの嫁の顔は」
「そ、そうなのか?」
「ああ。私は嫁の笑った顔が好きなんだ」
ぐはっ。
まずいまずい……これは嬉しい。照れる。
ラウラにそんなこと言われたらにやけるしかないじゃないか、ちくしょう。
照れ隠しのために止めていた足を再び動かし始めた。
「なんだ? 照れたのか?」
「そ、そんなことないって……」
ラウラは右側少し後ろにいるので、顔は見えないが、声色がニヤニヤしてる。
くそ! なんか……なんか照れてるのを認めたら負けな気がする!
さっさとこの雰囲気を終わらせるため、今度はこちらから話を切り出した。
「さ、さて、ラウラ。どこ行きたい?」
「ふふっ。そうだな……前々から興味があったのだが、『ちゃみちぶ』というところに行きたい」
「ちゃみち……? ああ、茶道部か」
「さどうぶ……そう読むのか? 漢字とは難解だな。いまいち慣れん」
眉間にシワを寄せるラウラに、そうだよなと俺も苦笑いを返す。
よくよく考えたら日本語ってすごいめんどくさい言語だよな。ひらがな、カタカナ、漢字と三種類の文字を使い分けなきゃならないんだもんな……他所からみたら大変じゃ済まないレベルなのかもしれない。
それでも流暢に話すこの学園の人達はいったい……流石エリート!
「よし。じゃあ茶道部な」
銀髪を優雅になびかせて、ラウラは縦に首を振った。その表情はどこか楽しげで、なにかを期待しているようでもあった。
先の手伝いで学園の各フロアを駆け回ったあとだったので、茶道部の出し物――『気軽に楽しむお茶会屋さん』――がどこにあるのかは把握していた。
一組の教室のある廊下の、二つ目の角を曲がったところにある階段を上り、出たところの廊下を直進。だんだんとラウラが緊張と興奮で手を握るのに力を入れているのがわかる。
その先へと歩くと、抹茶のイメージなのか、茶色で文字を縁取った緑色の看板が見えた。ここが、茶道部の部室だ。
茶道部なだけはあり、その部室には畳が敷いてあるため、学園祭で出し物をする際は必ず部室を使うらしい。楯無さんが言っていた。
入り口にかかっていたのれんを手で払い、中へと入ると、ラウラが真似をしようとして手を高くあげた。
それが横断歩道を渡る小学生のように見えて、なんだかおかしかった。
教室に入ると、ラウラが大きく息を吸った。
「不思議な香りがするな……これが畳の香り、というやつか?」
「たぶんな。どうだ? 感想は」
「ふむ……なぜだか身が引き締まる。だが心は穏やかだ。気に入ったぞ」
ラウラはすぐに茶室に上がりたそうに体を揺すった。
すみません、と少し控えめに声をあげると、奥の『準備室』とかかれたのれんがパッと開く。そこから三年生の先輩である、我妻茶枝わがつまさえ先輩がにっこりと笑いながらこちらを覗いていた。
たれ目と左頬のえくぼがチャームポイント。
「あら、真宮はん。ようおこしやす」
「我妻先輩、今大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。どうぞ御上がりください」
しずしずと足を擦るようにして奥の部屋から出てきた先輩は、立派な和服を来ていた。日本人の美しい黒髪を際立たせ、地味な訳でもなく、派手なわけでもなく。これぞ『ジャパニーズビューティー』って感じがする。
そのまま個室へ案内され、正座する。すると、隣のラウラがしがみつくように手を握ってきた。
「あらあら、かわいらしいお連れ様で……お名前は?」
「ら、ラウラ・ボーデヴィッヒだ!」
ちょっと声が裏返ってる。これは相当緊張してるな。
「ふふ……そない固くならへんで。うちは気軽にお茶を楽しんでもらうのが『こんせぷと』やさかい、くつろいでてええんやで」
「そ、そうか! くるしゅうないぞ!」
先輩は優しくラウラに微笑み返して、お茶の用具を厳かに取り出すと、静かに準備を始めた。
すごい……全然気軽じゃないはずなのに、嫌じゃない。落ち着いていられる。
