小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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「あんたなんか、しねばよかったのよ」



 自分の掌さえ見えない暗闇の中、声だけが響く。



「あんたなんか、きらい。とっていくんだもの。あとからきたくせに。わたしと、あのひとは、うまれたときからいっしょだったのに。あんたなんかが、きたから」



 憎々しげにそう言った後、謡(うた)うかの如(ごと)く、言う。



「ころして、あげる」



 うっとりと、蜜が広がっていくように。



「ころしてあげる」















 頭、いった…。



 あたしはじんじんと痛む頭を押さえながら顰(しか)めっ面で、しゃくしゃくと雪を踏みながら佐々家の周りを散歩していた。



 秋頃までは、胸を引き裂かれるような痛みを伴う夢を見ていた。起きた時には夢の内容は忘れているけれど、とても辛くて、苦しかったことだけ覚えている、そんな夢。でもいつの間にか見なくなった。それに関しては正直少しほっとしている。何を見たか思い出せないのに、ただ涙が流れるなんて、あまり気分の良いものじゃないから。



 そして今日、久しぶりに夢を見たと思ったら、あんな…。



 女の声が、至極嬉しそうにあたしを殺すと言いつのる夢だった。



 所詮(しょせん)夢の話だけど。おかげで寝不足だ。ああ眠い。



「もし」



 あたしは急に話しかけられて、驚いて顔を上げた。



 見上げた先には男が居た。



 男は少し頬が痩(こ)けていて、幸薄そうな印象だ。



「あ、はい?」



「失礼だが、佐々の姫であられるか?お伺いしたいことがあるのだが」



「いいえ滅相もございません。私はこちらの炊女(かしきめ)でございます」



 あたしは説明するのも面倒なので飯炊き女だと謙(へりくだ)った。



 男はあたしを上から下までさっと見ると、腕を組んで顎に手を当てた。



「それにしては良いものを着ているな」



「お優しい末の姫さまから譲って頂いたものでございます。こちらにはよくして頂いておりますので。お侍さまは、見たところただ通りかかったのでもない御様子。佐々家になにか御用でもございますか?」



「その末の姫に用がある。『三浦(みうら)が会いに来た』とでも伝えてもらえまいか。なに、ただでとは言わん」



 そわそわしながら男はあたしの手にいくらか握らせた。



 はーん。



 いいところの姫にはこういう男は多い。姫の身近にいるものを買収して姫の元へ案内させたりする。本当に姫に懸想してやっているのか、財産に目が眩んでこういうことをしているのか。後者が圧倒的に多いが。みんな玉の輿に乗ろうと必死なのだ。



 あたしは気前よく笑顔で頷いた。



「かしこまりました。きっとお伝えいたします」



「絶対に、伝えて欲しい。頼んだぞ」



 あたしは門をくぐると舌を出した。



 ずっとそこで待ってろ、ばかっ。誰が、かわいいかわいい由良の身を危険にさらすかってーの!



 何が「三浦が会いに来た」、よ。



 いや待て…三浦?なんか、どこかで聞いたような?



「あら、瑠螺蔚さま。お早うございます」



「あれ、由良」



 その時、丁度良く由良が通りかかった。



「一応聞くけど、あんた三浦なんてやつ知りあいじゃあないわよねぇ?あのさぁ、もう笑い話なんだけど今そこで…」



「えっ、三浦さま!?」



 由良は俊敏に反応した。へ?と思っているうちに、由良は小走りであたしに近寄ってくると、ぎゅっとあたしの手を握った。



 え、なになに?



「瑠螺蔚さま、どちらで知り合われたのですか?三浦さまが、なぜ…」



 由良はうるうるとした目であたしを見た。



「え、と、今そこで、なんか、あんたに会いに来たみたい、だったけど…」



「本当ですか!?」



 由良の声は興奮のためか上擦(うわず)っていた。



 もしかして、由良…。



「あんた、前言ってた好きな人って、まさか、その三浦…」



「もう、嫌ですわ瑠螺蔚さま、そんなにはっきりおっしゃらないでくださいませ!」



 恥ずかしそうに由良は俯いた。



 えー…っと、え、なに?あの男が、由良と?え、本当に…本当に!?



