小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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 あたしは湧き出てくる涙を必死で拭った。



 どうして、三浦はあんなにいいこを騙せるの?



 由良は、ただ、三浦が好きなだけだったのに…。



 金が、何よ。地位が何よ。そんなので自分の行動を正当化するんじゃないわよ。誰かを傷つけてまでそんなものが欲しいの?



 あーもう、どうしよう。あたしはどうすればいい?どうしたら一番良いのだろう。純粋に恋してた由良が一番傷つかない方法…。



 求婚されたと嬉しそうに言ってた由良の笑顔が曇らない方法…。



 あたしはぐしぐしと目を擦った。



 わかんない…わかんないよ。



 当然佐々家に戻る足どりは重く、あたしはどこをどう彷徨ったのかも定かではないまま、結果的に門をくぐったのは日がとっぷりと暮れ、流した涙もかぴかぴになってからだった。



 そしてあたしを真っ先に迎えてくれたのは、こともあろうに由良だった。



「瑠螺蔚(るらい)さまー!」



 由良はあたしが帰ってくるのを待っていたようで、泣きながら飛びついてきた。



「瑠螺蔚さま!三浦さまが、三浦さまが…」



「三浦が、どうしたの」



 声が少し震えてしまう。



「三浦さまが、私のようなこどもなど嫌いだともう好きでも何でもないとおっしゃって…私…」



 ちっ。みーうーらーめ!



 あたしは確かに由良に二度と近づくなと言ったけど、それにしても行動がはやすぎる。前田の権力に恐れをなしてるのは明らかだ。



「ああ、そのこと。知ってたわ」



 あたしはなんでもないことのように言った。



「…えっ?」



 由良は涙に濡れた睫を震わせてあたしを見た。



「あんたに言うつもりはなかったんだけどね。あんたたち、別れさせたのあたしだから」



「…え?」



 あたしはにやりと笑った。由良は頭がついていっていないようだった。



「やっぱ、三浦じゃぁさ、佐々は身分不相応だと思わない?あたしが散々脅しといたから、あいつ、もう二度と由良には近づかないわよ。諦めなさい」



 あたしは無情にも話は終わったとばかり由良に背を向けて歩き出した。



「…瑠螺蔚さま、瑠螺蔚さま!今のお話、嘘なのでしょう?嘘…嘘だと…言ってください!」



「本当よ」



 あたしは振り返った。きっとその顔は冷たく、残酷に由良の目にはうつっただろう。



 由良は顔を歪ませて、耐えきれず自分の部屋のほうへ駆けていってしまった。



 あたしは遠ざかる由良の背中を、酷く冷静な気持ちで見ていた。



 …あー…あ。



 なーにやってるんだ、あたし。



 由良の泣き腫らした瞳が、ちくちくと心を刺す。



 これで、いい。だって「三浦にフラれた」って事実だけで由良は充分傷ついた。自分が二番目だったとか、三浦があたしも襲おうとしたとか、そんな余計なことは知らなくて良いんだ。友人に裏切られるのと、恋人に裏切られるのでは、意味合いが違う。だから、これで、いい…。


 あたしはのろのろと力ない足どりで由良と反対側の角を曲がって、どきりとした。



 そこには、高彬(たかあきら)が立っていたのである。



 けれど今のあたしには何も声をかける気力すらない。とりあえず今は何も考えずに眠りたかった。



 あたしは黙ってやり過ごそうとした。



 けれど。



「瑠螺蔚さん、あなたは人が良過ぎる」



 そう高彬に言われて、あたしは思わず立ち止まった。



 高彬は静かな声で続けた。



「由良は、三浦などとつきあっていたのか…。男なら、皆、三浦がどんな奴かは知っている。あいつの罪を、瑠螺蔚さんが被ることはないんだ」



「…」



 高彬は、困ったような優しい顔で、あたしの頬に指を伸ばした。あたしは避けも振り払いもしなかった。高彬の指は頬から耳朶を滑り、そっと首の後ろまでまわって、あたしを包み込むように柔らかく抱きしめた。もう限界だった。



 あたしは高彬にしがみつきながら、幼子のように泣いた。涙が滝のように溢れる。



「こんなの、ずるい…っばかっ」



「そうだね。僕はずるい」



 高彬のバカ。あたしを甘やかさないで。



 もうやだ。今日は本当に散々だ。年下の高彬の前で、あたしはこんなにみっともなく泣いている。いつもこんな時あたしは兄上に甘えていた。ひとりで立とうと思ってるのに…。高彬、お願いだからあたしを甘やかさないで。兄上のかわりなんてなくていい。あたしは強くなりたい。涙なんて流したくない。今日だって、あんたに会わなければ、あたしはきっと無様に泣くことなく明日を迎えられたのに。本当に傷ついているのは、あたしなんかじゃなく由良なのに…。



「由良には、由良には本当のことを言わないで…!」



 あたしは掠れた声で言った。



「瑠螺蔚さんのお人好しは今に始まったことじゃないけれど…」



 高彬はそう言ってから、ふと思い立ったように空を振り仰いだ。



「瑠螺蔚さん、綺麗な七日月が出ているよ。見てご覧」



 あたしは首を振った。顔を上げられなかった。



 ごめん、ごめんね由良。わざと傷つくようなこと言って。



 あたし、あんたが三浦に振られたせいで恋に臆病になってしまうのが怖かったの。



 あんたには幸せになって欲しいのよ、由良。



 婚姻すら自分の意思では自由にできないこの戦の世でも、いいえこの戦の世だからこそ、一生に一度出会えるか出会えないくらいの恋をして、幸せに暮らして欲しいの。例えそれで、あたしが憎まれても…。

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