小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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死ぬって、なんだろう。



命がなくなること。その意味を、失う辛さを、あたしは今までも経験してきた。実の母上が亡くなられた時の戦でも、その痛みを嫌というほど思い知った、その筈だった。



けれど。



死ぬって何だろう。生きるってどういうことだろう。



この目の前の煤けた骨が、兄上だと言うの?



この、軽くて、触れればぐずりと粉れる骨が?兄上の身体をつくっていた骨で、あたしの身体にもある、もの?



わからない。わからないわからない。



これが兄上と結びつかない。隣の骨は義母上のもの?それだって、わからない。義母上はこんな骨じゃ、ないよ…。綺麗な人だった。優しい人だった。それでも、もう笑いもせず、喋りもせず、こうして、ただ白く風にとけるのみなのだ。



人間って、死んだらどうなってしまうの。



ここには、兄上も、義母上もいない。薄情かもしれないけど、あたしは二人の器じゃなくて魂に会いたいよ…。



涙も出ない。



実感がない。



ただ一つだけわかるのは、あたしがどんなに心の底から願っても、二人には二度と会えないってこと、それだけだ。










あれからもうはやいもので三月(みつき)が過ぎた。



あの火事は火のまわる勢いははやかったのだけれど、誰かが「火事だ」と知らせて回ってくれたので、大勢の人が無傷のまま逃げられた。


けれど。



義母上は発六郎に斬られた傷がもとで寝込んでいた。火の手が上がったころ、侍女がついていたらしいのだが、火事と言う声を聞いて一人でさっさと逃げ出してしまった。そのままどこかへ行ってしまったらしく探させてはいるらしいけど、その侍女の行方は今も知れない。



義母上の姿が見えないと誰かが気づいた時にはもう遅かった。火は屋敷を飲み、煙で先も見えない位だった。それでも義母上を、そして兄上を助けに向かった者もいた。皆戻ってこなかった。



そして、義母上の部屋と、兄上の部屋があったあたりから骨が出てきた。



住む家がなくなった父上は、一番近くにある淡海国内の前田の分家にいっている。



あたしは、佐々家に住まわせてもらって一日中ぼーっと過ごしていた。



目覚めてから、そして今も、なんだか夢の中のような、そんな気がしてあたしは現実と向き合えないでいる。



たまに川べりを歩いて、ただつっ立ったまま、黒く煤けた土が残る前田家があった場所を見る。



何かを考えてはいるんだろうけど、何一つあたしの中に残るものはなくただ時間だけが過ぎ、ふらふらとまた佐々家に戻る。



みんなには大分心配させて、迷惑かけてはいるんだろうな、と思う。



けれど、なんだろう。何をしていても、心の底からの言葉が出てこない。笑うことも、泣くことも、怒ることも、必要であればするし求められれば応じるのだけれど、それにあたしの心がない。



特に高彬(たかあきら)には、あらかじめ与えられた草紙を読むような、淡々とした声しか出てこない。



きっと、あたしは高彬を許せないんだと、思う。



兄上を助けに行こうとしたあたしを止めた高彬に。



頭ではわかってる。高彬が正しいんだ。あの時あたしがあの炎の家に飛び込むのは自殺行為だった。きっと、兄上のところに辿り着くこともなくあたしも倒れ骨まで燃えつくされていただろうなんてことはわかってる。できることなんて、水を川から運んできてかけるぐらいだったろう。



でも、あたしの感情が納得しないよ…。



高彬のせいじゃないのに、むしろ感謝するべきかもしれないのに、高彬を前にするといろんな感情が激しく渦を巻く。それに蓋をしようと心がせめぎ合う。



高彬は悪くない。高彬は悪くない。高彬は悪くない。高彬は悪くない。誰も、悪く、ない。



誰かを悪いとするなら。



あたしが悪いのかな。



兄上は、霊力があった。強い霊力。自分を一瞬で他のところへ移動できる霊力や、人間を癒(おち)させたり、見えないはずのものを視たりー…。



だから、火事で亡くなるなんて思いもよらなかった。絶対に逃げてくれているとそう信じてた。



けれど、霊力を使った兄上は衰弱してて、それで逃げ遅れて死んでしまった…。



そうだ、死んでしまったのだ。



あたしが目が覚めた時に屋敷から大分離れたところにいたのはきっと兄上が翔(と)ばしたからだろう。バカな兄上。もし、一人翔ばせる霊力しか残っていなかったのなら、あたしなんか構わずに自分ひとり翔んで逃げていれば助かったのに…。