これがこの先輩のもつ雰囲気なのか、それともこの部屋の雰囲気なのか、はたまたどちらもなのかはわからないが、とにかく落ち着く。
やがて、お茶と小さなウサギの形をした和菓子が俺達の前にすっと差し出された。
「どうぞ」
「「ありがとうございます」」
一口お茶をいただくと、予想よりも苦くなかった。だがちょっと顔をしかめたところを見ると、ラウラにとっては少し苦めだったのかもしれない。
我妻先輩はくすくすと笑って、お茶菓子をどうぞ、と促してくれた。
「ふふ……織斑先生が言いはった通りやわ。ラウラはん、我慢強いわぁ」
「ぐ、軍属だからな!」
「それにお優しい……大丈夫、そのウサギさんもきっと、ラウラはんのような優しい人に食べてほしいと思うてはります」
「うぅ……どうしても食べるときに目が合って……」
ラウラはなんとか後ろめたさを堪えて口に運ぼうとするが、手のひらの上から一向にウサギがいなくならない。自分のいた部隊も『黒ウサギ』って言ってたし、ウサギには思い入れがあるのかも知れない。
俺は特にそういった思い入れはないので、パクリと一口でいただいた。
ラウラが少し非難めいた視線を投げてきたが、美味いから食べろよと言うと、ぎゅっと目をつぶって、同じように一口で和菓子を食べた。
「ん……うまい……」
「部活でお茶だけするんはあまり面白味がないさかい、和菓子もつくるんやで」
「へぇ〜……そうなんですか」
「ふむ……あれを作るとは……」
店から出たあとも、ラウラには非常に興味深い体験だったらしく、帰りに貰った部員募集のビラをじぃっと見つめていた。
日本文化にはなにか外国人を惹き付けるものがあるのだろうか。
「ああ、嫁。そうえばメールが来ているぞ、セシリアから」
「え? 俺に?」
こくりと頷くと、ラウラは自分の携帯を取りだし、メールを開いて俺に渡してきた。
「ふむふむ……じゃあ次はセシリアなんだな」
「そうらしい。では私は教室に戻るぞ」
「ああ。頼むぞ」
「……嫁」
「なんだ?」
「ねっ、ネコミミとウサミミならどっちが好きだ?」
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「あっ! 信さん!」
「ごめんごめん。待った?」
「い、いえ! 今来たところですわ!」
セシリアは右手で髪を弄りながら、少しはにかんで答えてくれた。
「そっか? なら良かったよ」
「はい! それでは行きましょうか!」
手がぐいと引っ張られ、セシリアの体にぴったりとくっつけるようにして、俺の腕が納まった。
本当にぴったりくっついてるので、バッチリ当たってる。毎回思うのだが、セシリアはわかってないのかな……。
イギリスでは普通なのか? 日本では熱いカップルしかしないと思うんだが……。
歩き出してからはもう一歩ごとにこう……すごかった。
しばらく歩を進めてから、セシリアがこちらを見ていることに気付いた。
「ふふっ、よかったですわ」
「え、えっ? な、なにが?」
「いつもの信さんですもの。なんだか今日は少し顔が恐かったので……」
セシリアは俺の腕を一層強く引き寄せた。
これは……!
あまりにも刺激がっ……!
「そ、そうだったか?」
「ええ……なんだか、不安になってしまって。その……変な話ですが、臨海学校を思い出してしまって」
「……そんなに恐かったか?」
なるべく普段通り振る舞っていたのだが……ダメだったか。
ラウラにも言われたし、隠しきれてなかったようだ。
「い、いえ! 普通はほとんど気付かないと思いますわ!」
「そうか……ごめんな、なんか心配させたみたいで……」
「……ふふっ、大丈夫ですわ。だって、信さんですもの。もう慣れました」
「え? 慣れたって……」
「信さんのことをいちいち心配してたら、嫌でも慣れてしまいますわ」
どういうことだ。俺ってそんな危ないやつだったっけ?
