小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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 ぎしぎしと音を立てて歩いているとことん、と音がして目の前に何か赤いものが落ちてきた。



 あたしの目がおかしくなければそれは上から落ちてきたもので、でもあたしはまだ天地城にいるのであって、あたしの頭上には当然ながら天井がある。目をぱちくりさせながら天井を仰ぎ見ても、特に何ら変わったところはなく、茶色い天井があるだけ。



 とりあえずしゃがんで、あたしはその赤いものを指先でつまんで目の高さまで持ち上げた。



 それは、赤い勾玉だった。



 これ…紅水晶(くれないのはり)?勾玉なんて古いもの、一体今時誰が持っているというのだろう。表面は小さい無数の傷で覆われ、長く使用されていたようで輝きが濁っている。



 まじまじとそれを眺めてからあたしはふと思い立ち、胸元から瑠璃(るり)の勾玉を引き出した。



 そしてなんの気なしに、紅水晶の勾玉をくるりと返すと、上下逆にしてあたしの瑠璃の勾玉とあわせてみた。



 ふたつは、見事なほどぴたりと合わさった。



「えっ!」



 あたしは驚きのあまり紅水晶の勾玉を取り落とした。勾玉はことんと転がると縁の隅で止まった。あたしは、目ではそれを追いながらもすぐに拾いあげることができなかった。



 な、に。え、そんなことってある?偶然拾った勾玉が、あたしのもともと持っていたものと、もとは一つの石だったと紛(まご)うぐらい完璧に断面が一致する、なんて…。同じ石から削りだしたならまだしも、瑠璃と水晶、ふたつはもともと違う石だ。誰かが明確な意図を持って作らなければ、形も、大きさも、全く同じものなんてできる訳がない。



 心臓の音が耳にうるさい。



 あたしは重い一歩を踏み出して、また紅水晶の勾玉を拾った。そしてもう一度、あたしの瑠璃の勾玉と、あわせてみた。



 合わ、ない…。



 何度合わせても、合わないのだ。さっきは二つで一つという方が自然なほど驚くべき精密さで噛み合った二つの勾玉が、それが幻であったかのように全く別々の個体と化していた。紅水晶の勾玉の方が、あたしの持つ瑠璃の勾玉よりも若干小さい。形も違う。当たり前だ。当たり前の、筈なのに…。



 心臓の音が、鳴り止まない。



 今、事実こうして噛み合わない勾玉を持っているのだから、さっきの方が幻か、勘違いに違いないのだ。安心して良いはず。なのに…なぜか落ち着かない。



 なんだろう、これ。なんだろう、この感じ…。



 あたしはびくりと体を引きつらせた。というのも、勾玉を持つあたしの手の向こうに人間の足が見えるのに気がついたのだ。



 もちろん足だけなんてことはなく、辿ればちゃんと体もあり頭もあり、手もあった。



 でも…。



 あたしは何度も目をしばたかせた。



 目の前の男は、あまりに異様な風体をしていたのである。



 着ているものは布じゃなく皮。獣の皮だ。熊か狼か、大きな毛皮を身に纏い、腰に紐か何かで巻き付けていて、山賊(やまだち)のほうがまだましな格好をしている。鍛え抜かれた足や腕は露出していて、日に焼けたのか真っ黒だ。何より目を引くのはその顔。釣り上がった目尻に、青と赤の派手な入れ墨をいれているのだ。耳には耳飾りがいくつもつき、多分、耳自体に穴を穿(うが)って通してある。髪は髷(まげ)なんて到底結えないほどの短髪。そして男の右頬には、大きな傷があった。



 どう見ても、いつの時代かと思うぐらいの格好をした男だった。下手をすれば乞食よりも酷い格好だけれど、不思議と男はまるでこの城の主だと言わんばかりの面持ちで堂々と立っていた。



 それに…この男、一体いつからいたのだろう。そして音も立てずにどこから来たのだろう。



 男は、あたしを真っ直ぐに見ていた。



 そのまま、男はゆっくりとあたしに右手を差し出し、右手の平を仰向けた。



 あたしは、引き寄せられるように、その掌の上に紅水晶の勾玉を乗せた。



 男は乗せられた勾玉を握りしめると、瞬きをした。瞳を閉じ、開けた時、男の表情が動いた。



 自分を嘲(あざけ)るように苦笑したのだ。無表情だった時に男の歳は三十にも四十にも思えたのだが、笑うと随分と幼く見えた。本当は、もっとずっと若いのかもしれない。



 一瞬あたしの持つ瑠璃の勾玉を見て、それから男はまた表情を消すと、あたしの顔を見た。



「なぜ泣く」



 低い声でそう言われて初めて気がついた。あたしは泣いていた。しかも、子供みたいにぼろぼろとみっともなく涙をこぼして。



「わかんない」



 言い方まで子供っぽくなってしまった。声に甘えたような響きが混ざったことに、あたし自身驚き、そして慌てた。初対面の、こんな怪しい人に対して、『甘える』なんて単語が出るのがおかしい。でもなぜか、あたしは全く恐怖心を感じていなかった。



