小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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「起きて」



 あたしは乱暴に言った。



 男は無言でのそりと起き上がった。



「飲んで」



 あたしが突き出した薬湯を、男がじっと見る。



「飲んで」



 あたしは重ねて言った。



 それでも動かないので、あたしは椀(わん)を力の入っていない男の腕に無理矢理持たせる。



 すると観念したのか、ゆっくりと器に口をつける。



 あたしは空になった椀を持って部屋を出た。



 部屋の外でおろおろと様子を見ていた由良もついてきた。



 あのあと、前田家の前で見つけた男を休み休み佐々家に引きずってきて、空き部屋に寝かせ、擦り傷は軽く手当てした。



 別段大怪我をしているわけでもなく、男は暫(しばら)くして目を覚ました。けども。



「…あの、あの瑠螺蔚(るらい)さま」



 おそるおそるといった体(てい)で、由良があたしに声をかけた。



「なに」



「あの、込み入ったことを伺うようですが、あの倒れていた方とは、お知り」



「しらないわ」



 あたしが早口でそっけなく言うと、由良は気圧されたように一旦口を閉ざした。



「あ、の瑠螺蔚さま、私、あのものを高彬(たかあきら)兄上の供にしようかと思っていたのですけれど…」



「…供!」



 皮肉な笑いが唇に浮かぶ。



 そこらから拾ってこずとも、まさか佐々家が人手不足でもあるまいに。しかも高彬のだなんて。由良があたしの知らない佐々家の内情を与(くみ)してこんなことを言っているか、それとも温室育ちだからか本当に純粋に言っているのか。



「いいんじゃない?供にでも下働きにでもすれば。その代わり、明日起きてみたらみんな死んでた−…なんてことにならないとも限らないわよ」



 あたしはくるりと振り返るとにいと笑った。それを見た由良は言葉を飲み込んで足を止めた。



「瑠螺蔚さま!どちらへ…?」



「台所」



 そう短く言うと、あたしは由良を残してさっさと歩き出した。



 別に由良が何かしたわけじゃない。あたしの態度に戸惑っているのもわかる。でも、ごめん由良。今はあたしも、自分の感情がわからない。



 台所には、誰もいなかった。



 でも、予(あらかじ)め頼んでおいた粥がほっかりと炊けており良いにおいを漂わせている。



 釜の蓋を持ち上げてみると、ふわりと湯気が頬を包むと同時に見えた色は、白。



 白粥なんて。あの男を前田家の客人(まろうど)と勘違いして、佐々家の台所番が腕をふるったとしか思えない。赤米や黒米が主流のこの戦国の世において、白米はあたしだって滅多なことじゃ口にできないものなのに。



 あたしはそれを椀に盛ると、薯の羹(あつもの)と香物(こうのもの)も失敬して盆に集め、危うく忘れていた箸も乗せると、男のところへ戻った。



 すっと障子を開けると、中の男が不意を突かれたようにこっちを見た。



「瑠螺蔚…」



 男が苦しげに呻いた。



 あたしはその言葉に反応はせずに、持ってきた盆を男に押しつけた。



 男は戸惑ったように盆をみた。押さえきれない空腹か、のどがごくりと鳴った。



「食べなさいよ。お腹すいてるでしょう。あんたと違って、あたしは倒れてる人を見殺しにしたりなんてしないから。それと、暴れようなんて考えても無駄よ。佐々家にはあんたなんか叶わない腕利きがごろごろいるから。わかったら、大人しく食べなさいよ」



 それでも男は少しの間躊躇(ちゅうちょ)していたが、我慢できなかったのか貪(むさぼ)るように盆の中身を平らげてしまった。



「…すまない…」



 男は項垂(うなだ)れて言った。



「なんで、あんたあんなとこに倒れていたのよ」



 あたしは盆を受け取りながら言った。



「もしかして…あたしを殺しに来た?」



 男があたしを見る。何でそんなに苦しそうな顔をしているんだろう。無表情の感情の下、ぐつぐつと沸き立つ心とは別のところでふとあたしは思った。



「それなら、殺すと良い。あたしはもう、抵抗はしない。人も呼ばない」



「瑠螺蔚」



「だから、もう、あたしの大事な人を傷つけるのはやめて」



 男が苦しそうに首を振った。



 それがどういう意味かなんて知らないけど、あたしはカッと頭に血が上った。



「だって、ねぇ、兄上も、義母上様も、死んでしまったのだもの。あの火も、あんたがつけたの?もう前田家は燃えてなくなった。命は還ってこない。あたしは沢山のものを失った。あれも、あんたがやったの!?」



「違う!聞いてくれ、瑠螺蔚!」



「嫌よ!何が違うの!聞けって何。あたしを殺そうとしたこと?兄上達を殺したこと?その理由を、あたしに聞けというの!どんな事情があれば、誰かを殺して良いことになるのよ!」



「瑠螺蔚!」



 がっと素早い動きで手首を捕まれた。



 あたしは腕を振り払おうとしたけど、やはり男の方が力が強い。



「離してよ、離しなさい、発六郎!」



 ばたばたと暴れていると、発六郎が舌打ちすると共にあっさり両腕を押さえられて、そのまま倒された。あたしは身動きがとれなくなってしまった。



「こんなことを言っても信じられないと思うが、俺はもうおまえを殺そうとなんかしない。今まで俺がしたことを許せとは言わない。ただ、話を聞いてくれ!そしたら、そのあとはもうおまえの好きにしてくれて良い。俺の命を以(もっ)て贖(あがな)うから」



 あたしは藻掻いた。



「甘えたこと言ってんじゃないわよ!命を以て贖う?命は、命で贖えることなんて絶対に、ない!あたしはあんたとは違う。後悔してるなら、生きなさい!生きて償(つぐな)うのよ!」



 目と鼻の先で、発六郎の顔が歪んだ。



「…おまえは、強いな」



 強い?あたしは強くなんてない。



 発六郎に向ける感情も、汚い気持ちも、どうしていいか持て余しているのに!



「俺の名は、村雨発六郎速穂(むらさめはつろくろうはやほ)だ。村雨家の忍だ」



 あたしは息を呑んだ。隠密(おんみつ)が自ら正体を明かすなど、どうかしている。命に関わるというのに。



 それとも、これも罠?



 けれど発六郎の瞳に嘘はない。



 あたしは戸惑いながら口を開いた。



「村雨の、忍がどうして…個人の私怨じゃなくて、村雨家が、前田家をどうにかしようとしているってこと?…まさか」



 喉がからからに渇く。なに、これ。この話、本当だったら途轍(とてつ)もない大事なんじゃ…。



 父上は知っていたの?知っていたけどあたしたちには言っていなかった?それとも知らなかった?わからない。いや、冷静にならなきゃ…まだ本当の話かわからないんだから!



 心を読んだかのように発六郎が続けた。



「おまえは知らないだろうが、そもそもの原因は、前田家の現主だ」



「…父上?」

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