セシリアは面白そうに髪を揺らし、にっこりと笑った。
「だってたまに子供みたいなんですもの。信さんは」
「なんだそりゃ……」
心配ってそういうことか……目が離せないっていう意味……。
本格的に子供扱いじゃないか。もう高校生だぞ、高校生。もう少し大人だぞ。
いくらなんでもひどいじゃないか。
そりゃ……セシリアよりは子供かもしれないけど。
「ふふっ、本当のことですわ。でも、そうじゃなきゃ信さんじゃありませんから」
「はぁ……?」
「なんでもないですわ♪」
「……ま、いいか。それで? これからどうする?」
「そうですわね……信さんにお任せしますわ」
お任せですか。意外と一番難しいんだよな、これが。
うーん……セシリアはお嬢様だからなぁ……品位があるところがいいかな? いや、もちろんIS学園の学園祭に品位がない出店は存在しないんだが。品位が高い中でも特に高いところをってこと。
「セシリアは行きたいところはないのか?」
「行きたいところ、ですか……あっ」
「あった?」
「い、いえ……その、行きたいところではないのですが、行っておいた方がいいところが1つ……」
しどろもどろとセシリアは言葉を続ける。行くべきかどうか、そうとう迷っているようだ。
珍しいな……いつもならスパッと決断しそうなところだけど。
セシリアは本国で社長とかやってるって言ってたし、選択肢が出てきたらパパッと片付けて優雅に紅茶でも飲んで過ごす姿がイメージとしてあるんだが。
あくまで勝手な想像だけど。
あと、想像といえば、行くのを迷ってる場所も想像がつく。
俺はニヤリと笑って足を止め、セシリアと目を合わせる。
「当ててやろうか?」
「えっ?」
「テニス部だろ?」
「え、えっ!?」
「挨拶、まだ行ってないんだって? 先輩待ってたぞ」
「しっ、知り合いなんですか!? さっ、サラ・ウェルキン候補生と!?」
「じゃんけんのときに、ちょこっと話してさ……じゃ、行ってみようか」
驚いて口をパクパクさせてるセシリアを連れて、俺は再び歩き出す。
もちろん、テニス部がどこでなにをしているかもわかっている。だてに手伝いに駆り出されちゃいないぜ。
テニス部の部室は別棟だから、ちょっと歩くか……仕方ない。
すたすたと目的地に前進し続ける。
「あ、あの……信さん? ウェルキン候補生とはどういった関係ですの?」
「じゃんけんの企画の時にさ、言われたんだよ。『オルコットは元気か』ってね」
「そ、そうですか……」
「で? なんで挨拶行ってないんだよ」
ビクッとセシリアの肩が跳ねた。
サラ・ウェルキン先輩はセシリアと同じイギリスの代表候補生だ。IS学園二年生の先輩、もちろん美人。
ただ、彼女は専用機を持っていないらしい。代表候補生なら誰しも専用機を持てる訳ではなく、やはり国がいろいろと吟味してから、専用機を持たせるか否か決めるのだろう。
セシリアの返事を待ちつつ、俺は足を止めなかった。
「……ウェルキン候補生は、今年度から専用機を支給される予定でした。ですが……その……BTシステムの適性が入学前のわたくしの方が高かったので……」
「セシリアが受けとることになったってことか?」
「はい……ですから、ウェルキン候補生はわたくしのことをあまりよく思っていらっしゃらないのではと……」
なるほど、そういうことか。
セシリアはそのことで申し訳なく思ってるから、なかなか歩が向かなかったと。
代表候補生っていうのもなかなか大変なんだな。人付き合いも含めて。
責任感の強いセシリアならなおさらか。
しばらくしてから、何個目かの突き当たりの角を左に曲がると、テニスラケットの形をした看板が見えた。『来たれ! エースを狙う者たちよ!』と墨で書かれている。
それが目に入った瞬間、セシリアの足が明らかに止まりかけた。
「そんなに恐いのか?」
「じ、実は……噂で、ウェルキン候補生は鬼のような人だと……」
鬼、ねぇ……織斑先生のほうが圧倒的に鬼だと思うんだが。いや、まだウェルキン先輩のことよく知らないけど。
教室のドアを開けようと手を伸ばした瞬間、勢いよく向こう側からドアが開かれた。