 そういえば前にちらりと名前だけ聞いたことがあったような。



 あたしは男の顔を思い浮かべた。顔は悪くないけれど、取り立てて良いという程でもないあの男、あの馬の骨が、うちの由良と!?



 一体いつから、いやどこで…。



 いかん。もう娘を嫁に出す父親の気分だわ。



 まぁ、由良が選んだのなら、案外良いやつなのかもしれないし。



「そっか。よかったわね。高彬はうまく誤魔化しておいてあげるから、行ってらっしゃい」



「はい」



 由良は頬を染めて頷いた。

















「それでですね、私に『大丈夫ですか』とおっしゃって、さっと優雅に手を差し伸べて下さったのですわ。私、あんなに心優しい方にお会いしたのは初めてでした…」



「うんうん」



「それからは、数える程しかお会いできてはおりませんけれども、三浦さまは私のことをずっと見ていて下さったらしいのです。夢のようですわ!」



「うんうん」



 あたしは菩薩のような顔で相槌(あいづち)を打った。



 三浦と話が済むやいなや、由良はあたしのところに飛び込んできて、



「瑠螺蔚さまっ!三浦さまに求婚されましたの!」



 と、言った。



 そこまではよかった。うん、そこまではよかったのよ。



 そして、恥ずかしがって今にも走り去りそうな由良に向かって一言、



「その三浦ってどんな人なの?」



 と軽い気持ちで声をかけたのだ。



 これがいけなかった。



 由良が来たのが、大体酉の刻(十八時)で、今は子の刻(零時)。なんとかれこれ三刻も由良はあたしの部屋にいたことになる。



 しかも、ずーーーーーっと三浦の話ばかりなのだ。



 由良と三浦が出会ったのがいつとか、その時三浦はどんな格好をしていたとか、とにかく優しいとか、もうそんなのばっかり。



 由良もね、今まで誰にも話せなくてたまってた分あたしに喋ることが出来て嬉しいんだろうけど。それはわかる。



 でもねー。流石にあたしそろそろ寝たいんだけどなー。いつもは寝てる時間なんだけどなー。そろそろ丑三つ刻だし、物の怪とか出てきてもおかしくないんだけどなー。あたしは物の怪なんて怖くないけど、由良は怖くないのかなー。お腹すいたなー。どうせ起きてるなら夜食食べたいなー。でも自分で台所まで行ったら、夜半に台所を漁るハシタナイ前田の客人になっちゃうしなー。



「瑠螺蔚さま、その時の三浦さまとおっしゃったら、もうっ…。はあ」



「うんうん」



「私、あのような方に愛されてとても幸せですわ」



「うんうん」



「…瑠螺蔚さま?」



「うんうん。…って、え、なに?」



「今のお話、聞いてらした?」



「え、き、聞いてたわよやーねー。三浦の飼っている犬がどうとか…って話でしょ?」



「…瑠螺蔚さま?」



「え、なに?」



「三浦さまは、御犬など飼ってはおられませぬけど?」



「え?あはは、やだなー聞き間違えたのかしら。おほほほほ…」



 その時ざわざわと庭の葉が擦れ、由良はやっと時間の流れを思い出したらしい。恐ろしそうに暗闇から目を逸らし、袖を口元にあてた。


「私お話に夢中になってしまいましたわね。もう、戻りますわ」



「待った由良。佐々家内とはいえ時間も時間だし、あたし送っていくよ」



 由良はこくりと頷いた。



 部屋を立つ時に、由良は言った。



「瑠螺蔚さま、私、瑠螺蔚さまが居てくださって本当に良かった」



「え、なに、急に」



「三浦さまとのことは、佐々家と三浦家の間での正式なお話ではありません。きっと、母上さまも、父上さまも、兄上さまたちも、このことを知ったらみんなお怒りになると思うのです。今日三浦さまに言伝(ことづて)を頼まれたのが瑠螺蔚さまでなければ、お会いすることは叶わなかったでしょう。瑠螺蔚さまは以前も、徳川家との縁談が出た際に私を助けて下さいました。家や大義名分よりも、私のことを考えて下さる瑠螺蔚さまが、私大好きですわ」



