小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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あたしは目を開けた。



夢を見ていた。また、これだ。どんな夢だったか、覚えていない。起きた瞬間は覚えていたような気がするけれど、一瞬で全てがあたしをすり抜けてしまった。忘れちゃいけないと思うんだけれど、結局覚えていることができない。



ただ、悲しい。悲しいという感情だけが夢の残滓(ざんし)として頬を流れた。



ぼんやり横を見ると、小萩(こはぎ)がいた。すぅすぅと寝息を立てて眠っている。



ずっとついていてくれたのかしら…。



光が明るく障子の外を照らしていた。今は昼…ぐらいかな。



ゆっくりと重い半身を起してみた。くらりと目眩がして、すぐに横になった。



もう風邪は治ったみたい。ただ寝すぎたのか体がやけに重い。



不意に小萩が目を開けた。目をこすって、疲れたように息をついて、あたしを見て、その目がぎょっと見開かれた。



「姫様!?」



「あ、な、なに?」



小萩はあたしに掴みかかる勢いでにじり寄ってくると、いきなり泣き始めた。



「え!?なによ小萩どうしたの!?」



「ああ姫様…起きていらっしゃるのですね…よかった…」



「えっ、何が?あ、風邪のこと?やだそんなに心配してくれたの?あたしはこの通り元気になったわよありがとう」



あたしがニッと笑うと、小萩はなぜかもっと声をあげて泣き出した。



安堵の涙にしては大袈裟(おおげさ)すぎるような…。



あたしはおろおろしてお腹のあたりに突っ伏して泣いている小萩の頭を恐る恐る撫でた。



「どっ、どうしたの?そんなに泣かなくても…」



「いめはまおんとにおかったぁあ!」



「は?」



声が籠りすぎて全く聞き取れなかった。



「と、とりあえず顔あげて…どうしたっての?あたしは無事よ?」



小萩は涙でぐしゃぐしゃの顔をあげてあたしを見た。



「ひっ、姫様は7日も目をお覚ましにならなかったのですわ…」



「7日!?嘘でしょ!」



小萩を宥めようとしていた気持ちも吹き飛んで、あたしは飛び起きた。



「本当ですわ。あんまり静かにお眠りになっていて、もしこのまま…」



小萩は声を詰まらせて、口元を覆い嗚咽(おえつ)した。



あたしはどうも実感できなくて、茫然としてしまった。あたしの感じた時間の流れはあくまで、いつものように寝て、起きたぐらいのものなのだ。



じゃあ、この身体の重さも7日間寝てたから…?



そう気がつけばいやにお腹がすいていることに気がついた。



途端にぐ〜とあたしのお腹が鳴ると、小萩はぽかんと目を見開いたあとにやっと笑顔を見せた。



「えーと悪いけどなんか食べたいかな…」



流石に恥ずかしくて顔を逸らせながら言うと、小萩はすくっと立ち上がった。



「すぐにお持ちいたしますわ」



小萩が出ていったあとに、枕元に水が置かれているのを見つけてそれを飲んだ。



あーおいしい。ただの水だけど。



それにしても、あれから7日もたっているだなんてあたしただの風邪じゃなかったのかな…でももう熱もないし、ものすごい寝不足だったなんてことは…ないよなぁ。



あたしははっとした。



姉上様や、義母上や…兄上は?あれから7日も過ぎたなら具合も少しは回復している筈。



考え始めるといてもたってもいられなくなって、そっと立ちあがると最初に身体を起したときのような目眩はなかった。



よし。小萩には悪いけど、あの子のことだから持ってくるまでにいろいろ気をまわして時間がかかるだろうから、その間にちょこっと様子だけ見てこよう。



あたしは最初に兄上のところに向かった。



「兄上…?」



遠慮がちに兄上の室の前で声をかけた。返事はなかったから、障子を押しあけたら布団に寝かされた兄上がいた。



もう昼も過ぎようかというころなのに寝ているのは、やっぱり体調が戻っていないからよね…。



そっと近付いてあたしは枕元に座った。



顔色は、悪い。血の気が通っていないような青白い顔で深く眠っているようだった。



あたしは手を伸ばして兄上の頬に触れた。兄上の瞼がゆっくりと持ちあがった。



あたしは兄上を起してしまったことに動揺してぱっと手を引いた。



「…瑠螺蔚(るらい)か。目が覚めたのか」



兄上は小萩みたいに取り乱すこともなく、落ち着いていた。まるでいつも通りに目が覚めた妹に声をかけるように淡々としていた。



「兄上…具合はどう?」



兄上は上半身を起こした。



「もう、平気だよ。瑠螺蔚は、苦しいところはないかい?」



「あたしももう平気。でも兄上、まだ顔色わるい」



兄上はふっと笑った。



「瑠螺蔚こそ、姿見をみてみるといい。大分痩せた」



まぁ7日も飲まず食わずで寝てたら誰でもそうなるだろうけど。



「それだったら丁度いいわね。今までの分を考えると」



「だめだよ。今までのままで十分可愛いから、痩せようなどと考えなくてもいいんだよ」



「かわっ…」



兄上がモテるのはこういうことを自然に言っちゃうからよね。しかも性質(タチ)が悪いのは、本人は全くそんな気がないところよ。本当に女泣かせで手間がかかる兄上なんだから!