さらに勢いよくそこから誰かが飛び出してきた。
「じゃ、私がひとっ走り宣伝を――っと、ごめ……あれ?」
「う、ウェルキン候補生……!」
「おぉー!! セシリアじゃんか! やっと会えた! 真宮も一緒か!」
テンション高いな……。
バシバシと肩を思いきり叩かれながら、セシリアと一緒に教室内に招き入れられた。
テニス部はなかなか繁盛しているというか、少なくとも人がまったくいないわけではなかった。中には執事とメイドの登場に驚きの声を上げる人もいたので、軽く会釈しておいた。
「あ、あの……ウェルキン候補生……えー、その……いろいろ忙しくて……ですから、挨拶が遅れてしまって……あの、決して会いたくなかったわけでは……」
「わぁーてるって! 気にすんな気にすんな! あれだろ? 忙しいって例のデータ収集だろ? なんとかティーシステム?」
「BTシステムですよ、先輩」
「それそれ! 真宮よく知ってんな! すげーぜ!」
いや、あなたの国の武装なんですが。なぜあなたが知らないんですか。
「なんかデータ収集とかめんどくてよ、だいたい専用機持つとかガラじゃねーし! いやぁ、オルコットには感謝しなきゃな!」
「え、え?」
「私さ、言ったんだよ。国の役人にさ、『そういうのかったりーからパス』ってさ。でもほら、あんときIS学園にいたの私だけじゃん? 強制的に専用機渡されそうになって焦ったぜ、ほんと! 嫌なら候補生やめろとか言われたし!」
「は、はぁ……」
「親も『せっかく候補生になったのにもったいない!』って言ってくるしよー、しゃーねーなって時にオルコットがここ受かってくれたからマジ助かったわー!」
軽い。この人、ノリ軽い。
失礼だが、確かにこの人は専用機とか持つような感じがしない。むしろ打鉄とかで棍棒振り回してそうなイメージ。
セシリアはさっきからバシバシと背中叩かれっぱなしで、あんぐりと口を開けていた。
「ん? なんだよ?」
「え? あ、あの……噂と全然違うので……」
「噂? 私がISの整備に夢中になると鬼のような集中力を発揮するっていうあれ?」
そういうことか……。
ていうか、鬼のような集中力ってなんだよ。使い方あってんのか?
「ま、そんなことはいっか! ほい、ラケットとボール!」
ぽいっと投げてよこされた二人分のテニスの装備一式を俺が受け取ると、ウェルキン先輩が満足げに笑い、そして説明を始めた。
「ほら、あそこにパネルあるだろ? んで、ここからサーブして、うまく抜いたら賞品やるよ!」
「テニス式ストラックアウトでしたね、そうえば」
確かそんな提案が生徒会に届いてた気がする。
大きな枠組みの中に正方形やら丸形、大きさも大小様々なパネルが用意されている。
大きかったり、狙いやすいところにあるパネルは当然もらえる賞品もショボい。逆に小さいもの、狙いにくいところのパネルを打ち抜くと、賞品はかなり良いものに。
「よーし、セシリア。勝負しよう」
「え? あっ……え、ええ! いいですわよ!」
一瞬戸惑ったセシリアだったが、すぐに優雅に微笑んで髪をさらりと撫でた。なんとなく晴れやかな表情をしているので、どうやら悩みも解決してスッキリしたようだ。
俺は小声で話しかけた。
「よかったな、なんか気さくな人で」
「ふふっ。そうですわね」
その後、セシリアとともにテニス部の用意した賞品をすべていただく勢いでパネルを打ち抜きまくった。
英国のお嬢様だけあって、子供の頃にテニスはやっていたという話。やはりなかなかの腕前だった。
ちなみに『賞品がなくなる』というテニス部からの苦情で、勝負はエキシビションマッチで賞品なしということでお開きとなった。
「いやー、結構楽しかったな」
「うふふ……」
「なんだよ? 顔になんか付いてるか?」
「いえ……信さんがあまりに楽しそうでしたので、つい」
「そうか?」
「ええ……あっ! すっかり忘れてましたわ! シャルロットさんからメール、来てましたわ」
セシリアはメイド服のポケットから携帯を取りだし、手渡してきた。
ていうか、なんで俺にメールをくれないんだろうか?