 由良は口元を隠すと、楽しそうにふふと笑った。



「いや、まぁ、あれよ。あたしはいつでも由良の味方だからね」



 なんだか照れて、あたしは頬を掻きながら言った。



「存じておりますわ。ねぇ、瑠螺蔚さま。瑠螺蔚さまは高彬兄上さまのことをどう思っておられるのですか」



 いきなり高彬の話になって、あたしは目をしばたかせた。



「ちょっと、どこから高彬が出てきたのよ!」



「いいではないですか。私は三浦さまをお慕いしております。瑠螺蔚さまも、兄上さまをお好きですか」



「ええ?」



「兄上さまのこと、お嫌いですか?」



「嫌いなんて事は、ないけれど…」



「ではお好きなのですね?」



「好き…」



 高彬のことは、好きか嫌いかで言ったら、それは好きな部類になるだろう。気安いし。でも、恋愛の意味で由良が三浦を想うように好きかと言われたら、それとはなんだか、違うような気もしなくもない。



『好きだ。瑠螺蔚さん。ずっと好きだったんだ…』



 ふと高彬の言葉が甦ってあたしの顔は一瞬で熱くなった。



 や、やだなー。なんで今思い出す、あたし。



 手の甲を頬にあてて冷ましていると、由良がここぞとばかりに詰め寄ってくる。



「妹の私が言うのもなんなのですが、兄上さまは心もお優しく見た目も織田の若殿に遜色(そんしょく)なく一番の出世頭と言われており、いずれは佐々の頂を競われるお方。瑠螺蔚さまが兄上さまをお嫌いでなければ、ご結婚なさるのになんの支障がありましょうか」



「イヤ鷹男と比べて同等ってそれは言い過ぎ…」



 なんというか、大人の余裕みたいなものが違う。



「鷹男とは?」



「若君よ」



「ま、まさか瑠螺蔚さま、若君と…!?」



「え!?は、いやいや!違う!そんなことないからね!?大体鷹男があたしみたいなの相手にするわけないでしょ!御正室佐々の公子(きみこ)姫だし!ナイナイ!」



 由良はほーっとため息をついた。



「そうなのですか。ようございました。いくら兄上さまでも、若君には敵(かな)いませんから…」



「なに、どうしたのよ由良。今日はやけに高彬の肩持つじゃないの。怒ってたんじゃなかったの?」



「それはそれ、これはこれです。私ははやく瑠螺蔚さまをねぇさまとお呼びしたいですからね。兄上さまには頑張って頂かなければ。ですが瑠螺蔚さま、兄上さまとご結婚なさるのが本当はお嫌なのですか?でしたら私も無理にとは言いません」



「イヤ、じゃないわ。ほんとよ。でも、ねぇ由良。あたしって多分贅沢なんだ。やっぱさ、前田の一の姫として生まれた以上、自分の結婚は自由に決められないって言うのはある。それに納得するしないは別にしても。だから下手すれば父上よりも年の離れた人に嫁ぐことだってないとは言い切れないのよ。祝儀当日に初めて相手と顔を合わせるなんてことも少なくないじゃない。だから、その点、あたしは大分恵まれてるんだと思う。相手は高彬だし。でも、なんだろう。なんかなーこう、あたしの知らないところであたしの相手を決められるって事が、なんかイヤ。結婚相手ぐらい、自分で決めたい。それが本当に高彬なら、あたしは待ってるんじゃなくて、自分から言う。だからー…」