「どうしたら強くなれるの」



 あたしはしゃくり上げながら言った。男はみっともなく泣くあたしをじっと見ていた。



「…強くなりたいと本当に望むのなら」



 男はそれだけ言うと、ふいと視線をそらせた。



「待って!」



 あたしは咄嗟に男の腕を掴んだ。



「離せ」



「や!」



「瑠螺蔚(るらい)」



 男は呆れたように言った。男があたしの名をなぜか知っていても、あたしは不思議と驚かなかった。



 なにか言わなきゃと思ってあたしは口を開いた。



「その、紅水晶の勾玉、あんたのなの」



「そうだ。決して無くしてはならぬものだ」



 そう言ってからすこし黙ると、男はまたあたしをちらりと見た。男の目つきは鋭く、睨まれているようであったけれども、やっぱりあたしは怖くなかった。目つきが悪いだけで本当に怒っているわけでないとわかっていたからかもしれない。



「落としたのは俺の失態だ。拾ったのがおまえで良かったな」



 勾玉は上から落ちてきた。落としたと言うことは、天井にいたのだろうか…。



「忍?」



 あたしがそう言うと、男は笑った。まるで無知な子供を笑っているようだった。



「この借りは返す。見せてやろう。おまえの求める真(まこと)を」



 そう言うと男はするりとあたしの手から鋼(はがね)のような腕を抜くと歩き出した。



「えっ、ちょっと待って!」



 あたしはあわててあとを追ったが、男の足は走っている訳でもないのに恐ろしく速かった。



 どんどん男との距離が開いて、見失わないようにするので精一杯だった。



 どれくらい歩いたのか。何度目かの角を曲がったところで、目の前に遙か先を歩いていたはずの男がいて、あたしはもろにぶつかってしまった。



 い、いった〜!



 鍛え上げられた男の体はどこもかしこも硬くそれだけで立派な凶器で、ぶつかった方はたまったもんじゃないわよ本当に。



 あたしは鼻を押さえて男をちょっと睨んだ。



「これぐらいの気配もわからなくてどうする」



 男にそう言われたけれど、わかるわけない。あたしはただのか弱い姫なんですから!



「獣くさい」



「褒め言葉だな」



 文句のつもりでそういうと、男はまた笑った。



「見ろ」



 男が指さす先には男と女がいる。なにやらもめているみたいだ。



「ちょっと、何を…」



 明らかに取り込んでいる様子に、のぞきが趣味でもないあたしは男に文句を言おうとした。



 けれど、もういなかった。男の影も形も。もしかして今のはあたしの白昼夢や幻覚だったのかとさえ思うほど見事に男はその場から消えていた。あたしはきょろきょろと辺りを見回したけれど、すぐに諦めた。男は、まだ近くであたしのことを見ているのかもしれないし、もういないのかもしれない。もし近くにいても、どうせあたしにはわからない。ひとつだけわかったことは、男が見たこともないくらいものすごい手練れだということだけ。雰囲気も、気配も、なぜあたしのことを知っているのかさえ何一つわからなかった。



「なぜですか!そんな、女のこと!」



 女の涙声であたしはもめている二人がいたのを思い出した。



「説明しただろう!わかってくれたんじゃなかったのか」



 あたしは立ち去ろうと動かした足をぴたりと止めた。待って、この、声…。



「やっぱり、わかりません!私は嫌なのですお金のためとはいえ、あなたが…他の女などに…」



「好きなのはおまえだけだ」



「それでも!佐々の姫を側室に娶(めと)られるとおっしゃいましたけれど、そんなことは佐々家が絶対に許してくれないでしょう。末とは言え佐々の姫を三浦家が側室など…そうすれば私はどうなります?側室でも、傍女でも、佐々家が否といえば私はあなたに会うことすらできなくなります!ましてや前田の一の姫など、尚更ではありませんか。佐々家でも、前田家でも同じです。あなたのお側にいられないのなら!」



 女はわっと泣き伏した。



「それでも金と地位は手に入る。贅沢ができるんだぞ。それにもう少し、声を落としてくれ。ここには他の人間も来る。誰に聞かれるか…」



「誰に、誰にですって!?これだけ私が言っても、あなたが気にするのは保身なのですか?自分の身がかわいいのですか!?」



「そういうことではない。誰のために私がこんな苦労をしていると思っているんだ。全部おまえのためだ。だから、声を落として…」



「公になれば、私たちがどうなるかは、重々承知しております!」



 二人の声を聞きながら、あたしは冷静だった。自分でも驚くぐらい。



 どうなんだろう。怒りが限界を超えて冷静なのか、それとも本当に冷静なのか…いや、どっちでもいい。あたしが今するべきことは限られている。



 あたしはつかつかと二人に歩み寄った。二人はあたしに気がついて弾かれたようにこっちを見た。男はあたしの顔を見てさっと青ざめた。あたしは歩みを止めず、鷹男から貰ったばかりの刀を躊躇なく抜き放った。逃げれば良いのに二人とも、固まったように立ち尽くすだけだった。



