小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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「え!?」



 あたしは部屋の障子に手をかけたまま声を上げた。速穂児が訝しげに問う。



「どうした」



「勾玉がない!」



 あたしは懐を押さえて叫び声をあげた。いつも身から離さずにいた瑠璃色の勾玉がなくなっていた。一体、いつなくしたのだろう!?



「やだ落としてきたのかも!探さなきゃ!」



 走り出そうとしたあたしの腕を速穂児が掴んだ。



「落ち着け。この暗闇だ。どうやって探すんだ」



「でも!」



「俺はおまえより夜目が利く。中に入って待っていろ。必ず持ってくる」



 あたしが返事をするよりはやく速穂児は背を向けた。



「自分で探すから…速穂児!」



 そう止めたにも関わらず、あたしの言葉など聞いていないように、痩せた背中があっという間に去って行く。



 夜目が利くって言ったって、同じ人間、そんな大差ないでしょーが…。



 あたしはふぅと息をつくと、言いつけ通り大人しく部屋に入った。



 速穂児が不器用な優しさを持っているのはわかっている。でも、なんだかなー。



 もっと、自分のために生きれば良いのに。



 なんだか速穂児、生き急いでいるみたい。



 生きるのって、理由が必要なのかな。誰かのためじゃないと、生きていけないなんてことはないと思う。



 何て言ったら良いかわかんないけど…速穂児が、これからもっと沢山笑えるといい。心からの笑顔で。できれば、誰かの為じゃなく、自分のために。



 あたしは内側から障子に凭(もた)れかかると、ふーと息をついた。



 その時だった。



 暗闇から、ず、と腕が伸びてきて一息にあたしの口を塞いだのだ!



 あたしはざわと全身が総毛立った。



 強く背を障子に押しつけられ、咄嗟に懐刀を探ろうとした手も即座に押さえ込まれる。



 呼吸を塞ぐ手は、骨張った男のものだ。



 夜。この佐々家で、出会い頭にあたしの口を塞がなければならないような人間が、あたしの部屋にいる…。



 頭が、ものすごい勢いで回転する。



「瑠螺蔚姫、ですね」



 掠れた声は、熱を帯びて思ったよりもずっと近くで聞こえた。



 気持ち悪すぎて、わっと毛穴が波立つ。



 知らない男が何故、あたしの部屋にいるのか。そしてなぜ、あたしを瑠螺蔚だと知っているのか。



 あたしは無我夢中で男の腕を振り払った。



「あっ」



 と言って、男はあたしの帯を掴むと、慣れたように足を浚った。



 見事にあたしはすっころび、容赦なく男はあたしの肩を押さえつける。



 な、な、な…。



 よほど声を出されるのが嫌なのか、用心深く、またもや口を押さえられる。



「むーっ!うーっ!」



 あたしはじたばたと藻掻いた。



 その時に気がついた。帯が、解かれている!暴れたせいか衣は大分はだけて上気した肌が冷たい空気に触れていた。



 あたしは咄嗟に乱れた衣をかき合わせた。



 な、なにこれ…。ど、どういう…。



 いやもうここまできたらこの狼藉者(ろうぜきもの)の目的はひとつしかないのはわかりきっているのだけれど、頭がついていかない。



 ころ、殺される…?いや殺されるだけならまだいい。この男の目的は別のことのような気がしてならない。考えたくないけれども!



「うーっ!うーっ!むー!」



 あたしは髪を振り乱して呻いた。そして無意識のうちに、心で強く叫んでいた。



 兄上っ!



 男の手が、あたしの鎖骨をなぞって降りる…。



 けれどそれは胸元でぴたりと止まった。そのまま、時が止まったかのように動こうとしない。



「…?」



 違う空気を感じて、あたしはいつのまにか固くつむっていた目を片方だけ開けた。障子が半身ほど開き、月の光があたしの腰のあたりを照らしている。



 そこから伸びた抜き身の刀身は、うつくしくもぴたりと誤ることなく男の首の表皮に突き立てられていた。



 刃が触れる、その首筋を脂汗がすっと落ちてゆく。



 刀を動かすことなく、障子から表れたのは速穂児だった。その顔は、無表情だった。しかし激しい感情が渦巻くその身に空気が凍る。助かったと安堵する間もなく、あたしまで、息苦しい空気に緊張で汗が滲んだ。



 速穂児…?