「そんなの誰にでも言っちゃダメよ」



あたしは顰(しか)めっ面で兄上に言ったけど、兄上にはまるで暖簾(のれん)に腕押し、糠(ぬか)に釘。全く分かっているのか、いないのか…。



「瑠螺蔚にしか言わないよ」



「だっ、から!そういうところが…」



「瑠螺蔚にしか言わない。問題ないだろう?」



兄上はにっこり笑った。



確かに、恋愛対象外の妹にしか言わないなら問題、ない、けど…。ん?問題ないのかしら…なんか丸め込まれているような。



昔から兄上に口で勝てた例(ためし)なんかない。



「みんなに『キミだけが特別だよ』って言っているのは悪い男だからね!」



「だから、私は瑠螺蔚にしか言っていないと言うに」



兄上は楽しそうに声をあげて笑った。



あたしはそこでやっとほっとした。兄上は生きてる。よかった。生きてここにいる。



あたしはずりずりと兄上に寄ると、ぺたんと横からくっついた。



「どうしたの」



兄上は小さい頃のように、片手であたしの頭を撫でながら優しく聞いた。



「兄上…死なないでね」



あたしはぽつりと言った。



「姉上様も、義母上も、父上もみんな大切だけど、兄上も自分を大事にしてね。霊力(ちから)があったって、何だって、兄上はあたしの大事な兄上なんだから。死なないでね」



兄上はあたしを見ると、柔らかく微笑んだ。



「死なないよ」



あの悲しい夢を見始めてからいつも気持ちの奥底に何かに対しての不安があるみたいだった。



何か、とても大切なものを失ってしまうような、確信のような予感が。



兄上がいきなり顔をあげた。



その体が緊張で強張るのがわかった。



え?



あたしは訳も分からずに兄上を見上げた。兄上は瞬(まばた)きもせず空を見ていた。けれど、その目は確かに何かを捉えているようだった。



霊力。また、霊力。命を削っているのではないの?こんな弱った状態なのに、一体何のために霊力を費やしているの。



「瑠螺蔚」



なにかを視ていると思っていた兄上は、唐突に声をあげた。



「なに?何か起きてい」



「火事だーーーーーーーっ!」



あたしの声は大きく割り込んできた声に掻き消された。



火事!?あたしは慌てて腰を浮かせた。



咄嗟に兄上を見て、違和感に首を傾げた。違和感の答えはすぐに出た。あたしを見ている、兄上の目の色が、綺麗な瑠璃色に染まっていたのだ。



一瞬呆気にとられたけど、今はそんなことどうでもいいと気を取り直した。逃げるのが先よ!



「兄上!はやく逃げなきゃ!」



あたしは兄上の手を引っ張った。けれど、兄上は静かにあたしを見詰めるだけで動こうとしない。



「兄上!あの声が聞こえなかったの!?火事なのよ!規模は分からないけど、逃げなきゃ!」



そんなことを言っているうちに、あたしははっとした。開いている障子の向こう、庭を挟んで対の部屋が、燃えているのだった。



黒く煤(すす)を出して、炎は静かに燃えていた。風向きなのか、煙は反対側に流れているようでこの部屋からは煌々と燃える炎と、黒くけぶる煙を見るのみだったがいつそれが変わるとも限らない。



「兄上!」



あたしは焦れて叫んだ。



すると、ふいに兄上は訳のわからないことを言いだした。



「真秀(まほ)、後世(のちよ)でも僕たちの宿業(しゅくごう)は変わらないのか」



その蒼い瞳ははっきりとあたしを映していた。あたしは混乱した。兄上は何を…視ているの?



「あたし、真秀じゃない…」



短い沈黙の後、あたしがようやくそれだけ言うと、兄上は微笑んだ。



「あに、うえ…?」



なんだか、おかしい。兄上だけど、なんか違う。



「魂の軛(くびき)を弾くよ。今の僕の霊力では、ほんの一刻(いっとき)しか外せないけれど…思い出して。全て」



兄上はあたしの頬に手をあてた。その瑠璃の瞳が淡く鈍く燐光を放つ。



閃光のように悟った。兄上は霊力を顕(あら)わそうとしている!



あたしは目を瞑(つむ)って顔を背けた。



「やめてっ!霊力を使わないでっ!」



咄嗟に感じたのは恐怖だった。兄上に、これ以上傷ついてほしくないのに!



ぐらりと地面が揺れる。自分がどこに立っているのかもわからない。いや、立っているのか、座っているのか、それすら曖昧としてわからない。



体が熱い。胸のあたりが燃えるように熱い。頭もがんがんと打ち付けられるように痛みだした。



そのまま、なにも、わからなく、なって…くる…。




















あたしはー…。

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