 あたしは言葉に詰まった。



 そんな性格のこのあたしが高彬との縁談にぴーぴー騒がず比較的大人しくしているのは、どういうことなんだろう。



 高彬のことは、決して嫌いじゃない。



 でも、好き、って何。



 月を見上げながら兄上は言っていた。この世の全てよりも愛していると。そんな激しい想いを、あたしは誰にも抱いたことはない。



 だから多分まだ、あたしは恋を知らない。



「高彬のことが嫌いなんじゃなくて、あたしはまわりに流されているだけのこの状況が、不本意なだけなのよ、きっと」



 あたしは、我が儘だ。



 恵まれているから我が儘にもなれると知っているのに、それでもまわりの優しい人たちの好意に胡座(あぐら)をかくのだ。



 だからごめん、高彬。もう少し、待ってて。



 しんと沈黙が落ちた。



 そうすれば、夜の闇を意識せずには居られない。



 闇が静かに鎮座する庭は、あたしですらなかなか怖いと思う。由良は恐怖を隠し得ないのか、あたしの袖をぎゅうと掴んだ。



 家の外に出るわけでもあるまいし、と思って明かりの類(たぐ)いはなにも持ってきていないから、ぽつ、ぽつとある釣灯籠(つりどうろう)の光を頼りに歩く。



「わ、私、瑠螺蔚さまについてきて頂いて本当に良かった…」



 由良が震えてそう言うのに、あたしもうんと頷いた。



 あれ待てよ、あたしこれ帰りはひとりじゃ…。



「瑠螺蔚さま、ここでよろしゅうございますわ」



「あ、うん。で、由良、手燭(てしょく)かなんかあったら貸して欲しいんだけど…こうも暗くちゃ、庭に転げ落ちちゃう」



「私ですか?…ない…かもしれません。兄上さまなら…」



「いや、高彬のところ行くのは、こないだのこともあるしよしとくわ」



「そうですわ」



 間髪入れずにそういった由良にあたしは笑った。



「ですが瑠螺蔚さま。安心して下さい。もうそのようなことは起こりませんから」



 やけに自信たっぷりに由良は言う。



「なんでよ」



「昨夜からあのものの寝室を瑠螺蔚さまのお部屋の隣にしたのですわ。これで、兄上さまが忍んで参りましても、大丈夫でございます」



「待って。あのものってどのもの?隣って!?」



「私たちが拾ってきた、あのものです。ですから瑠螺蔚さま、なにかあったときは、襖をこう、さっと開けて…」



「…由良、あんた…」



 あたしは片手で額を押さえながら言った。



 由良にとっての危険人物は高彬だけなのかしら。



「…高彬はなんて言ってたの」



「兄上さまには知らせておりません」



「そうでしょうね…由良、婚前のあたしに、襖一枚で仕切られただけのところに寝ろって?男と」



「え?あ…」



「まぁいいわ。あいつあたしに興味なんてないだろうしね。じゃあね。体冷やさないようにちゃんと衾被って寝るのよ」



 あたしは踵を返すと、ひらひらと後ろ手に手を振った。



「…はい。お休みなさいませ」



「ん。おやすみ」



 少し歩いて暗さにはっとした。



 手燭…。



 振り返ってももう由良は部屋に入ってしまったあとだった。がらんとした濡れ縁が余計に今ひとりだと言うことを実感させる。



 いや、仕方ない。由良は手燭を持っていないと言っていた。どうせ何も出ないだろうし、はやく戻ろう…。



 そう考えた途端、あたしの肩に後ろから手がぽんと置かれた。



「ひ…っ!?」



「おい」



 ぶすっとした声がした。



 それにつられてくるりと振り返れば、…なぁんだ速穂児じゃないの。



「脅かさないでよ」



「それはこっちの台詞だ。おまえいつの間にかいなくなるから」



 速穂児ははぁと溜息をついた。

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