 あたしは無感情に男との間合いを詰めると、横一線に刀を振るった。



「ヒッ、ヒイイッ」



 女が妙な声を上げて、へなへなと座り込んでしまった。その横に、ぼさり、と男の髷が落ちた。



 あたしは男の腹を蹴り飛ばすと地面に腰をつかせ、刀を素早く逆手に持ち替えると、思いっきり、男の首の横に突き刺した。刃は、落ちた男の横髪と肩の布を抉(えぐ)り、激しく地に突き刺さった。



「昨日はドーモ」



 あたしはぐいと顔を男に近づけた。



「あんたを殺してやりたい」



 自分でも驚くほど低い音で、その声はすんなり唇から落ちた。今、あたしは、どんな顔で、どんな声で、こんな酷い禍言(まがごと)を言っているんだろう。でもそれは確かに、激しく燃えるあたしの感情だった。



 ねぇ。由良が、どんなに、嬉しそうにあんたのこと話してたか、知ってるの?



 あたしはいい。三浦が昨日忍んできてあたしに狼藉を働いた男と同一人物でも、無事だったからもうそれはどうでもいい。以前、佐々の家の前をふらふらしてて三浦に伝言を頼まれたこともあった。その時あたしは佐々の炊女(かしきめ)だと嘯(うそぶ)いたけれど、いつからあたしのことを知っていたのかなんて問うまでもないだろう。きっと、最初からだ。



 話は至極単純だった。目の前の男は、由良の思い人の三浦であって、昨日あたしに不埒(ふらち)なことをしようとした狼藉者(ろうぜきもの)その人。その本命が横で腰を抜かしている女で、つまり由良は家柄と金に目が眩んだ三浦に騙されたのだ。あたしにまで手を出そうとしたのは、佐々よりも前田の方が若君の覚えが良いとか、そんな理由でしょ。もしくは女にせっつかれて焦り、既成事実を作ればすぐ手に入ると思って佐々から前田に乗り換えたか。と言うか…こいつ、由良には乱暴していないでしょうね!?



「あんた、由良には、手、出してないでしょうね?」



「…できるものか。あんな未通女(おぼこ)」



 三浦は茫然自失だったのが、あたしの言葉ではっと我に返ったようで、吐き捨てるように言った。



 …ん?



 あたしはその態度に引っかかりを覚えたけれど、忘れることにした。



 だって、ねぇ。あたしは怒っているのだ。



 横でただ震えていた女が、それを聞いて信じられないものを見るように激しく三浦を振り仰いだ。瞳は飛び出さんばかりに見開かれ、この世で聞いてはいけないことを聞いたかのようにみるみるうちに血の気が引いていく。女は鋭い。男が全てと思い頼り切っている人間なら、尚更ちいさな変化にも目敏く気づくだろう。



 それを横目で見ながら、あたしは激しい怒りに瞳の奥がちかちかと点滅するのを必死で押さえていた。



 どうしたって、こいつは由良を騙しあたしを手籠めにしようとした。それが事実。例え三浦が由良に絆(ほだ)されてきているのかもしれなくても、あたしには他人の心の本当のところなんてわかんないし、それで全て許せるほど心も広くない。



「生き地獄って、知ってる?」



 あたしはぐぐと三浦に顔を近づけると、にこっと笑った。



「さっき言ってたわね。『公になれば、私たちがどうなるかは、承知してます』…って」



 三浦は逃げようと肩を引いたけど、逃がさない。その肩に爪を立て引き留めると、あたしは言った。



「あたしを敵にまわすということがどういうことか知れ」



 そう言ってあたしは三浦を突き飛ばした。刀を地から引き抜き、懐紙(かいし)で拭うと鞘(さや)に収める。そのまま躊躇なく歩き出した。



「ま、待て!待て…待ってくれ!」



 悲壮な声があたしの背に追い縋(すが)った。あたしはゆっくり歩みを止める。



「か、金か!?な、何をしたら…金なら父上に頼めば…」



 金!?そんなもの!



「あたしはね」



 轟く怒りを身のうちに抑えこもうとして、声が震える。



「由良とあんたが結婚するって聞いた時、寂しかったけど嬉しかった。心の底から祝福するつもりだった。由良があんたに望んでたのは、金じゃない。地位でも名誉でもない。それが何かわからないなら、あんたは、この先一生由良も、その女も、誰ひとり幸せになんてできる訳がない」



 刀を握る手を、激しく意識する。



 命なんて、本気で奪おうと思ったら、きっとそれは凄く簡単なことだ。守る方が、もっとずっと難しい。



「…由良にはもう、二度と近づかないで!」



 そんな自分の感情が怖くて、あたしはその場から翔り去った。

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