44:渦巻く影たち
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IS学園中央棟、中央エントランス。
すべての生徒が移動の際に必ず通る、学校のスクランブル交差点のようなところだ。
その中央にはホログラム装置が設置され、IS学園の校章が映し出されている。
「……」
そして、そこを待ち合わせ場所として指定した篠ノ之箒は、その近くに設置されていたベンチに腰掛けてそわそわしていた。
信が抜けた穴を埋めるため、一夏は働き詰め。休憩が許可されたのはつい先程のことだ。
ようやく二人きりになれるチャンスが来た、と箒は心のなかで大喜びしたが、もちろんそんなことは微塵も表に出さず、待ち合わせ場所を指定するやいなや逃げるように一組を飛び出してきてしまった。
そのままあの場に残っていれば、気の抜けた、だらしのないにやけ顔を一夏に見られそうだったからである。
「……遅い。もう5分もたったぞ……」
まさか生徒会長に捕まったのでは。あるいは一夏が自分から……いや。それはない。あの唐変木に限って……。
だが不安が拭いきれず、ベンチから立ったり、また座ったり。立ったり座ったり、立ったり座ったり、立ったり座ったり……。
何度目か数えることも忘れた頃、突然肩に手が当たった。
ようやく一夏が来たのだと、そういう希望を持って振り向くと、見事にそれは霧散した。
「よっ! 暇そうだな?」
「……なんだ、信か……」
「悪いな。一夏だったらすぐ来るさ。楯無さんから連絡あったし」
連絡があった……まるで一夏を監視しているみたいなことを言う。やはりあの会長は侮れない。もしかして、強力なライバルやもしれない。
そんなことを考えて難しい顔をしていた箒に、信はニヤリと笑みを投げた。
「安心しろって。一夏は箒とが一番お似合いだぞ?」
「ぶっ……!? と、突然変なことを言うのはよせ! わ、私は別に……」
信の顔を見る。
まだ笑っていた。
ため息をついて、箒は横を向いた。
「それは……そう見えるなら、嬉しいが……」
「それでよし」
「まったく……お前を見ていると、意地を張っている自分が小さく思えてくる……」
「へ? そうなのか?」
「ああ……なんでだろうな。信と一緒だと、私は素直でいられるんだ……」
そう言ってから、なんだかクサい台詞に思えて、箒は意味もなく座り直した。
ちらりと横目で見ると、始めて見る小さな生き物を眺める子供のような、好奇心と優しさが混じった不思議な顔をしていた。
「そっか。なら、一夏と居るときもそうならないとな」
「うっ……! ど、努力はしているんだぞ、これでも……」
「ふーん……それじゃ、俺は――」
会話が終わってしまう。
箒は考えるより先に、動いた。
「一夏が来るまで少し話でもしないか?」
いつもなら言わないような言葉が、自然と口をついたのだ。
なんとなく、そんな気分だった。このまま信と離れると、チャンスを逃したような、そんな惜しい思いをしそうだった。
信も箒らしくないと思ったのか、ちょっと面食らったような、そんな不思議な顔をした。
「どうした? なんかあったのか?」
「い、いや……ただ、独りで時間を潰すのに飽きただけだ」
「そっか。ま、いいや。どうせ帰ってもまた仕事だし」
「またって……お前がいきなり飛び出していったから、一夏はずっと休ませてもらえなかったんだぞ!?」
「わ、わかったわかった……ちゃんと働く、働きますから!」
「……本当にわかっているのか?」
「ワカッテルヨー。シゴトタノシミ〜」
「片言ではないか! ……ふふっ」
「……あははっ」
箒はスッとベンチに座り、信にも座るように促した。
横目で信が隣に座ったのを確認してから、箒は静かに口を開こうとした。
しかし、話題が見つからない。
自分から言い出した手前、沈黙を長くするわけにはいかない。
結局、最初に切り出したのはなんとも堅苦しい内容だった。
