小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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雪が思い付いたようにぱらりと降ってはすぐにあがった。



僕はため息をついた。



毎日がこんなに鬱陶(うっとう)しかったことが今まであっただろうか。



ここ最近、ずっとそうだ。



あの時。昏々と眠り続けた瑠螺蔚(るらい)さんが目を覚ました時、僕がどんなに安心し、嬉しかったか、きっと瑠螺蔚さんにはわからないだろう。



瑠螺蔚さんが目を開けず息もしているのかさえも不安な間、どんなに苦しく辛かったか。



「瑠螺蔚さん!」



僕は瑠螺蔚さんが目を開けた時と聞いた時、まず夢じゃないかと疑って、会って夢じゃないと知って、不覚にも涙ぐんでしまった。



医(くすし)からは、『お体の方は大きな問題はないようです。しかし、お心の傷の方が大変重大です。大丈夫だとは思いますが、もしかしたらこのままの可能性もございます』という何とも頼りない言葉を聞かされていただけあり、安堵はひとしおだった。



瑠螺蔚さんは僕を見留(みと)めると、かすれた声で小さく何かを言った。



「え?どうしたの?何かして欲しいことでもあるの?」



嬉しさのあまり、望むことはなんでも叶えてやろうと言う気になって、耳を近づけると、瑠螺蔚さんは「ご足労いただき申し訳ございません」と言っていた。



僕はすぐに笑い飛ばした。瑠螺蔚さんが起きたということを知って、気が高ぶっていたんだろうと思う。



「何言ってるんだよ、瑠螺蔚さん」



「申し訳ございませんが、お引き取り願えますでしょうか」



これも瑠螺蔚さんが言った言葉だ。



僕は、瑠螺蔚さんがふざけているのだろうかと思った。



もしくは、僕を別の誰かと勘違いしている、とか。



それでなくても母と兄を亡くしたのだ。僕が来るまでに誰かから知らされたかもしれないし、まだ知らなくてもその日はとりあえずすぐ部屋に戻ることにした。



次の日、僕は桑苺(くわいちご)を小さな籠いっぱいに持って瑠螺蔚さんの所へ向かった。少しでも慰めたかったから。



今までの瑠螺蔚さんなら、「あら、なに持ってるの?」と目ざとく気づき、「きゃーなになに食べていいの?ありがとう!」と嬉しそうな顔を見せるはずだ。



あとから考えても、僕はやっぱり浮かれていたんだろうと思う。瑠螺蔚さんが起きたことに。会える嬉しさに。



僕だって、俊成(としなり)殿やあやめ殿が亡くなられたことは悲しい。けれど、僕は、いやこの戦国を生きる男は多かれ少なかれ、死というものが日常の一部になっているのだ。悲しいと思う心ももちろんあるが、そのなかにも冷静で褪(さ)めた心があり、どこかで仕方がないことだと諦めている。死に抗(あらが)うことに。



命を奪うこと、奪われること。死こそが日常であり、それにいちいち嘆いてはいられないのだ。慣れなければ生きていけない世の中なのだ。



それが大切に思う人なら話は違ってくるとは思うけれど。



だからその時、家族を亡くしたばかりの瑠螺蔚さんと大切な人が目覚めた僕の気持ちには大きな隔たりがあった。



「瑠螺蔚さん。入るよ」



僕は返事も待たずに障子をあけた。



上半身だけ起き上らせている瑠螺蔚さんを見た途端に、どきっとした。



瑠螺蔚さんは、僕の声が聞こえているのかいないのか、僕からは横、瑠螺蔚さんにとっては、まっすぐ正面を見ていた。



その視線が、ゆっくりと僕に向けられたのだけれど、その目がまるで何も映さないように見えたのだ。変な表現だが。



僕は弾んでいた気持ちに冷や水をかけられた気がした。そこでやっと気がついたのだ。僕と瑠螺蔚さんの心の距離に。僕が考えるほど簡単ではない現状に。僕は瑠螺蔚さんが起きてくれたことが嬉しかった。もう大丈夫だと医に言われてこれで何もかもうまくいくと、元に戻るとそう安直に考えてしまっていた。