「うん……うん。わかった。ありがとなセシリア。あとは頼んだ」
「はい!」
そこでセシリアと別れ、俺は指示された教室へと足を向けた。
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「あ! 信、こっちだよー!」
シャルが俺を見つけるなり、顔を輝かせて手を上げる。
それに笑顔を返し、小走りで駆け寄ると、なんだかいい匂いが。待ち合わせ場所が料理部の部室、家庭科室だったためだろう。活動の成果発表を兼ねて、毎年様々な料理をここで提供しているそうだ。
「信、お腹減ったでしょ? ここで食べよ?」
「え? シャル、どこか行きたいところがあるんじゃ……」
「僕が来たかったのはここだよ。前から興味あったんだ〜」
シャルは待ちきれないと言わんばかりに俺の手を引っ張ってくる。
まぁ、ちゃんとした昼飯も食べてなかったし……俺としてはありがたいんだけど。表情を見る限り、食事を取っていない俺に気を使ってるわけでもなさそうだ。
教室に入ると、シャルは嬉々としてずらっと並べられた料理の数々を眺め始めた。
しかしすごい量を作ったものだ。
美味そう……よだれが出てきた。
「うわぁ……! すごいなぁ。美味しそうな料理ばっかり! ほら見て、信!」
「ああ! ドライカレー、キーマカレー、シーフードカレー、それからあれは――」
「もう! 全部カレーじゃない! 今日はカレー禁止!」
「ええっ!? そ、そんな! かっ、カレーうどんもか!?」
「だーめ! たまには別なもの食べなきゃ!」
シャルは頬を膨らまして俺を叱った後、トレーに皿を乗せて、食べたいものを少しずつとっていった。
バイキング形式って、ちょこちょこ色んなものを取れるのがいいらしい。俺はいつも一択だから気にしないけど。その一択がなんなのかって、もちろんカレーだ。
慣れない料理選びに戸惑っていると、シャルが俺のトレーにどんどん料理を置き始めた。
「マカロニサラダにミートソースパスタに……あっ、唐揚げも……」
「な、なんだよ……それくらい一人でできるって」
「だって信に任せたら全部にカレーかけてきそうなんだもん」
おい、シャル。俺にどんなイメージを抱いてるんだ……。
いくらなんでもそこまではしないぞ……たぶん。
だけど否定は受け付けてくれそうにないし、完全に否定できない感があるから、ここは大人しくカレー好きな人ってことにしておこう。
一通り選び終えると、適当に空いてる席を探して座り、改めて自分達のトレーに乗っている料理を眺めた。
うーん……カレーがないと寂しい……でも他の料理も美味しそうだからいいか。
いただきます、と二人で言った後、早速唐揚げを一口。シャルは自分の分の唐揚げを一口。
「わぁ……すごく美味しい」
「だな。たまにはカレーじゃないのもいいかもな」
「ふふっ。そうでしょ?」
柔らかく微笑んで、シャルはまた唐揚げを口に運んだ。
「よかった。信、元気になったみたいで」
「え? もしかして顔恐かった?」
「うん……ちょっとだけね? なんか緊張してるみたいだったよ?」
「ああ、やっぱり? うーん……あんまり自覚はないんだけどなぁ」
どんだけ恐い顔してたんだ、俺。
今度からは気を付けよう。
「はーい、真宮っちようこそ!」
「あ、ヘラルド先輩」
「ややっ? 隣の子はもしかして彼女さん?」
「ええっ!? ちっ、違います違います! そ、その、そうだったらいいんですけど……じゃなくて! あの、違います!」
にかっと白い歯を出して、ソニア・ヘラルド先輩が笑う。
ヘラルド先輩は二年生の整備科に所属しており、『小腹が空いたらあいつを呼べ』と整備科メンバーに言われるほどの料理上手。その腕は料理部で培われたとのこと。
ちなみに愛称はソニーなのだが、好きなキャラクターは某配管工の兄弟だという。そのことでよく『どっち派なんだ』と文句を言われるらしい。
「おっ? その唐揚げに目をつけるとは!」
「え、えぇ……美味しそうだったので……」
「嬉しいなぁ! それ、私が作ったんだ〜」
「そうなんですか。とっても美味しかったです。その……レシピとかあったら欲しいんですが、いただけませんか?」
シャルがヘラルド先輩におずおずと聞くと、先輩はチッチッと小さく舌を鳴らし、得意気に片眉を上げた。
そして、お見通しよと言わんばかりにシャルの肩を叩いた。
