小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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静かだった。



とても静か。



少し前まで、ここで、人間が暮らしていたなんて信じられないくらい静かで、見渡す限り視界を遮るものは何もなくなっていた。



思い出を蘇らせるような、青い畳も、咲き誇る庭の花も、木も、あたしの使っていた螺鈿(らでん)の手鏡も、ひとの命も、なにもかもを呑みこんで、全てが黒く燃え尽きてしまった。



もう、ないのだ。いくら惜しんでも。



昨日降り積もった雪は名残も残さず融けてしまっていた。だから、余計に黒の瓦礫の山は目立った。



日はふわりと暖かく地上を照らす。あたしの身体はそれを拒絶するようにじわりと冷える。



どれぐらい立ち尽くしていただろうか。



風に背を押されるようにそっと一歩踏み出した時、後ろではらはらとあたしの様子を見ていた由良の息を飲む空気が伝わってきた。



あたしの不安定さは、由良も薄々分かっているのだろう。それか、優しい由良は、兄や義母を亡くしたあたしを気遣ってくれているのか。



大丈夫とひと声かけるのが正解だとわかっていても、あたしは振り返ることなく無言で歩を進めた。



ぱきりと足の下で炭と化した木が折れた。足の置き場を探しながら奥へ進む。足場は不安定で、指の先に、踝に、着物の裾にも炭は涙のようにこびりついた。



泣いてる、みたい。家が。あたしの生きてきた前田家が。家も黒い亡骸を無残に晒している。風邪でざわめく木の葉が慟哭のように聞こえるのは感傷か。



…義母上。



優しい人だった。大人しく、いつもそっと百合のように微笑んでいる人だった。



夫を亡くした義母上が、母上を亡くした父上の後妻に入って、苦労もしただろうし、いろいろ言われただろう。けれど、あたしたちを実の子のように愛しんでくれた。



義母上は前の夫との間に二人の子供がいた。その二人は、神隠しにでもあったのかある日忽然と消えてしまった。自分の子がいなくなったのだ、その嘆きは如何ばかりのものだったか。それでも、あたしたちにそんな姿を見せまいと振舞っていた。



優しくて、強い人。女はみな強い。あたしも、母上や義母上のように強くありたい…。



姉上様は、どうしておられるだろうか。



あの火事の後、あたしは佐々家へ、父上は前田の分家へ、姉上様は実家に戻られたのだ。



傷は、治ったのかな…大丈夫だよね、兄上が治してたんだも、の。



強い風が吹いた。髪が煽られてあたしの表情を外界から切り離す。



…兄上。



あたしは立ち止まった。前田家の、真ん中。燃える前は、庭に面した綾もそっけもない階(きざはし)が、あった。



いつだったか、兄上は、ここから凍えた月を見上げていた。



あたしはもうない濡れ縁だったところを辿った。あの日は行けなかったその先、兄上の部屋へと。



もちろん、もう何がどこだか分りはしない。あたしの部屋も、兄上の部屋も、何もかもが今は炭と焼けた瓦で溢れかえっている。



ただ、あたしは見たかったのだ。兄上が最期を迎えた場所を。



案の定、兄上の部屋も、見る影もなく崩れ去っていた。



よく、ここにきて、遊んだなぁ…。



あたしはしゃがみこむと足元の瓦を拾ってみた。何が目的と言うことはなく、兄上の名残を漠然と探してしたことだった。



取り残した骨がないかとも思ったけれど、ないようだった。



昔から兄上は本当にあたしに甘かった。あたしもそれに甘えていた。



兄上が、亡くなる、なんて…考えてもみなかった。霊力(ちから)があったからかな。あたしは父上のことは覚悟できているつもりだったけど、あしたの命もわからぬ戦の世にありながら兄上はなぜか大丈夫だと思っていた。



今、兄上に何か言うとしたら何だろう。



あたしは首を傾げて少し考えた。でも、いくら考えても出てくる言葉はひとつだけだ。



「ありがとう、兄上」



今まで、沢山沢山、ありがとう。



感謝してもしきれない。全然、返してない。



でも後悔しても、いなくなった人が戻ってくるわけじゃない。



「…あたしは、生きるね」



あたしは耳を澄ませたけれど返る声はない。当然、当然のことだ。でも聞いた兄上がどこかで笑っているといい。優しく、義母上とふたりで。



あたしは立ち上がった。



よし!