「その……臨海学校のときは、すまなかった……」
「え? まだ引きずってたのか?」
「あっ、当たり前だ! ……私は……私はお前を見捨てて、福音を……任務を優先したんだ……」
「ああ。織斑先生から聞いた。それで?」
「それでって……お、怒らないのか!?」
「怒るもなにも……ていうか忘れてるぞ、箒」
唇をキッと結び、険しい表情をしている箒に、信が柔らかに微笑んだ。
「福音を撃墜した後に俺を助けに行くって、そう言ったんだろ?」
「そ、そうだが……でも!」
「俺は気にしてない」
静かに信が言った言葉に偽りは感じられず、それと同時に、この話題を続ける意思も感じられなかった。
このままこの議論をするのは不粋というやつなのだろう。
本人が気にしてないと言うのなら、それでいいのかもしれない。
だが、箒はそんなことでは納得などできなかった。
「……れ」
「え?」
「殴れ!」
「は、はぁ? やだよ」
「お前が嫌でも私が良いと言っている! 殴れ! 私の気が済まない!」
「うわっ!? お、おい! な、なにすんだ!?」
「うるさい! ほら、早く殴れ!」
箒が強引に信の腕を引っ張るが、やはり男子といったところか、抵抗する力が強くてやすやすと殴ってはくれない。
それどころか、むしろ自分の方が引き寄せられているような感じがした。
「や、やめろって! この服借り物なんだぞ!?」
「それをいうなら私もだっ!」
「じゃあなおさら――」
そのとき、執事服の袖がブチブチッという糸が切れるような嫌な音を立てた。
「「あっ!?」」
次の瞬間、二人が予想だにしなかったことが起きた。
まず、音の割りに袖が破けることはなかったこと。
さらに、箒がほんの一瞬、自分の非を意識してしまい、力を緩めたこと。
そして、信が袖口を見るために腕を掴んでいた箒ごと、思わず顔の前に持ってきたこと。
それらの条件が重なって、気づいたときには、信の体に抱きつくように箒がその身を寄せていた。
数秒間、三センチと離れていない互いの顔を見つめ合う。
すぐには、離れられなかった。
信の真っ黒な瞳の中に、驚いて混乱している自分の姿が映っていた。
まるで、自分が信に吸い込まれてしまったかのような――
「ご、ごめん……」
「い、いや……元はといえば私が……」
そんな言葉の応酬の間も、吐息が顔にかかる。
箒は信の胸板に手をつき、押し出すように体を起こす。急いで退くつもりだったのに、酷く鈍くしか体が動かなかった。
体を離し終えると、信も少し後ろに倒れていた上体を起こして、箒と向き合った。
そうすると、今しがたの自分達の行動が信じられなくて、理解できなくて、恥ずかしくて。
ようやく心臓の鼓動が早くなり、顔が上気してきた。
急いで辺りを見回すが、通りすぎる人並みは変わらず、どうやら他の人には奇跡的に見られていなかったらしい。
「あー、えっと……」
「き、気にするな! あれは……そ、そう! じっ、事故だ!」
そして、無言。
事故と口では言ったが、なんという言葉で今の出来事を表現したらいいのか、本当のところはわからないのだ。それは信も同じなんだろう。
わざとではない。誓ってそうだ。
しかし、なぜだかそれで終わらせることが腑に落ちなかった。事故というその言葉が、信を傷付けていないか、不安になった。
「さ、さて! 俺はそろそろ戻ろっかな〜!」
「そっ、そうだな! きっとみんなが首を長くして待っているぞ!」
声が裏返ってしまった。
だがそんなこと気にしていられるような状態ではなかった。
「ま、またな! 箒!」
「しっ、しっかり仕事をするんだぞ! 信!」
「お、おー!」
早足で去っていく信の後ろ姿を見送り、箒は一夏が来るまでになんとかこの顔をもとに戻そうと、いろいろ考えるのだった。
◇
「や、やばいやばい……」
どこへ向かっているかもわからずに、廊下をほぼ駆け足で進んでいく。
立ち止まればさっきのやり取りを深く考えてしまいそうだからだ。
いくら箒が事故だと言っても、無かったことにはできない。