「もっちろんあるけど、料理部の秘伝だから。料理部に入らないと」
「なるほど……」
「ま、興味があったら今度見学に来てよ。特別サービスで肉じゃがの作り方も教えちゃうからさ!」
「……? は、はぁ……」
不思議そうにしているシャルを残し、ヘラルド先輩は鼻唄を歌って去っていった。
料理を誉められて嫌な気持ちになるやつはいない、と一夏が言っていたが、それは本当のことらしい。後ろ姿だけでもよくわかる。
しばらく不思議そうにヘラルド先輩を眺めていたシャルが、思い出したように一口唐揚げを頬張り、もぐもぐとしながら短く息をはいた。
「うーん……僕もこんな風に作れたらいいのになぁ……」
「なに言ってんだよ。シャルが前に作ったのも美味かったじゃないか」
「そ、そう?」
「ああ。そうだな……唐揚げカレーとか作ってくれよ、いつか」
「またカレー? ……ふふっ。ありがと。じゃあ今度はこの唐揚げより美味しくなるようにもっと頑張るね!」
そんな会話をしながら、俺たちはすべての皿を空にした。
非常に美味しかった。さすが料理部といったところである。食堂のおばちゃんもびっくりだぜ。
代金を払い、教室の外へ出ると、シャルがうーんと腕を組んで悩み出した。
「でもなんで唐揚げのレシピじゃないんだろう……」
「見学に来たらって話か?」
「うん。肉じゃがのレシピって簡単なのかな?」
そんなことはないと思うが。
だいたい料理したことない俺に言われても困る。俺は食べる方専門なんだ。
もしかして肉じゃがは秘伝が無いのか? いや、でも料理部って言うぐらいだし……うーん。
あ。肉じゃがっていえば……この前どうでもいい知識を教えられたな。
「そういえば、肉じゃがを上手に作れる女の人と結婚しろっていうのは聞いたことはあるな」
一夏から。
箒が聞いたら特訓しそうだ。
「へ、へぇ〜……」
「でもそれとは関係ないもんな……それにしても、なんで肉じゃがなんだろ? カレーでもいいよな?」
「そっ、そうだよね! 信! 僕ね、肉じゃがもカレーも、どっちも美味しく作るよ!」
「……?」
急に目が輝きだしたな……疑問は解決したのだろうか?
まぁ、そういうことにしておこう。これ以上突っ込まれても答えられないからな。
その時、シャルの携帯の着信音が鳴った。
「あっ……鈴からだ。はい、信。メールだよ」
「おう……ん、わかった」
だからなぜ俺に直接メールを送らないんだ……。
すごく疎外感を感じる。
「じゃ、またな。仕事よろしく」
「うん!」
大きく手を振るシャルに笑みを返し、俺は廊下を歩き出した。
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「遅い……まったく、いつまで待てば……」
「……わっ!」
「うやぁ!?」
そろそろと後ろから近づき、鈴の肩をいきなり叩く。
仁王立ちでコツコツと世話しなく足先を地面につけていたところを見ると、長いこと待っていたらしい。
順番が最後ってことはじゃんけんに負けたってことだし、納得いかずイライラしてたのかもしれない。鈴は負けず嫌いだからな。
「も、もう! 心臓に悪いからやめてよっ!」
「ごめんごめん。つい」
「まったく……子供なんだから」
「鈴には言われたくないな」
「……それどういう意味?」
明らかに今自分の胸を確かめたな……。
スルーしておこう……それが優しさだよな。もともとそういう意味で言ったわけじゃないし。
「身長がって意味だよ」
「……本当に?」
「それ以外なにがあるんだよ?」
「……くっ!」
そんなに気にすることないと思うんだけどなぁ……。
下手に慰めの言葉をかけても逆ギレされそうだし、話題を変えよう。それがいい。
「ところで……鈴は自分のクラスの仕事、大丈夫なのか?」
「そうね、なにせ隣のクラスにぜーんぶお客さん取られちゃいましたから?」
「な、なんだよ……別に俺のせいじゃないだろ?」
「まったく、どの口が言うんだか……」
鈴があきれ顔で見てくる。
多少目立つ格好をしているのは自覚ありだが、ただの執事に集客効果がそこまであるはずないよな……やっぱり、この学園では男というだけで相当珍しいのだろうか。
一夏がよく、『俺たちは客寄せパンダだ』と言っていたのは、間違っていないらしい。
「まぁいいわ。とにかく、今は遊びに行くわよ!」
「お、おう」
