小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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 日の昇ると呼ばれた国のある年の暮れ、淡海(おうみ)の湖(ウミ)が凍った極寒の夜明けに、あたしは生まれた。



 戦国(いくさのくに)と呼ばれている瑠螺蔚(あたし)が生きる今からは、1200年も前の事である。



 まだ、神々の霊力(ちから)がそこかしこに満ち満ちていた頃だった。巫女も多く、人は神を畏(おそ)れ、精霊を信じた。今よりも、もっともっと神は身近だった。



 母の御影(みかげ)によって、あたしは名を真秀(まほ)とつけられた。真澄(ますみ)という歳の離れた同母(いろ)の兄もいた。真澄の外見はこの上なく美しく、しかしその代わりに目も見えず、耳も聞こえず、口もきけない神々の愛児(マナ)だった。



 親子三人で、淡海でひっそりと暮らしていた。



 淡海国は、息長(おきなが)という一族が治めている土地だった。子は母のものとなる。御影は息長の一族ではなかった。余所者はどの時代も変わらず集団から弾かれ、後ろ指を指される。



 業病に侵されて動けない御影と、目も耳も口も使えない真澄のかわりに、あたしは幼いころから身を粉にして働いた。そうしなければ生きていく一粒の米さえ手に入らなかったから。味方はいなく、石を投げられいじめられる生活だった。けれど決して辛くはなかった。二人がいたから。



 そんな中で、育ったあたしはいつしか夢をみる。



 自分がいじめられるのは仕方がない。だってあたしは息長の一族じゃないのだから。ただ、御影にも一族がいるのなら会ってみたい。そこは、きっとあたしたちを拒絶したりしない。











「おまえ、真秀とか言ったわね。もう、出ておゆき。見なければよかった。佐保(さほ)の女の姿など」
「佐保って、なんなの」
 ようやく、それだけを言うのがやっとだった。
 すでに背を向けていた氷葉州(ひばす)姫は、意外そうに振り返った。
「おまえは佐保の出でしょう?隠さなくてもいいわ。別に、おまえをどうかするつもりもないわ。只(ただ)、見たかっただけよ。佐保の女とやらは、どれ程美しいのかを」
「じゃあ、御影は佐保とかいう一族の出なの?その一族は今もあるの?」
 茫然として問い返す、その声がか細く震えた。
 御影が属する部族。母なる部族。
 それは、真秀がずっと知りたがっていたことだ。
 父がヤマトの大豪族の首長(おびと)だというのは知っている。でも、御影や真秀達母子をとうに捨てた男だ。そんな男の一族に未練はなかった。
 でも、母の御影が属する部族がありさえすれば――その一族なら、自分たちを同族と認めてくれるだろう。
 なんといってもこのヤマトの国の族(うから)は、みなみな母の血で結ばれているのだ。どの一族もそうだ。息長だってそうだ。
 息長の女にも、他部族の男が密かに通ってくることがある。息長の男たちは内心、面白く思わない。
 だが他部族の男でもいいと女が決めてしまえば、誰も口出しできない。やがて子が生まれる。
 そうすれば、それは息長の子なのだ。決して、通ってくる男の一族には渡さない。子は、母なる部族に属するのだ。だから、和邇(わに)を父に持つ真若(まわか)王も美知主(みちのうし)も、息長の王子なのだ。父に繋がる和邇族ではない。
 それは、神代(かみよ)の頃から定められた神々の掟(おきて)だ。
 聖(きよ)らかなものも、卑しいものも、全ては母の血から伝わるのだ。
 だから、御影が属した部族がありさえすれば、その一族はちゃんと認めてくれるだろう、真秀や真澄は同族だと。
 息長の邑(ムラ)でヨソ者だと思い知らされる度に、真秀はいつも思っていた。御影の本当の一族がありさえすれば、と。