とりあえず……一夏に見られなかったのはよかった。もし見てたら『つ、付き合ってるのか……!?』とかなりそうだからな。
そういえば、焦ってなんにも言ってなかった……今度ちゃんと箒に謝ろう……。
「おーい! 信!」
「うわっ!? びっ、ビックリさせんなよ!?」
「そ、そんなに驚くか?」
そりゃああんなことがあったあとに一夏にあったら驚くっての。
「まぁいいや。箒、知らないか?」
「ほ、箒!? な、なんでだ?」
「いや……あいつ、『校章の前で待っている!』って飛び出してったからさ。校章って言ったって、この学校にいっぱいあるだろ?」
一夏が片方の眉をつり上げて、後頭部をかいた。
なるほど。箒が指定した『校章』を今まで探し回ってたから、遅れることになったと。
はぁ……なんで場所を正確に伝えなかったんだ、箒。いくらなんでも雑すぎるだろ……。
箒らしいと言えば箒らしいが。
「で? 知らないか?」
「ああ。さっき……見かけた。中央エントランスで」
「え!? なんだよ、あそこだったのか……てっきり外だと思ってた。ありがとな、信!」
「はぁ……箒、待ってたぞ。ほら、さっさと行けよ。こっちは大丈夫だ」
はにかみながら手の甲を外へ向かって振る俺に、感謝の笑みを投げて一夏は人混みに消えていった。
気付けば昼食の時間も過ぎ、廊下は再び人で溢れかえっていた。食事を終えて、一斉に次の場所へ移動し始めたためだろう。
俺は一夏が消えた辺りをぼんやり見ながら、しばらく立ち止まっていた。
そうえば、護衛が見当たらない……楯無さんは大丈夫と言っていたが……。
織斑先生がどこかで弟を見てるのだろうか。世界最強ともなれば、気配を消して動くこともできるのかもしれない……。
そのとき、ポケットが揺れた。携帯に着信がきたのだ。
「ん……はい、もしも――」
『初めまして、じゃないよな。オレたちは』
一瞬で、世界から音と色が消えた。
コツコツと響く廊下を靴が叩く音も、幸せそうな笑い声も。
ブロンドや黒髪などの髪の色も、窓から見える空の色も。
無音で白い、あの空間に成り下がった。俺が番号で呼ばれていた、監獄のような場所に。
その空間には、俺がただ独り。
携帯から聞こえる声は、少し高音で、冷たかった。
『さて、そろそろ本番に入らないとな。退屈だろ?』
「ま、待てよ……! 本番ってなんだ? まずお前は誰だ?」
『オレはお前よりもお前なんだよ・・・・・・・・・・・真宮信……』
「……? なんのことだ……?」
『いずれわかるさ……英雄気取りのバカが』
ゆっくり、振り返った。
スローモーションで、携帯を持った腕が床へと垂れる。
世話しなく行き来する人の、わずかな波の切れ間に、ポツンとたたずんでいる小さな影があった。
灰を被ったように真っ白な髪は老人のようだが、顔立ちは少年だった。服は対照的に燃えるような赤。
見まがうことはなかった。感じ損ねるわけがなかった。
背筋を這うようなこの悪寒は、あいつだった。
「お前にオレが止められるか? 欠陥品め」
色と音を取り戻した人の壁に隔たれて、残酷な笑みの正体は見えなくなった。
◇
「ふーん……まだ諦めてないの?」
『では君は諦めたのかい?』
機械で変換された、甲高い声が響く。
「もう考えてもいないよ」
『そうか……』
「諦めが悪いね」
『人のことは言えないだろう? まだ忘れられていないのがよくわかる。真宮信との関係を見ているとね』
「諦めたって言ってるでしょ。彼は彼なんだから」
ぴしゃりと厳しい口調で束が返す。
スピーカーから、拡大された耳障りな笑い声が聞こえてきた。
束は眉一つ動かすことなく、表示されたデータを分析し、更新プログラムを打ち込み続けている。
『彼は彼……なるほど。しかし言っておくが、これからもそうだとは限らない』
「ううん。これからもそう。彼はずっと彼のまま」
『……君は相変わらず、人間という生き物がわかっていないね』
「あのときからずっとそうだよ」