鈴にバシッという音をたてて手を捕まれ、どこへともなく引きずられていく。
なにか急いでいるのか、鈴は大股でずんずん廊下を進んでいく。
すれ違う人の大多数が鮮やかな赤色のチャイナドレスの女子に目を向け、驚きと関心の入り交じった表情をしている。パシャパシャとシャッターの音も聞こえてくる。
俺はふと、鈴が顔を隠しているのに気づき、引きずられながら鈴に話しかけた。
「……なぁ、鈴」
「なに?」
「照れてるのか?」
ピタッ。
突然足が止まったので、危うく鈴の背中に激突しそうになった。
慌ててブレーキをかけると、鈴が唇をきっと結び、顔を赤くして俺を睨み付けた。
「てっ、照れてなんかないわよ! べ、べべ、別にあんたに誉められてから嬉しくて顔がついにやけちゃうとか、そんな顔を写真にとられたくないとか思ってるわけじゃないから! と、とにかく! 知らないうちに笑っちゃうの!」
「それ照れてるだろ」
「んなっ……! こっ、この……バカ! さっさと行くわよ! さっさと!」
思いっきりすねに一撃食らった後、鈴がまた歩き出したので、涙目でついていくはめになった。
いてぇ……本気で蹴りやがった。
「もう! もう!! バカ! バカ! ほんとにバカ! 人の気も知らないでっ……!」
「じゃ、じゃあなんて言えばよかったんだよ……」
「そ、それは……しっ、知らない! 自分で考えなさいよ! このバカ!」
ひどい。ひどすぎるぞ、鈴……人の気も知らないでって、こっちの台詞だぞ……。
でも鈴がバカを連呼してるのは嬉しい時っていうのは経験からわかってる。それに、一応それは弾と数馬、それに一夏にも確認済みだ。
小学校のころから、どうやら暴言を言わないと笑みをこらえられないらしい。
「……ぷふっ」
「……なによ?」
「いや……鈴って面白いよな」
「はぁ?」
「別に照れてもいいんじゃないか? どっちかっていうと、笑ってる鈴の方が見たい」
「あ、あんたねぇ!? よくそんなこと恥ずかしげもなく……!」
「ほら、前に保健室でさ、俺がかわいいって言ったときの――いたっ!?」
いきなり腕を真下に引っ張られた。ぎりぎり脱臼しないレベルの力で。
鈴は声の大きさを極限まで落として、俺に耳打ちをしてきた。
「あっ、あれは他に誰も聞いてなかったからっ……し、信と2人だけだったからなの!」
「……? じゃあ俺と2人だけの時にはちゃんと照れるのか?」
「へ? あ……う、うん……そうかも……」
鈴はちょっと驚いたような顔をした後、長いツインテールの髪を撫でて笑った。
え……あれ? 今照れてる?
「へー……じゃあ今度からは2人っきりのときに目一杯誉めるよ」
「あ、ありがと……」
照れてる。うん、照れてる。
つい、鈴の無邪気な笑顔を不意打ちで食らって、少しドキドキしてしまった。
なんか俺まで照れてきた……誉められてもないのに。
「な、なんであんたまで赤くなってんのよ!?」
「そ、そんなことないって!」
とっさに否定してしまった。
鈴がじとっとした目でしばらくこちらを見たあと、大きく息を吸った。
こっちも迎え撃つために、同じく息を吸った。
「なってる!」
「なってない!」
「なってる!」
「なってない!」
「ぜーったいなってる!」
「なってないって!」
「なってるなってるなってるなってるっ!」
「だーかーらー! なってない!」
そんなやり取りをどっちも赤くなった顔で必死にするものだから、よけいに顔が赤くなった。
正直どうでもいい問題なのだが、最初になってないと否定した手前、どのタイミングで折れればいいかわからなくなってしまった。たぶん鈴も同じなんだろう。
そのとき、鈴がビシッと指だけ後ろに回して、ある教室を指差した。
鈴越しにその方向を見ると、そこはラクロス部の出店があった。
立て掛けられた看板にはでかでかと躍動感のある文字で『考えるな! 勘でしろ!』と書いてある。ラクロスの『ら』の字も書いてないので、客があやしがって近付かないようだ。人の気配がない。
「あーいいわ! じゃ、あれで勝負しなさい!」
「ラクロスでか?」
「そう! 負けた方が潔く認める、いいわね?」
返事を返す暇もなく、鈴は俺の手を引いてラクロス部のドアを勢いよく開けた。
バンッという音を立ててドアが横にスライドし終わると、部屋の中にいた部員たちが一斉にこっちを向いた。