二人でいたら、一緒に逃げることも、何か方法を考えることもできたのかもしれないのに。



ねぇ、なんで兄上、死んでしまったの。



ふと気がつくと、空に月が出ていた。



凍えた空に月明かりは鋭く美しく映る。



あたしはそれに誘われるようにふらりと歩き出した。



門番もなぜか居眠りしていて、あたしは誰に咎められることなく佐々家を出た。



直土(じかつち)の冷たさが足の裏をきりきりと刺して、あたしは裸足で出てきたことに気がついたが、すぐにどうでもよくなった。



何かに背を押されるようにふらふらと歩き続けて、ふと気がつけば、目の前に湖(ウミ)があった。



湖面は月光を反射し、てらてらと底知れず不気味に光っている。



黒い水面は、どこまでも終わりなく続くように広がっていた。



まるで、湖ではなく、海ね…。



『嵐はいつか止み、陸はいつか見える。真秀、信じるんだ、それを。恐れるのではなく、信じるんだー…』



そのとき、兄上の声がふと、聞こえたような気がした。



兄上…!



涙が滝のように溢れだした。



絶えず流れ胸元にまで沁みこむ。



兄上、兄上、兄上、どうして。



死なないと、あたしに言ったのに。



あたしは、ふらりと一歩踏み出した。



水がぱしゃりと跳ねて裾を濡らす。



二歩、三歩…水はゆっくりと深くなり、足をのみこんでいく。



なに、してるんだろう、あたし…。



身を裂くような冷たさが腰までくる。水はやがて胸まで。



水に揺れて勾玉が浮かんだ。



静かな波は頬を濡らし、ついに足の届かないところまで来た。



あたしはがぼりと大きく水を飲みこんだ。



『ねぇ真秀(まほ)、あたしを抱きしめて。黄泉神(よもつがみ)のように。生きることは難(かた)く、死ぬことは易(やす)く、だから生きなければと思うわ…。』



そう言ったのは、誰だったか。



確かにそうだ。死と生は紙一重の差だ。表と裏、影と光のように。それは限りなく近く、そして確かな隔(へだ)たりがあるのだ。



生まれる命があれば失われる命もある。死とは生きていくその隣にいつもある。それを選ぶのは簡単で。



そして今、あたしは死に向かおうとしている。



何やってるの、まだ間に合う今すぐ踵(きびす)をかえすのよとあたしが言う。



このまま死にたい、兄上と義母上に会いたいとあたしが言う。



二人のあたしが、正反対のことを言う。



そのせめぎ合いの中で、くらい、くろいいろが、どっぷりとあたしを包んでいく。あたしを飲みこんで、侵食してゆく…。




















「兄様(にいさま)!兄様!」



「ん?なんだい、瑠螺蔚?」



「瑠螺蔚ね、大きくなったらね、兄様のお嫁さんになるの!」



「嫁?」



「そーだよ。それでね、どこかでね、お屋敷たてて、兄様と二人で暮らすの。ふふ」



「ははは。いいの?私で」



「うんっ!瑠螺蔚兄様大好きだし、大好きな人とは、夫婦(めおと)になって、一緒に暮すんだよ!」



「…そうだね、瑠螺蔚。二人で、小さな屋敷でも建てて、一緒に暮らせたら、どんなにいいだろう。山奥でも、ひっそりと静かに暮らせるのだったらどんなにか嬉しいだろう。愛しい人と、一緒に暮らせるならば、貧しい暮らしでも、とても、とても、幸せだろうね」



兄上の縁談が整ったのは、そんな頃ではなかっただろうか。










幼い日々は、今はあまりにも遠すぎた。

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