『なら、そろそろ教わるべきだね。人間というものを』
「どういうこと?」
返事はなかった。
通話が切れて初めて、束は手を止めた。
「……くーちゃん」
「大丈夫です……きっと」
近くに身を寄せた銀髪の少女を、静かに抱き寄せた。
◇
「……箒?」
「う、うん!? なんだ!?」
「いや……なんか様子がおかしいなって」
一夏に突然顔を除き込まれ、箒ははっと我に返った。そして、慌てて自分が剣道部の占いに連れてこられていたのを思い出した。
そうだ。あれからもうしばらくたっている。
せっかく一夏と二人っきりだというのに、ろくな会話も交わしていない。
「二人とも? 大丈夫?」
「は、はい! 部長!」
「うーん? 試合中にぼーっとするのはナシだよ? 箒ちゃん?」
「え? 箒ってもう試合に出てるのか!? さっすが中学優勝者!」
「ううん、出てないよ? しっかり練習に出てくれれば? すぐ試合には出られるけどね?」
「す、すみません……こ、これからはなんとか……」
部長は相変わらず怒ってるのかわかりづらい。剣道部だけあって、占いするだけでも面を着けているのも一因だが……。
しかし例え怒られていなくても、いや、怒ってないのならなおさら、部活に出るようにしなければ。一夏との放課後の特訓を優先しすぎたため、登録してから片手で数えるほどしか部活に参加していない。これははさすがにまずい。
「わかったよ? 期待してるからね?」
「俺もだぞ、箒。いっつも叩かれるばっかりで観戦できないからさ」
「う、うむ……」
冗談めかして笑う一夏の顔を見て、なぜだか後ろめたい気持ちになった。
いつもなら早くなる鼓動も、心臓がしぼんだように締め付けられて痛いぐらいだ。
「おーけー? じゃ、トランプ占いで二人を占ってあげるよ?」
「トランプ占い? 初めて聞いたんですけど……」
「だって私が今考えたんだもん?」
「だ、大丈夫かなぁ……」
不安そうに顔をひきつらす一夏に軽い調子で言葉を返したあと、剣道部部長はとりだしたトランプを適当にシャッフルし始めた。
「ふんふーん? ふ、ふふーん、ふっふ――」
ガッ!!
「あっ!? あ〜……?」
切り損ねた何枚かのトランプが、一夏と箒の前に散らばった。
「……あちゃー……?」
「……」
「……」
「……占いの結果はね?」
「いやあちゃーって言いましたよね? やっちまったって声でしたよね?」
「大丈夫大丈夫? そういう仕様だから?」
仕様ってなんだよ、と一夏がぶつぶつと呟いたが、部長には聞こえていないらしい。構わず結果を話し出した。
「ふーむ? 一夏くんは……女の子に注意? まぁ、女難の相ってやつ?」
「そうかなぁ……」
「……当たっているだろ……」
「え?」
まったく都合のいい耳を持っているものだ。
箒はあきれて一夏を見るしかなかった。
「で? 箒ちゃんは……部活に出た方がいいよ、という結果?」
「ほ、本当に次こそは出ますので!」
「それから……ふむふむ……興味深いね?」
「は、はい?」
「選択の相が出てるよ?」
「センタク? 箒、いくら面倒だからって……」
「なっ!? ま、毎日洗っている! 決まっているだろう!?」
あらぬ疑いを掛けられ、顔を怒りで赤く染めて言い返す。
年頃の女子が着た服を洗濯せずにそのままにしておくわけがないし、ましてや好きな男子が隣にいるとなれば、衛生面を気にするのは当たり前である。
「はいはい、わかりやすいボケはそこまでだよ? 選ぶ方だからね?」
「まったく……お前にはデリカシーが欠けているぞ!」
「す、すまん……」
「でね、本題に戻るよ? 箒ちゃんはね、近々重要な選択肢を迫られるんだよ?」
「重要な……?」
「選択肢……?」
箒だけでなく、一夏も興味がありそうな顔をする。
「ほら、目の前にスペードとクラブの11……つまりマーク違いのジャックが2枚並んでるでしょ?」
「ふんふん……」
一夏はなるほど納得と言わんばかりに首を縦に振った。