 誰も何も声を発さなかった。



 速穂児はあたしの真横まで来てゆっくり膝を折ると、あたしの心臓の上に乗っている男の手を見留めた。炎のような感情が一気に瞳を焦がす。



 あたしははっとして、咄嗟に渾身の力で男の腹部を蹴り飛ばした!



 火事場の馬鹿力というか、速穂児が来る前に発揮できなかったのが惜しまれるほどに男は無様に縁を越して庭まで転がり落ちた。



 あたしが男を蹴りとばすのと紙一重の差で、頭上に刀が翻った。



「…」



 速穂児は刀を振り抜いた姿勢で、庭に落ちた男を見、それから息を切らせるあたしに目を走らせた。



 あたしを憎んでいるのかと思うほどに、その瞳は思わず背がぞくりとするほど冷たいものだった。



「待って!」



 躊躇なく立ち上がる気配を感じて、あたしは速穂児に飛びついた。



 速穂児は乱暴にあたしを振り払った。あたしの体は叩き付けられるように畳に落ちた。速穂児の焔の如く燃える瞳が、あたしを射貫いた。



「何故、止める!」



「あんたが殺そうとするからよ!」



「当たり前だ!」



 逆に迷いなく怒鳴り返されて、あたしは一瞬たじろぐ。



「当たり前だなんて言うんじゃないわよこのオタンコナス!」



 しかしそこは伊達に前田の瑠螺蔚姫じゃあない。すぐに体勢を立て直すと、もいっぺん飛びついて、あたしは速穂児を床に押し倒した。



「こ…っ、の、じゃじゃ馬め!」



「じゃじゃ馬上等!あんた、村雨でも不審者をすぐに殺してたの!?違うでしょ!情報を引き出すためには殺さず捕らえるのは基本でしょうが!そんなんでよく忍びだとか言ってられたわねぇ!」



 あたしは捲し立ててから、唇を噛んだ。



 違う。あたしが言いたいのは、こんな、こんなことじゃ、なくて…。



 あたしは速穂児の胸ぐらを掴んだまま、そこに突っ伏した。



「ころさないで」



 息を吸う速穂児の胸は大きく隆起する。それにあわせて、あたしの体もあがったり降りたり忙(せわ)しない。あたしが呟いた言葉は、聞こえただろうか。聞こえなくても、速穂児はあたしの言いたいこと、きっとわかってる。



 速穂児、ここは村雨家じゃないよ。命を奪う日常を、強要したりなんて、誰もしないよ…。



「…もう逃げた。思ったより手練れだ」



 張り詰めた力を抜くように、呆れたように速穂児は言った。



「うん」



「本当に、おまえは…」



 速穂児は溜息をついて上半身を起こした。



「わっ、あ…」



 転がりそうになったあたしの頭の下に素早く速穂児の手がまわる。



「…勾玉」



「あ、え…?」



「探していただろ。すぐ近くに落ちていた。大事なものなら、しっかり持っておけ」



 あたしは言葉がすぐ飲み込めず、燃え尽きたあとのようにどこかぼんやりとして勾玉を受け取った。



「怪我はないか」



「ない、と思う…」



 自分の格好の乱れ具合にあたしは赤面するより先に青ざめた。



 は、速穂児が来てくれて、よかった…!