 春日(かすが)なる佐保は確かに御影の母族だった。



 けれど、あたしの希望は粉々に潰えた。



 佐保は、ヤマトの他のどの族よりも、神々の霊威(れいい)に満ちた族だった。そのかわりに、同族としか逢わず、他族の血を嫌って生きのびてきた族だった。



 御影はその、佐保の姫だった。



 御影の母の加津戸売(かつとめ)は、子を産むときに予言をしていた。



『私の今から産む児のうち、霊力の無い方は佐保を滅ぼす児を産む』



 双子で生まれた児のうち、片方は予言どおりに霊力を持たなかった。それが御影だった。



 御影の産んだ児、あたしと、真澄。



 その強大な霊力で以(も)って佐保を治める巫女姫に予言された、滅びの児だった。










 佐保は御影を追放したのではなかった。殺そうとした。滅びの子の真澄を、産んだ罪によって。
 真澄をも殺そうとした。滅びの子という理由で。
 そして、一目見ただけのあたしをも憎むのだ。滅びの子だから。
 その憎しみの松明(まつ)を掲げて立ち塞がるのが、佐保の王子、佐保彦(さほひこ)なのだ。あの、真澄にそっくりな王子、真澄の異母弟の王子が、あたしたちを憎んでいる……――。
 何もかもが流れて行く。変わって行く。動いて行く。
 確かなものは、憎まれているということ。“滅びの子”という、予言だけだと言うのか。あたしたちは、帰るべき古里(ふるさと)を持たない忌まれ子、禍(まが)つ子なのか!?












 ねぇ。



 どうして、憎まれることがこんなにも苦しいの。



















「佐保彦、きいて。御影も真澄も悪くないわ。おねがい、あたしたちをそっとしておいて。あたしたち、佐保になにもしないわ。美知主がいったわ。丹波(たんば)に連れていってやるって。あたしたち、丹波に行くわ。二度と、あんたたちに会わない。だから……」
 声が詰まり、涙が、頬をこぼれ落ちていった。
 なんのために、あたしたちは生まれてきたのか。どこにも安住の住処(すみか)を持たずに、佐保から淡海に、淡海から丹波へと流れてゆくしかないのだろうか。
 それでもいい、たとえ丹波にいっても、今は佐保彦の憎しみから逃れたいという、ただその思いにかられて、真秀はつづけた。
「だから、もう、あたしたちを放っておいて。忘れるから。あんたたちが、御影と真澄を殺しかけたことも、ぜんぶ忘れて……」
「燿目(かがめ)、そいつを黙らせろ!」
 ふいに佐保彦が立ち上がり、立ち上がりざまに掴んだ土器(かわらけ)の小皿を、真秀めがけて投げつけた。すでに力が尽きかけていた真秀は、とっさに身をかわすこともできず、小皿はみごとなほど、真秀の額のまんなかに当たった。
 土器が割れてとび散り、やがて額から、ひとすじの血が流れてきた。
 気味の悪いほど静かに、ゆったりと重たげに、血が眉間をつたい落ちてくる。真秀は拭うことも忘れて、佐保彦をみつめ返した。
 佐保彦の目にあるのは、いっときの激情ではなかった。長い年月をかけて育まれ、醸された、骨にまで染みこむような憎しみだった。
「あたしたちは敵なの?あんたたちは絶対に、御影を……真澄やあたしたちを許さないの?だったら、あたしも、あんたたちを憎まなきゃならないわ。御影や、真澄を殺そうとしたあんたたちを。一生、憎むわ!」

















「――王子は、迷っておられる」
 燿目はじっと佐保彦をみつめながら、ふいにいった。
 佐保彦はぎくりとして、彼を見かえした。
 燿目の目は死んだ魚のように動かず、ただ佐保彦を凝視していた。
「――御影母子を殺すように命じたことを、王子は今や迷っておられる」
「ばかな………!」
 激しく叫びながら、しかし、その声がひどく掠れていることを佐保彦は鋭く意識した。
 そして、その声にひそむ躊躇いを、燿目は決して聞き逃さないだろうということも。
「――王子のためらいの気配が、わたしには邪魔です」
 燿目は容赦なく、いいつのった。
 うむをいわせぬ強い口ぶりは、いつもの控えめな燿目のものではなく、神がかりした巫人(みこ)そのものだった。
「わたしの耳は、王子の気配になじみすぎている。王子の迷いの気配に、わたしの心が共鳴(ともなり)してしまう。ひとつに、念(おも)いを凝らすことができないのです」
「……迷ってなどいない。いま、佐保姫のことを考えていたんだ。だから、心が揺れていた。それだけだ」
「佐保姫のことを……佐保姫に似た、真秀のことをではなく?」

















