小説『ラスト×ラストthe chronicle of samsara』
作者:迷音ユウ(華雪‡マナのつぶやきごと)

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【2/名前】

「お帰りなさいです。織さん」
 息を切らしながら本部に帰ってきた織を出迎えたのは、満面の笑みの綾乃だった。すっかり疲れきった織はその場にへたり込む。
「や、やっぱり旧長崎地区(Cブロック)から旧佐賀地区(Bブロック)は遠い……、綾乃、殺す気……?」
「織さんは、そう簡単には死にませんですよ?」
「それ、どういう意味……」
 ジトッとした目で、綾乃の方を見るが、笑顔しか返ってこない。
 織はつい先程まで、新九州旧佐賀地区(Cブロック)の森の中で捜索しいた。目標も達成し、しかし綾乃が転送してくれなかったため、織は本部があるこの旧長崎地区(Cブロック)まで自分の足で帰ってきたわけだ。
 呼吸を整えた織は立ち上がり、早速先ほどのことについて聞いてみる。
「……それで、あの男の子……ってまぁ、私と同じくらいの歳だろうけど……。どうなったの?」
「あ、はい。目覚めましたですよー。ただ、ほとんど強制的に、でしたですけどー」
「強制的に、とは人聞きが悪い。あれも、適切な治療だぞ?」
 二人が話しているところに割って入ってきた人物は、哀子だった。いつものようにタバコをふかしながら。彼女はいつもスーツに身を包み、メガネを掛け、その雰囲気はいつも知性が漂っている。
「哀子さん、お早うございます」
「おう、おはよう。新崎、ご苦労だったな。夜から行かせて」
「いえ、別に。とくにこれといって獣の類もでませんでしたし」
「そうか、ならいいが。ああ、そうだ。帰ってきて早速で悪いんだが、ちょっといいか? なに、面倒な事じゃない」
 なんですか? と織は服についていたホコリを払いながら問い返す。
「うん、さっきお前が見つけてきて、こちらに転送してもらった少年のことなんだが…………、結構カッコイイじゃないか」
「哀子さん。私、自室で寝ますね」
 織はそのまま自分の部屋に戻る素振りを見せた。
「ちょっと、ちょっと。冗談だよ、冗談」
「知ってます」
 とは言ったものの、半分その言葉が本気なのも織はきちんと理解していた。
「実は、あの少年のことで厄介なことがあるんだ」
「はぁ…………、なんですか?」
 織は首を傾げる。厄介なこととはなんだろう。不思議なパーソナルナンバーを持つ少年。もしや、危険な人物だったりしたのだろうか。あの哀子が厄介といったのだ。織もいろんなことを想像してみるが、それがたしかに面倒な事でないはずがないことだけは分かった。
 織が哀子の顔色をうかがうと、哀子は苦笑いのようななんとも微妙な表情をしていた。
「まぁ、時間も惜しいし、歩きながら話そう。あの少年のところに行く。綾乃、綾乃は自分の部屋に戻ってていいよ。今日の仕事は休みだ」
 はいー、と綾乃はそそくさとこの場を去っていった。
「さぁ、行こうか。第三ブロックのDD級医務室に彼はいる」