いつまでもくよくよしていられない。あたしは生きてるし、蹲(うずくま)っていても明日は絶対に来るのだから。それにきっと父上や姉上様のが辛い筈。心配もかけただろうし、あたしがしっかりしなきゃね!



と、思って歩き出そうとしたけれど、かこんと爪先が何かを蹴った。



ん?



木や瓦とは違う軽い音に気になって引っ張りだせば、どうやらそれは、文をしまっておく長方形の文櫃(ふみびつ)のようだった。この大火事で、燃えずに残っているなんて…と思って手にとって見たら、それはなんと鉄で作った文櫃の外側に木を張り付けて作ってあるもののようだった。



鉄の文櫃なんて、見たことないし聞いたこともない。内側だけ鉄ということは、明らかに火や水を想定したうえで作られたものだ。それだけ中身は重要なものと言うことだろう。



開けようと思ったけれど、何故かあかない。



…兄上のものかな。だったら、前田家に関わるものかもしれない。持っていこう。



あたしは結構重たいそれを小脇に抱えてから、由良を待たせていたことが頭をよぎって、何気なく振りかえった。



けれど、がらんとする前田家の焼け跡が広がるだけで、そこにいた筈の由良が、いない!?



あたしはすっと血の気が下がった。



「由良、由良っ!?」



慌てて走り出したけれど、瓦礫に足をとられて全く進めない。



どうしよう!柴田の逆恨みがあるかもしれないって話してたじゃないの!あたしのバカ!由良があたしと一緒にいる、それでなくても前田と佐々は家も隣同士、焼け出されたあたしを住まわせるくらいだし、仲がいいなんて調べなくたってわかること。



目的はあたしだとしてもよ、将を射んと欲すればまず馬を射よって言うじゃないの!



どうしよう、由良に何かあったら!



「由良っ!返事して!どこにいるの由良!」



「瑠螺蔚さま、ここです」



ようやく道まで出てきたら、由良の声がした。



あたしは一気に安堵して、声のする方に歩いて行った。



「もう由良、どっか行く時は声かけてよ〜あたし由良に何かあったらどうしようって心臓止まりそうだったんだ、か、ら…」



「すみません瑠螺蔚さま。でも私、この人が見えて…」



木陰にいる由良の隣には、ぐったりと直土にうつ伏せになっている男がいた。



「い、生きて…?」



思わず聞いてしまったのは仕方がないと思う。



「はい。温かいので…多分」



「多分じゃないでしょ。人は死んだ直後でもあったかいのよ」



自分で言っていて、ちくりと過去が痛んだが、気づかないふりをした。



あたしは男に歩み寄る。



「瑠螺蔚さま、どういたしましょう」



「どうしましょうもなにも、生きてたら手当てするしかないでしょ」



「でも、私が見つけておいてなんですけれど、追いはぎの類でしたら…」



倒れた旅人を装って油断させて身ぐるみはぎとる追いはぎも確かにいるらしいけれど。



「まぁ、多分大丈夫よ。山中ならいざ知らず、ここは天下の前田の目の前だし。こんなとこで追い剥ぎやるバカもいないでしょ。ちょっとこれ持ってて」



あたしは由良に文櫃を預けると、とりあえず男を仰向けにひっくり返した。



大分薄汚れてるけど、どうやら見たところ大きな怪我はないみたい。



口元に手を翳すと浅いながらもちゃんと呼吸している。



…って、え!?



あたしは男の前髪を掻き分けた。



茫然とその顔を穴が開くぐらい見た。



「…瑠螺蔚さま?」



由良が不思議そうに問うのにも答えられない位あたしは狼狽していた。



見間違い、じゃ、ない…。



「な、んで…」



身体の奥が綺麗事で片づけられない感情でちりりと焦げた。

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