「それで、具体的には箒がどんな選択肢を迫られるんですか?」
「ふーむ……そうだね、例えば……彼氏にするのは幼馴染みがいいか、それとも仲のいい友達がいいか、とか?」
ドクンと心臓が一度だけ大きく鼓動を刻み、小刻みに震えだした。震えながら縮んでいき、キリキリと体がきしんで、今にも崩れるかと錯覚するような感覚。
箒は驚きのあまり、体から魂が離れてしまったのではないかと思ったほどだ。
部長はただ冗談を言っただけで、他意はないのだろう。それは理解できている。
わかっているのに。それなのになぜ、こんなにも不安と後ろめたい気持ちが心に湧いてくるか。
それから先はよく覚えていない。
部長に失礼がないようにやんわりとこれまでのことを詫びれたかも、一夏が話した言葉も、自分がどういう顔をしていたのかも。
気付けば廊下のざわめきの中に身を投じていた。
急に周りの女子からの視線が気になって、自分がとても小さくて罪深い存在になった気がした。
ほとんどが一夏に向けられたものだろうが、箒はなんだか自分が裁判にでもかけられているかのような、そんな風に思えた。
同時に、隣に好きな人がいるという証拠が無性に欲しくなった。
「しっかしなんなんだろな、あの例え……はっ!? あの部長、漫画の読みすぎなんじゃ……?」
「……一夏」
「……ん? 箒?」
握った手が汗で滑りそうなる。
強く握りすぎたのか、一夏が不思議そうに箒の方に顔を向けた。
できない。その顔を見ることが、できない。私は平気だと、笑顔で返せない。
おぼろげながら、箒はわかっているのだ。
一瞬だけ、本当にわずかな瞬間だけ。あの瞬間に、一夏と、そして信を比べてしまった。
たとえどんなに小さい幅であっても、気持ちが揺れた瞬間があったことを、否定できなかった。
箒は、心に黒い影が差した気がした。
◇
「すいませーん! こっち、注文お願いしまーす!」
「た、ただいまうかがいますわ!」
「こっちもー!」
「ちょっと!? なんでいるのよ、ティナ!?」
「わたしも〜」
「布仏! 貴様はこのクラスだろう!?」
人でごった返す、とまでは行かないまでも、混んでいることにはかわりない。
『絶対に来る!』という熱意に満ちた女子は午前中に全員来たらしく、午後の時間帯はそれほど客が飽和状態になることはないが、それはスタッフが一丸となってベストを尽くしているからである。
みなが注文を取りに駆け回っていると、入り口に溜まっていた女子を掻き分けて一夏たちが教室に戻ってきた。
「ただいま〜」
「あ、あっ! 一夏、箒! おかえり!」
シャルロットが忙しいながらもにっこりと笑顔で出迎えた。
「一夏さん、箒さん! とにかく手伝ってください!」
「ええい! お前はクラスが違うだろう!?」
「今さらなによ! 人では多い方がいいじゃない!」
いつもなら優雅にたなびくセシリアの金髪も、首をあっちこっちに向けているうちに乱れが目立ってきている。シャルロットもラウラも、鈴だって髪を振り乱している。
しかし、もう一人、ここにいるはずのメイドがいない。
「……会長は?」
「あれ? 俺の代わりに働いてるはずじゃ……」
「そ、それが――は、はい! すぐに!」
「気付いたらいなくなっていた。ああいう無責任な――わかっている! な、なに!? かっ、かわいくなどない!」
「そういうわけですわ!」
「だからさっさと手伝いなさい!」
後ろからはキャイキャイと楽しそうな女子の笑い声が耐えることなく聞こえてきている。当分客足が途絶えることはないだろう。
それどころか、一夏が帰ってくる途中で声をかけた人たちを含め、執事の帰還をどこかで聞き付けた女子がどっさり並び始めた。
「た、確かにヤバそうだ……箒、急いで準備するぞ!」
「……ああ」
「……?」
気のせいか、先程から箒の様子がおかしいことに、一夏は少し不審に思っていた。なんだか変によそよそしいのだ。
また自分がなにか気付かないうちにしでかしたのだろうか。