「記憶喪失、ですか?」
 第三ブロックへ通じる連絡通路を歩きながら、つい織は声を上げてしまった。狭い通路のため、意外と声が響いてしまい、織は思わず身を小さくする。
「そうともいえるな。実際は詳しく調べないからわからないが。彼は目覚めた時、軽い錯乱状態だったんだ。……いや、軽くはないか。そりゃあ、大変だったんだぞ? <力>が暴走していたからな」
「暴走……」
 彼もやはり、自分らと同じように<力>を持っているようだった。それに関しては、驚くことではない。この時代において、人間は皆<力>を持っている。かつての人間とは違う。
 <力>を持っていたことには、織もそう興味はなかった。しかし、暴走。その<力>の暴走のことがやけに気になってしょうがなかった。ただし、何が気になっているのかはいまいちはっきりしないのだった。
 考えこんでいる織を横目に、哀子は話を続ける。
「とりあえず、その時は私の<力>で押さえ込んだがな。向こうも、制御がほとんど効いていない状態だったし、しかしこれがまたなかなか強い<力>でな。私もつい本気を出しかけた。そのせいか頭もふらふらする」
 哀子は半ば大げさに頭を抱えた。しかし、織にとっては哀子のことなんでどうでもいい。どうせ、頭なんかすっきりいつもどおりだなんてことは分かりきっている。
 心配なのは、少年のほうだ。
「まさか、<平心破壊(カタストロフ)>使ったんじゃないですよね?」
 もし、それを使ったのならば、使われた側の人間の精神は、少なからず損傷を負う。
 哀子は手を振りながら。
「まさか、そんなわけないじゃないか。あれ使うと、こちらもきついし、それに相手の人格なんて一秒で崩壊させられるよ。本気だったらね」
 なんて怖いことを平気で言う。
「使ったのは<深心潜行(ハートダイヴ)>を応用した、精神干渉術だよ。出力は最大だがね」
 それにしても、と哀子は付け加える。
「<平心破壊(カタストロフ)>って、名前誰が決めたんだか。物騒すぎて、気が引ける」
 確かに、と織は内心頷く。<力>の命名は、織の知ってる限りでは専門の部署がやっているとか。ただ、織としては物騒なくらいが丁度いいくらいの<力>なのだ。哀子の<力>は。それほどまでに強力。おそらく、精神関連の<力>では無双の強さを誇るだろう。
 ふと、哀子が立ち止まった。いつのまにやら、第三ブロックに入っていたようだ。立ち止まった目の前の扉にはDD級医務室のプレート。医務室の中でも最下級の部屋。最下級、といっても単に設備が簡易な、という意味だ。予備用の部屋でもある。
「ここ、ですか? また、よりよって適当なところに」
 織が非難すると、哀子は顔をしかめた。
「適当、って言われてはしかたがないな。なんだかんだいって、ここが一番耐久力のある部屋だ。お前、この部屋を私たちの階級の人間がなんて呼んでいるか知っているか?」
 いいえ、と織が首を振ると、哀子は真顔で答えた。
「監獄」
「……、そんなにひどい場所ここにありましたっけ」
 織は呆れながら、なんとなくその部屋の扉を見た。すると、なるほど、確かに普通の部屋よりも厳重に施錠してある。どの部屋にも付いている網膜認証に加え、カード式の鍵がかかっているようだ。
 カード式の鍵を開けるための、カードキーは上層部の人間しか持っていない。勿論、織も持っていない。
 哀子は、スキャナーに自分の目を読み取らせ、認証されるとカードを取り出し、リーダーに通した。
 ピーッという電子音とともにリーダー横の赤いランプが緑色に変わる。
 哀子は扉に手をかけかけて、ふと思い出したように織に言った。
「そうだ、そうだ。私が先に入ると少しまずいかもしれないから、新崎、お前が先に入ってくれ」
「え? なんですか、それ。なんで私が……、ちょっ待ってください! 何するんですか、きゃっ!」
 哀子は扉を素早く開け、織を押しこむようにして強引に中へと入れた。織は突然のことに体制を崩してしまい、中へ倒れこむようにして入ることとなった。
「……てて。ひどいですよ、哀子さん」
 言いつつ、あたりを見る。
 部屋は薄暗い。電灯は点いていることは点いていたが、明るさが最低限にまで落としてあった。
 ガランとして広い部屋。左右に診察机なのか、机と椅子がそれぞれ置いてあり、奥にベッドが二つあった。右側のベッドに座り込む人影があった。
 その人影はこちらの存在に気づき、織の方を向いた。
「オマエ、誰だ?」
 紛れもなく、織が保護した少年だった。
 その声に抑揚はなく、織の方を向いているとはいえ視線はどこかうつろで安定していない。
 織は警戒しながらも一歩前へ出、そこでふとあることに気がついた。壁。部屋の壁がところどころ大きく抉られている。だが、破片はどこにもなく、かわりに黒い砂が辺りに飛び散っていた。
 それがなんであるのか、織には分からなかった。

 <力>が暴走していたんだ。

 哀子の言葉が思い出される。この壁も、黒い砂もこの少年の<力>の暴走によるものなのだろうか。
 織にはなんだか、彼が得体のしれない力を秘めているように思え、なんとなく怖く感じた。
「私は、織。新崎織。あなたは?」
 念のため、いつ何をされても大丈夫なように最低限身構える。
 ただ少年は何をするわけでもなく、ふっと天井を見た。
「名前……。俺の名前……。俺の名前ってなんだろ」
 その言葉に織はドキッとした。