みんなで机を組み合わせて作った大きなスペースを囲み、トランプをしていた。ラクロス部なのに。
しかも手元にはポテトチップやらコーラやら、完全にリラックスした状態で楽しんでる。
あれ……生徒会にはラクロス体験会やるって書類が来てたよな……。
「あ、あぁ!?」
「ちっ、違うのよ!? 別にサボってる訳じゃ!?」
「今! 今やろうと!」
ガタガタと立ち上がり、あせあせと机を片付け始めるラクロス部員。
鈴と俺が次に口を開く前に、あっという間で綺麗な教室にもどった。
「ご、ごめんなさい! お見苦しいとこを……」
「は、はぁ……あ、あの、ラクロス体験は……?」
「え?」
鈴の問いかけにキョトンとした表情を返す二年生、早川舞歩先輩。
早川先輩は『テキトー』がモットーのラクロス部副部長だ。好きな食べ物はたこ焼き。子供が大好きらしい。本人は『そういう好きじゃないから! ロリコンじゃないから!』と豪語している。
「……聞いてる?」
「しっ、知らないよ? あっ……! 舞歩がまたテキトーに許可降りそうな内容で申請したんじゃないの?」
「ちっ、違う! テキトーに『いろいろ頑張る』って書いて出したもん!」
「よく許可降りたね!? どうして!?」
「そんなの私にも――」
「『私が』書き直したからよ」
背中側から、妙に冷ややかな声が聞こえてきた。
思わず鈴と一緒に振り向くと、そこには――
「ぶ、部長……」
「舞歩? あなたにはしっかり伝えたはずだけど?」
「え? あ、ああ!? もちのろんでちゃんと聞いて――」
「なんですって?」
「テキトーに流してました! すんませんでした!」
シルヴィ・クロース先輩、通称『冷徹なサンタさん』。
表情がまったく変わらないことで有名な、ラクロス部の部長……いや、女王と言った方がいいかもしれない。イメージ的には。
「申し訳ないわ、真宮。お見苦しいところをお見せしてしまって……」
「いや、俺はいいんですが……」
「本当に申し訳ないわ……あら? あなたのガールフレンドかしら?」
クロース先輩が横目で鈴を捉えて言った。
「がっ、がるふっ……!? 違います!」
「そ。でもその割りにあなた、そう見られて嬉しそうじゃない?」
「んなっ!? ぜ、全然そん――」
鈴がまた顔を赤くして反論しようとした。
が、その言葉を遮って、クロース先輩が右手をすっと鈴の口の前に出した。
「覚えておきなさい、チャイニーズガール。嘘はいつだって非合理的なの。だから、嬉しい時は素直に喜ぶべき。それが一番合理的。いいこと?」
「は、はい……」
「私の性格なの。合理的なことしかしないっていうね」
鈴が静かになると、グロース先輩はもう一度俺に視線を戻し、少し首を傾けた。
「ごめんなさいね。もしよければ、あとでもう一度来てもらえるかしら」
「え?」
「今から部員たちと……お話し合い、しないといけないから」
ラクロス部員たちの塊から、小さく『ヒッ!』という悲鳴が聞こえた。
その後、鈴と教室を出て、行くところもなくブラブラと歩いた。しばらく静かになっていた鈴も、なんやかんやでそのうちに元気を取り戻した。
「はぁ〜……ラクロス、面白そうって思ったんだけどなぁ」
「面白そうだったじゃないか。いろいろ」
「あんたねぇ……ま、いいわ。歩き回るのも楽しかったし」
やれやれと言わんばかりに、鈴は小さな息を吐いた。そして、ちょっとだけ顔を伏せて、立ち止まった。
「……なんかあったら言いなさいよ」
「……え?」
「バカ……気づいてないわけないでしょ……それともなに? あたしはセシリアとかシャルロットとかラウラより……その……あ、あんたを見てない、とでも言いたいの?」
鈴が言いたいことはわかっていた。他の三人同様、俺の様子がおかしいと気づいていたのだ。
うーん……バレてないと思ったんだが……。
女性とは本当に恐ろしい。
「なんでもないよ。心配ないさ」
「そう、よね……あんただもんね」
「なんだよ、それ」
「信頼してるってことよ、バーカ!」
ニッコリ鈴が笑い、俺の手が解放された。
「服、褒めてくれてありがとね! すっごく嬉しかった!」
それだけ言って、恥ずかしそうな表情ではにかんだあと、鈴は一目散に廊下を駆けていった。呼び止める暇もなく、赤いドレスは人混みに消えていった。
あ……そうえばスリット深すぎって言うの忘れてた……。
そんなことを思いつつ、俺はクラスに戻るため、一人で歩き出した。