だがそんなことを深く考える間もなく、さっそく執事は引っ張りだこになり始めた。
もともと一組の人気は男子がいるからという部分によるところが大きく、さらに午前に比べたら空いているということで、来るのを諦めかけていた方々も一斉に駆けつけてきたのだ。
あっという間に、一夏たちに疲労の色が出始めた。
「はぁ、はぁ……無理……」
「情けないわよ、一夏! 信だったら倍は働くわ!」
「ていうか信はどうしたんだよ……もう帰ってきてるはずだろ?」
「こら。信くんに頼らないの」
「そうは言っても……あれ!? 楯無さん!?」
「ハァ〜イ☆」
一夏の隣でにっこりと笑って扇子を広げている生徒会長。いったいいつからそうしていたのか。
「貴様……!」
「怖い顔しないで〜、ラウラちゃん。かわいい顔が台無しよ」
「あの、楯無さん? できれば手伝ってください……」
「うふふ、そうね。それもいいけれど、一つ提案があるの」
「提案……? なんですの?」
楯無はまた微笑んだ。
「お姫様、やってみない?」
◇
「はっ! バカなやつだぜ……まさか独りで来るとはなぁ」
「黙れクソ女。オレがやると言ったはずだ」
オータムから笑みが消えた。
「ああ? ガキがやれるわけねぇだろ、カス」
「カスはお前だ。いや、闇討ちなどカス以下だ」
「へぇ? それじゃ、この国の『ブシドウ』にでものっとるかい? 正々堂々正面から?」
少年は小バカにしたように鼻を鳴らした。
ますますオータムの声にとげが混ざる。
「ははぁ? 完成品・・・さんも不安なんですかぁ? 手柄をカスに横取りされるのが?」
「そんなもの最初からくれてやる。オレはそんな器量の小さいやつじゃない」
「どうだかな」
今度はオータムが鼻を大きく鳴らした。
そして、近くに投げ捨てられていた携帯電話を拾い上げて、電源を落とした。
自分な睨み付けられているのを感じながら、オータムは振り向かずに答えた。
「んだよ。まさかこれも自分でやらなきゃ嫌だってか?」
「……ふん。オレはこのあとMと合流する。後はお前に任せてやる」
「おいおい、逃げんのか?」
「任せてやる、と言っているんだ。それとも、スコールがいなきゃ不安か?」
最後の言葉は、おかしさを堪えきることができず、震え声だった。
オータムは一瞬、ISを展開しようかとも考えたのだが、やめた。この前の失敗を取り返すためには、ここでひと悶着起こしている場合ではない。
乱れた髪を手で整え、バックの中からメガネを取り出す。
「へぇ……意外とさまになるじゃないか」
「あら、そうかしら? それはとってもありがたいですわ。クソガキ」
最後の言葉さえなければ、オータムはしっかりと与えられた役割を演じきっていた。
織斑一夏にコンタクトを取る美人セールスレディ。商品は新武装、そして新装甲だ。無論、すべて嘘だが。
恐ろしく明るい笑顔を少年に向けてから、オータムは荷物をまとめて出ていこうとする。
「待てよ」
「なん――んんっ!? んっ! んむ!?」
「ん……ぷはっ。相変わらずキスだけは上手いな、クソ女」
「て、テメェ!? いきなりなにをっ……!?」
ニヤリとした表情をしている少年を突き飛ばしながら、オータムは壁際まで後ずさるった。すぐに唇を袖口で拭い、床に唾を吐いた。
また口紅の塗り直しをしなくては。
「なにって……冗談きついぜ。昨日の晩はそっちから誘ってきただろうが」
「違う! あれは――」
「酔ってたからか? ん? それとも寝てるうちにオレを殺そうとしたのか? まぁ、返り討ちだったけどな」
白髪の少年は年齢のわりに背が高めだ。オータムの伸長が控えめなのもあるが、向かい合ってみると、少年の唇はオータムのそれの数センチ下程度のところにあった。
まっすぐに自分を見つめてくる冷ややかな視線が、徐々に近付いてくる。
オータムはぴったりと壁に背中をつけ、肩で息をしていた。
「お前みたいな性格の女は趣味じゃない。が、その体の魅力はなかなかだ。味見だよ、味見」