 真澄が腕をのばして、焦げてしまった真秀の額髪のあたりに触れてきた。はねつけられるのを怯えてでもいるような、おずおずとした手つきだった。
 ふいに、それまで水のように穏やかだった真澄の顔に、はげしい苦悶の表情がよぎった。
 身内でなにかが火を噴き、その熱さと痛さに、耐えているような顔。
 真澄がそんな顔をするのを、真秀ははじめて見たと思った。
(真秀には、ぼくより大事な人ができた。真秀は、佐保彦が好きだね)
「真澄……!」
 驚いて、声をあげたときにはもう、真澄は真秀をさけるように、すばやく真秀のよこを通りすぎていった。おもい、疲れた足どりだった。
 真秀はふり返り、あとを追おうとして、けれど足は動かなかった。
 いままでのように、真澄の姿をみかけただけで翔ぶように駆けだすことがなぜか、できない。できないという、そのことに衝撃をうけながら、真秀は、真澄の背にむかって叫んだ。
(真澄、佐保彦は真澄に似ているのよ。だから、好きなのよ。真澄を好きなのとおんなじよ。真澄をきらいになったんじゃないのよ!)





















 彼らの姿がみえなくなったとき、佐保彦はゆっくりと両手で顔をおおって吐息をもらした。
 手をくださずとも、真秀は死ぬかもしれなかったのに。この淡海に居つづけるだけで、燿目との誓いの半分は果たせるのに。
(ゆるせ、燿目。ぶざまな俺を……!)
もう気づかないわけにはいかなかった。真秀を救いたいと思っている自分の心を、佐保彦は認めた。死なせたくない、真秀を。これは愛しいということなのか。
 滅びの子を愛しいと思う日がくるなど、だれが考えただろう。どんな悪意ある神が、こんな運命を望んだのか。だが死なせたくない。
 御影とともに生きてきたあの娘、ただの一度も自分の生まれを恥じることなく生きてきたに違いない、いきいきと跳ねる白い魚(うお)のようなあの娘を、こんなかたちで死なせたくないんだ……。





















 互いに憎み合い、傷つけあいながら、あたしと佐保彦は惹かれ合う。



 信じられなかった。けれど、ごまかせない位に大きくなっていた気持ちから目を逸らし続けることはできなかった。



 その矢先に、御影が長くないことを知り、あたしたちは佐保に行った。最後くらい生まれ故郷の佐保で過ごさせてやりたいと思ったのだ。佐保彦も、守ってくれると言ってくれた。



 御影の死の間際、あたしたち全ての真(まこと)をひっくり返すような話を聞く。



 本当は、御影の方が霊力を持つ身であったけれど、妹姫(おとひめ)である大闇見戸売(おおくらみとめ)を殺されたくないが一心で、その霊力を大闇見戸売が顕わしているように見せていたこと。



 それは、つまり、大闇見戸売の産んだ、佐保彦佐保姫の兄妹こそが予言された滅びの子であるということを、知ってしまった。



 そして御影は死んだ。本当の、佐保の姫巫女が。













 そんなふうにして真澄のために事細かに説明しているうちに、思い出はせつなく鮮やかに甦り、それは決して辛いことだけではなかった。楽しいこともあった。兄妹はときどき声を出して忍びやかに笑った。
 涙が滲みながら笑う、それは幸せな喪の伽(とぎ)だったかもしれない。喪の伽は、そうした涙と笑いのためにあると思えたほどだった……。
「もっと話して、真澄。なんでもいいから」
 真秀は兄のそばに立ち、おなじように草壁に凭(もた)れて、おなじように空に滲む月を眺めながらいった。真澄は困ったように笑い、それからいった。
「御影の喪の伽をしていて、真秀とかわるがわる眠ったね。そのとき、よく真秀の夢を見ていた」
「あたしの?どんな夢?」
「真秀が……幸せになる夢だ」
「もっとたくさん説明して」
「……話すことに慣れていないから」
「じゃあ、話しやすいことを話して」
 しつこく頼むと、真澄はため息をついて、ふと月を指さした。
「空には月が輝いている」
「今夜の月は、あれは朧(おぼ)ろなのよ。秋の月はもっと、くっきりして輝いているわ」
「そう?でも、きれいだ。幻影(まぼろし)の中では幾たびか見ていたけど。この目で初めてみる月は光って見える」
「ぼやけて、潤んでいるわ。泣いているみたい」
「でも、生まれたての月みたいに、初々しくてきれいだ。真秀みたいに」
 真顔でいうのがおかしくて、真秀は小さく笑った。ふと瞼が熱くなった。
 御影を失ったけれど、まだ真澄がいる。その手応えが、唐突(ふい)にこみあげてきたのだった。
 真澄の目がものを見て、耳は音を聞き、唇は言葉を語っている。そして見るものすべてを、生まれたてのように綺麗だと喜び、言祝(ことほ)いでいる。それはこの世で望みうる、もっともすばらしいことのひとつに思える。真澄は声と耳と目を得て、新しく生まれたもおなじだ。
 真秀はふと真澄に向きなおり、腕をのばして真澄の首にまわした。そのまま抱きつき、真澄の頬に頬を押しあてた。
「真澄、もっと話して。たくさん」
 真秀は夢見るように囁いた。
「あたしたち、もう、ふたりきりよ。佐保山が忌火(いわいび)で焼かれたら、すぐに佐保を出よう。そして真澄はずっと、目はものを見て、音を聞いて、あたしに話しかけてくれるの。霊力のすべてが潰えてもいい。必ず、そうする」