 ――そういえば記憶喪失……。

 そうであるなら、名前を覚えていなくても当然だろう。織はどうしていいか分からず、後ろに立っていた哀子に視線で助けを求めた。
 哀子の視線が織に向けられることはなかったが、彼女は少年の方をじっと見ていた。
「大丈夫だ。少年。君の名前はきちんとわかっている。焉堂アラシ。それが君の名だ」
「焉堂……アラシ……」
 まるで、はじめて聞いた他人の名のように繰り返す。
 織もその名を口の中で反芻しながら、首を傾げた。
「哀子さん、なんで名前分かったんですか」
「ん、ああ。ナンバーはもともと期待していなかったから、もとより入れてないが、網膜認証がリストに引っかかった。とはいえ、名前だけ。これといった経歴も抹消済みだったがな」
 さて、と哀子が織の前へ出た。
「私は、古滝哀子だ。よろしく、焉堂。早速だが、二三質問いいかな」
 焉堂は眉をひそめながらも、無言でうなずいた。
「よろしい。では、問一。ここがどこだか分かるか? ここがどこか考えてみろ。記憶をゆっくりと探ってな」
「…………」
 焉堂は深と考えこむ。しかし、いくら考えても答えは出てこなかった。
 哀子は、焉堂が答えられなさそうなことを確認し、次の問へと移った。
「では、次だ。これも同じくゆっくり考えてみろ。今が西暦何年か、だ」
 またも焉堂は考えこむ。西暦というものが何であるか分かるだけの知識はあった。ふと、頭に浮かんだ数字。
「二二〇〇……年…………」
 やっと絞りだすように答える。その答えに織はえっ、と声を上げかけたが、哀子によって制された。
「答えが聞けただけでも、私は充分に満足しているぞ。でもな、今は二二〇〇年ではないぞ。なぜその数字が出てきたんだ?」
「なぜって…………」
 焉堂とて、なぜその数字が出てきたのか分かっていなかった。記憶のないはずの自分になぜそんな数字が記憶されているのか。
「新崎、今日がいつなのか。焉堂に見せてやれ」
「あ、はい」
 織は腕のデバイスを起動し、今日の日付を表示させた。

 二九九九年七月二十一日。

「二九九九年……」
 焉堂が呟く。
「そうだ、二九九九年だ。まさか君、二二〇〇年からずっとあそこで眠っていたわけじゃあるまい」
 哀子は茶化すように言う。
「そんなわけ」
 ない、と言いながらも、記憶をなくしてしまっていればそんな当たり前のことですら自信が持てない。人間が数百年も生きられるはずがないという、そんなことすら考える余裕はなかった。
 哀子はそんな焉堂を見ながらほぉ、と笑った。
「これは面白いやつだな。俄然、興味が出てきた――――」

『warning! warning! enemy attack』

 ふいに、ビービーという警告音が鳴り響いた。続いて合成音声。更に続いて、天井にあるスピーカーから今度は綾乃の声が響いた。
『皆さん! 小規模な敵の襲撃です。地上エリアB―49地区の発電施設が攻撃を受けています。現在、第七通常戦闘小隊が向かってます。哀子さん、第参特作隊にも出動命令が出ていますです、急いでくださいです!』
「な、なんなんだ?」
 焉堂は心配そうに哀子を見る。
「大丈夫。心配するな、ただの敵襲だ。どうせいつものように熱に飢えた猛獣どもだろう。だから早く熱迷彩を施せと言ってるのに……。新崎!」
「はいっ!」
「私は、作戦課の方へ向かうから、早く現場へ向かってくれ。どうせまたフェンリルだろうが、面倒ならB級装備を許可する。敵がザコでもB―49の発電所だ。やられると被害は甚大だからな」
 哀子は努めて冷静に、織に支持をする。
「分かりました!」
 織は返事をすると一人先に部屋を飛び出した。哀子も続いてでようとしたが、呆然としている焉堂に気づき足を止めた。
「うむ、ちょっと急用だ。お前はベッドで寝ていろ。まぁ、出たいというなら出てもいいがな」
 哀子は新たにタバコをくわえ直すと、部屋から出ていった。


 部屋に一人残された焉堂は、ただ哀子の言葉を反芻していた。
「出たいなら……か」

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