 間一髪だった気がして、今更ながらに体が震えてくる。



「大丈夫か」



「大丈夫、じゃ、ない…」



 目に涙が滲んだ。



 怖かった。無我夢中の中で、最悪の事態が頭をよぎるくらいには、怖かった。



 でも、あたしが今こんな惨めに体を震わせて泣いているのは、そんなことのせいじゃない。



 悔しい。



 どうして、兄上の名を呼んでしまったのだろう。



 昔からあたしは兄上に助けて貰ってばかりで、もうそれがクセになっているとはいえ、もうどれだけその名を呼んでも手を差し伸べてくれる人はいないのだ。



 兄上だけじゃない。今も、あたしは速穂児がいなかったらどうなってたか考えたくもない。柴田家であわやという時だって、川に飛び込んだ時だって、高彬に助けて貰った。



 どうして、あたしはいつも人に頼るしかないんだろう。



 せめて、自分の身は自分で守りたい。自分で守れるだけの力が、欲しい。



 強くなろうと誓ったのに、全然、果たせてない。悔しい…。



「瑠螺蔚さん!」



 聞こえるはずのない声がして、あたしは顔を上げた。障子の飛んだ入り口に、あたしよりも数段青ざめて立っている高彬がいた。



「高彬…なんで」



 速穂児が場所を譲るようにすっと部屋の隅に下がる。



 あ…もしかして、速穂児、高彬に知らせてくれたのかな…。



 あたしは何故か慌てて弁解した。



「あ、えと、ごめんね!夜中に起こしちゃって!でも大丈夫だから、あの」



「大丈夫じゃない!」



 高彬が、部屋に踏み入って、あたしの腕を掴んで引き寄せた。



「大丈夫なわけ、ないだろう?」



 そう言ってあたしの涙を拭いた。



「ごめん。本当にごめん。佐々家内でまさか瑠螺蔚さんが狙われるとは思ってもみなかった。現状はわかっていたはずなのに…完全に僕の落ち度だ。謝って許されるとは思っていないけれど、本当に、ごめん…」



 あたしはそれに面食らって慌てた。



「ちょっと待ってよ!なんで高彬が謝るの!?高彬のせいじゃ…」



「いや、僕のせいだ。もう、二度とこんなことはさせない」



 そう言って、高彬はあたしの首もとをなぞった。



 あたしは一瞬でぼっと火がついたように赤くなった。けどそれも一瞬で、高彬の顔を見た途端あたしの顔の熱は一気に冷めた。



 高彬は、凄絶に笑っていた。口は優しく弧を描いているのに、目が。目が、笑っていない!



 お、怒って…る!?



 こ、こんな高彬、はじめて見る、かも、しれない…。



 高彬は小さい頃、いくら川に突き落としても、竹藪に放り込んでも、怒ったりなんていうことはまずなくて、ただびーびー泣きながら、懲りずにあたしのあとをついてまわったものだった。



 それは単に幼いが故だったのかもしれないけど、やっぱり高彬は声を荒げたりしない、そういう優しい性格なんだと思う。



 その高彬が、怒っている。しかも、この上もなく。



 あたしはなにも言えず、黙ったまま固まっていた。



「…瑠螺蔚さんは、何も心配しなくて良いよ」



 高彬は厳かな声で言った。



「もう今夜は何もないと思うけど、一人で大丈夫?心配なら、僕が一緒にいるけれど。もちろん忍びもつける」



「あ、ううん、だいじょう、ぶ…」



「そう」



 高彬はついとあたしから視線をそらせて庭を見た。まるでそこに見えぬ宿敵がいるかのように、一瞬瞳が激しい光を帯びたかと思うと、急にすくっと立ち上がった。



「わかった。それじゃあまた、明日」



 高彬はさっと去って行ってしまった。



 な、なんなの…!



 あたしはなんだかどっと疲れて、肩で息をした。



 すると、目の前にさっと帯が差し出された。



「…ありがとう」



 確認するまでもなくその帯を持っているのは速穂児で、多分そこらへんに散らばっていたのを拾ってくれたのだろうと思う。



 あたしはそれをぎゅっと握りしめた。



 というか、ちょっと待ちなさいよと。



 過激な速穂児やら高彬が怒ってくれたおかげで、当のあたしの気持ちはなんだか擁護にまわって置いてけぼりだったけれども。



 つまるところ、あたしは襲われたのだ。



 あたしはねぇ。



 あたしは、ただ襲われて、これでもう嫁に行けないのナンだのと落ち込んで口を噤むような女じゃないのよ!



 ふつふつと沸く怒りが、今更ながらにあたしの体を燃え上がらせる。男の背に庇われてばかりも性じゃない。



 あたしの玉の肌に触れた仕返しは、ちゃーんと、してやるんだからね!結果的には大事にならなかったとは言え、こんなことしようとするようなロクデモナイ男はだいたい初犯じゃないはずよ。泣いている乙女が他にもいるはずよ。



 あたしは段々気分が高揚してきて、ふんと鼻先で嗤ってしまった。



 あたしに手をかけたこと、絶っ対後悔させてやる!覚悟してなさいよ!

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