「くそっ……! なんでお前なんかと……!」
ふっと短く吐いた息がオータムの鼻にかかった。
焦点が合わないほど顔が近い。
震えているオータムの顔を、信じられないくらい優しく、少年が手のひらでそっと撫で付ける。
「よだれ垂らして喘いでた女がよく言う。バカみたいにねだったくせに」
「で、デタラメ言うんじゃねぇ! 誰が年下なんかにっ……!」
「年なんか関係ないだろう?」
「うるせぇ! あれは間違いだ! テメェなんかとは二度としねぇ!」
少年は、まるで檻に閉じ込められた生き物を見るような、そんな哀れみと同情に満ちた表情をオータムに向けた。
その視線が、なにか得たいの知れないものをオータムの背中に這わせているようだった。
このぞくぞくとした感覚は気味が悪い。けれども、嫌いではない。
「なぁ、認めちまえよ。もうお前はオレを欲しがってる。安心しろ、誰にも言わない……」
「ち、違う……あれは……あれはっ……!」
「間違いだって言うなら、なぜキスに応えた?」
「それはっ……! ただ……ただ動揺しただけだ!」
「ふぅん……」
探るような目で一瞬見られたあと、頬に当てられた手がスルスルと離れていった。
オータムは始めて息をすることを学んだかのように、荒々しく呼吸を再開した。
「そうだな……上手くいったら三番目ぐらいにはしてやるよ」
「三番目……? まさかスコールとも――」
かかった、という勝ち誇った光が少年の目に浮かんだのを見て、オータムははっと口を閉じた。
「気になるか? オレが他の女と寝るのは」
「はっ、はぁ!? なに勘違いしてん――んぐっ!?」
また深い方のキスをされた。
今度は必死で抵抗し、なんとか数秒でふりはらった。
「大丈夫だ……お前といるときは、お前だけをかわいがってやるよ。たっぷりな」
「キモいこと言ってんじゃねぇ! 誰がテメェなんかの世話になるか!」
「そのわりには息が荒いぞ? 顔も赤い。興奮してんだろ? クソガキクソガキって連呼してたくせに、惚れちまったのか? とんだクズ女だ」
「あぁ!? テメェもういい加減に――」
言葉を紡ぎ終える前に、スルスルと、そして素早く。少年の手が優しくオータムの体を包んだ。
服の上からではあったが、胸の谷間の少し上辺りに熱い吐息を感じ、オータムはぎょっとした。体から震えが消えた代わりに、石のように固まって動けなくなる。
その一瞬を待っていたかのように、ゆらりと少年が耳元に口を近づけた。
「だがそんなクズでも……オレなら愛してやれるぞ。オータム」
か弱い小動物を愛でるような、甘くて優しい声。
迷ったものに道を示してくれる暖かな囁き。
それは、少年にとってのオータムが自分より遥かに弱く、愚かしい存在だと認識されていることを意味していた。
悪魔だ。
オータムはそう思ったが、いや思ったからこそ、彼を拒むことができなかった。
申し出を断ることがどうしようもなく恐ろしく、そして罪深いことに感じたからだ。
拒んだが最後、もう二度と日の光を浴びることができない気がした。
その一方で、少年を受け入れれば、自分は玩具にされる。
好きなように手玉にとられ、壊れるまで遊ばれ、飽きたら捨てられるだろう。
しかしそれでも、この少年に触れられるなら……。
「あ……あぁ……」
オータムが少年の腰に手を当てようとした瞬間。
少年はオータムを強く突き飛ばし、突然冷ややかな目を向けた。
その口から出たのは、下げずむような無感情な声だった。
「ふん、今度は自分からねだるのか? クズが」
少年のあまりの豹変ぶりに、オータムは呆気にとられた。
情けない顔をしているオータムを見て、少年が顔を歪めた。
「演技に決まってんだろ。これだから女は困る……たかだか一回でその気になりやがって」
「そん、な……!」
「そうだな……続きが欲しいなら、しっかり任務をこなしてこい。出来次第ではオレの態度もかわるかもな」
少年はぞっとするくらい、暗くて気味の悪い笑顔をオータムに見せた。