そんなわけはないのだ。失われた命は戻ってはこない。傷ついた心も簡単に戻りはしない。現に前田家は焼きつくされ、無残な姿を晒(さら)している。未だ残骸の片づけすら済んでいない。焼け死んだ者の骨も出ていない。



「瑠螺蔚さん」



僕は真顔になって瑠螺蔚さんの肩を掴んだ。



しかし言葉の続きが出てこない。



僕が、今どんな言葉をかけてやれるのか。何を言っても、なにも届かない気がして声が詰まった。



「御放し下さい」



そう言う瑠螺蔚さんの声は静かだった。何の感傷も、その言葉には籠められていなかった。言葉も、瞳も、心さえ、すべてで僕を拒絶しているようだった。



「御放し下さい」



もう一度、重ねてそう言われて、僕は茫然とその肩を放した。













「兄上様、御用と伺いましたが…」



「やる」



僕は由良に籠ごと桑苺を押しつけた。渡せなかった以上手元に置いておいても無駄だし、ましてや一粒だって食べる気にはならなかった。



「まぁ兄上様。どうなさったんですか、こんなに沢山のおいしそうな桑苺。」



そこらで適当にかき集めてきたのではないと気がついたのだろう、由良は呆れたように言った。



「兄上様、これはもしかして瑠螺蔚さまへの…」



「違う」



僕はカッとして咄嗟にそう言った。



けれどその気持ちを押さえる。僕がイライラしていると言ってもそれは僕の理由であって、妹にあたるなんて以ての外だ。



「由良(ゆら)。瑠螺蔚さんには会ったんだろう?どうだった?」



「はい。瑠螺蔚さまは、私(わたくし)の前では普通にしていらっしゃるようでしたけれど、どこか御様子がおかしかったです。やはり、俊成様やあやめ様のことがお辛いのでしょう…おいたわしいです」



由良はそっと滲んだ涙を袖で隠した。



「…それだけか?」



「…それだけ、とは?」



由良は少しむっと眉を寄せた。



由良は嘘をついている様子もないし、つく必要もない。



どういうことだ?瑠螺蔚さんが距離をとるようにいきなり敬語になれば、由良だったら僕に取り乱して泣きついてもおかしくないと思ったのだけれど、『どこか御様子がおかしかった』だけ、なんて…。



まさか。



「兄上様?顔色が悪いですわ。瑠螺蔚様のことが心配なのは私も分かりますが、兄上様までお倒れにならないでくださいね」



顔色が悪い?そうかもしれない。



「それにしても、私はやく瑠螺蔚さまでなく義姉上様とお呼びしたいですわ」



由良がひとり言のように呟いた言葉に僕はぎょっとした。



予想もしないことを言われて、深刻だった気持ちに一気に水を差された気分になる。



「由良、お前、一体何を言っているんだ」



僕がそう言うと、由良は呆れたような目を向けた。



「兄上様こそ、一体、今更、何をおっしゃっているのですか。瑠螺蔚さまをお好きなのでしょう?」



「な…っ、なんでお前が…」



色恋を面と向かって身内に指摘されるほど恥ずかしいことはない。僕は二の句が継げなかった。



一体、いつ、どうやって知ったんだ。



前田の当主、忠宗(ただむね)殿か?



なにしろ、僕は連日、瑠螺蔚さんを妻にと父の忠宗殿を拝み倒して諾(だく)と証文までとりつけたくらいなのだから。瑠螺蔚さんはいくらおてんばで顔は十人前…ごほん、とは言え、押しも押されぬ前田本家の唯一の姫。引く手は数多で、わざわざ佐々家の末の僕に嫁がせる必要もなく最初は渋っていた忠宗殿だったけれど、情に流されて首を縦に振ってくれたというわけだ。



「兄上様は瑠螺蔚さまのこととなるとすぐ顔に出ますから」



由良は含み笑いをしながら言った。



「でも兄上様、瑠螺蔚さまはしっかりしているようで、こと恋愛となると赤子のようでございますから、ちゃんとおっしゃらないと伝わりませんわよ?男は押し、ですわ」



「うるっさい」



どこで覚えてくるんだそんな言葉。



ちゃんと僕は自分の気持ちを伝えたぞ。伝わっているかは…わからないけれど。



そこで僕ははっと我に返った。



「いや、そんなことはどうでもいい。由良、今から瑠螺蔚さんの見舞いに行け」

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