 そのあと、佐保彦が来た。もう真澄とふたりで佐保を去ることを決めていたから、最後にあたしは佐保彦と想いを通わせた。



 幸せだった。とても。



 けれど、共寝(ともね)から目が覚めると、真澄がいないのだ。何度呼びかけても返事がない。














 今眼前(いままなさき)に展(ひら)かれている幻影の全てを、彼は静かに受け止めようとした。
 だが、もう魂が凝らせない。真澄は木棺に寄りかかったまま片手で額を押さえた。今在る世界が砕け散る音を真澄は確かに聞いたと思った。砕けてしまった。なにもかも……。
 真秀は呼ばなかった、兄の名を。真秀は選んだのだ。愛(いつく)しむ唯一人の者を。
 それによって、私の選ぶ道は決まってしまった。いや、とうに決まっていたのだ。御影によって顕かにされた真言(まこと)を知ったときに。それより前、佐保彦が淡海に現れた、その時から既に兆はあったかもしれない……。











 真澄は燃え上がる炎の中にいた。



 自分の意思でそこにいるのだ。なぜ!?



『やつはおまえが欲しいんだ。同母の妹を恋した意沙穂(いさほ)の王子のように。おまえたちの祖父と同じように!』



 なぜなの真澄!



『だが掟を破って同母の妹姫と契り、その末に生まれた双子姫は、どんな運命を背負わなければならなかった!?その子どもたちは!?』



 あたしは、佐保彦が好き。佐保彦が愛おしい。憎まれても、恨まれていても、決して嫌いになることが出来なかった。



『真秀、これは運命だと思い切るしかない!真澄は死ぬことでしか、この運命から逃れられないんだ!』



 でも真澄、あたしは真澄も大事なのよ。真澄がいたから、御影と真澄がいたから、どんなに辛くても生きてこれた、のに…。











「やつは死ぬしかない。おまえがやつのものになれない限り、やつを死なせてやるしかないんだ、真秀。だれのせいでもない、同母の妹姫を恋した、やつの罪だ!」

















(死なせて欲しいんだ、真秀)
 魂を震わせるように伝わってくるのは、黄泉路に翔り去ろうと言う真澄の呟きに思えた。真澄の死は既に動かしがたい。
 なぜなら真澄は生きることを望んではいない。死ぬことを、そして甦(よみがえ)ることだけを一途に願っているのだから。
(今、これから生まれ出る、最も濃い血の者に、僕の魂が依りつくことを願って、死なせてほしい……。真秀ならできる…甦りを……)
「甦る…甦ってどうするの、真澄!?」
(きっと甦り、僕は必ず、真秀に逅(あ)う。次の世で逅えないのなら、その次の世で必ず、真秀の末裔(すえ)に逅う。時を越えて必ず逅う。そのために幾度も甦る…佐保の甦りの血が潰えるまで……)
 立っている真澄の身が、ぐらりと揺れた。
 真秀はよろめきながら立ち上がり、周りを見渡した。燻(くすぶ)って煙をあげている藪竹の繁みの中に、梓の強弓(こわゆみ)と矢一筋が落ちていた。熱に炙られ煤けてはいるが、確かに弓矢だった。
 それを掴み取り、真秀はゆっくりと顔を巡らせて真澄に真向かった。
 炎の中に立つ真澄が仄かに笑ったような気がした。煽られる炎の熱で、真澄の周りの風が歪み、真澄の面さえも歪んで見せているのだ。それはわかっていた。
 それでも真澄が甦りを信じて笑っているように見えた。
 真秀は嗚咽(むせびな)きながら、何かに背を押されるように矢をつがえた。

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