小説『大切なもの(未定)』
作者:tetsuya()

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 日鷹佳代は現在二十一歳、高卒で会社に入社して三年目を終えた。彼女はいまだに自分にとって本当に大切なものを見つけられずにいた。

 安定した生活は送れているので、現状を保っていれば生活保護を受給する必要もないし、住んでいる場所を失うことはない。給料を毎月三万円、ボーナスは全額貯金している。仕事も順調だし、高校時代の親友ともそれなりに交流しているし、趣味もそれなりに楽しめている。高卒や大卒で就職できずに、非正規雇用で苦しんでいる若者からすれば何いってるんだ、と説教される身分なのである。

 それぞれ大切なものとは異なる。お金、仕事、親友、趣味、時間、他人との交流、プロ野球観戦、オンラインゲーム、喜んでもらうための行為、など細かく分ければ木の枝のように多岐にわたる。それくらい大切なものはひとりひとり異なる。

 大切なものは有益なものばかりではない。ライバルを蹴落とすための欠点粗探し、いじめ、殺人、暴力行為、パソコンをウイルス感染させる、電車に針を仕掛ける、金を騙し取るなど、他人を害することを一番大切にしながら生きる、しょうもない輩もたくさん存在する。

 佳代は家が貧しくて高校卒業で働かなければならなかった。高校も土日にアルバイトして授業料を稼がなければ、学費も払えなかったくらいに貧乏だった。父が早くして他界し、母親が少ないパート収入で私と弟を養っていた。月二万円の授業料と、一万円の交通費を余分に繰り出す余裕は家計になかった。

 アルバイトにいそしんだため、親友と遊ぶ時間を確保できなかったし、彼氏を作ってデートすることもできなかった。彼女は貧しすぎたがゆえに時間を失ってしまった。就職はそんな彼女に、天から授けられた唯一のものとなっている。
 
 衣食住与えられている現状に不満を持っていてはいけないと心につなぎとめていても、ひょっとしたところから現れてしまう。自分にはなかったものを他人が持っていたときは、特にそうなりやすい。

 人間の生き方はいずれかを選択すれば、その他の選択肢を失うシステムになっている。いたずらにたくさんのものを追えば失敗する。虻蜂取らず、二兎を追うものは一途も得ずという諺はそれをうまく表現している。

 二ヶ月ほど前、大学に通っている実家もそれなりに裕福な、高校時代の親友の高良美穂から、私就職できるかなとか相談された。彼女は大学現在就職戦線真っ最中だ。十月から六社ほど面接を受けたらしいが、未だに採用を勝ち取れないとことだった。不景気の波は大学生をも容赦なく呑みこもうとしている。

 佳代は一生を決め兼ねない相談を、真剣かつ笑顔で励ましていたものの、内心むつまじかった。大学に通わせてもらえるなんて夢物語だ。美穂には別の親友もたくさんおり、どうして私を選んだのだろうかと訝しく思わずにはいられなかった。就職を決めた人を選んだろうのだろうが、完全に相談相手を間違えている。上から目線もいいところだ。必死になりすぎて自分の世界しか見えていないのだろうか。
 
 大学進学の身分は一生取り戻せない大切なものの一つである。四年間も遊びながら、将来を見据えていく。しかも初任給は高卒よりはるかにいい。四年間早く就職したとしても、将来の給料は大卒が上回る。働く期間が短いのに、収入は多い。あまりにも不公平すぎる。しかも私は、時間というかけがえのないものを、ひとつ多く一つ失ってしまっている。これはもう取り戻せない。

 それだけ苦しかったのにもかかわらず、逆の立場だったら親友のように思ったかもしれない。新卒で就職できなければ、非正規雇用につかざるをえない率が高くなる。大卒であってもそれはかわらない。美穂の将来はまだ確立されていない。彼女はこれから一年が人生を決めるヤマ場となる。美穂も就職を勝ち取るためになりふりかまっていられない。ありとあらゆるものを使い、全力で自分の将来を構築しようとしている。

 他人からは羨ましくとも、本人は悩んでいたり、足りない部分を補おうとしたりと必死になっている。痩せる必要のないアイドルだって体脂肪やちょっとした体型の変化に神経を尖らせたり、現在売れているアイドルだって人気がいつまで続くかハラハラしている、たくさんの印税をもらっている売れっ子小説家も、新たなライバルに蹴落とされないために日々精進している。上の階段を一歩駆け上っていくのは大変だが、下の階段に転落するのは数秒あればエレベーターのように簡単にできる。現状を保つのは難しい。

 佳代も会社では新入社員に抜かれないよう切磋琢磨している。生活を守るため、家族を心配させないため、高齢者を支える税金や年金を払うため、休日も時間をかけて努力している。苦しかった分、他人には同じように苦しんでほしくない。

 だが最近、佳代は、違った生活を送ってみたいと思うようになっていた。とはいえど、ギャンブラーや株で大もうけしたいわけではない。本心から女心をくすぐられることをしてみたい。自分の世界観を大きく変えてみたい。そのために転職も考えていた。貯金もあるし、一定期間雇用保険ももらえる。ここらで人生の心機一転をはかりたかった。

 仕事を終えた、佳代は夜の街を歩いてみることにした。これまでは身の安全のために、すぐさま家に帰っていたが、新たな刺激を求めるために裏の社会を深く追求してみるのもいいかなと思った。

 多くのサラリーマンは酒屋で楽しく会話したり、日々の疲れを癒すために喫茶店でリラックスしていたり、上司の愚痴をいってストレス解消するなど、枠を守った行動をしていた。夜を堪能している人間全てが、羽目を外しているわけではないようだ。

 だけどやはりというべきか、一部はまともでないサラリーマンが存在している。携帯電話で妻に遅くなると用件を伝えてキャバクラ通い、萌えを求めて猫耳をしたメイド喫茶に入ったりするのをあちらこちらに目にする。夜を歩いている男の何割かは、若い女性という刺激を求めているようだ。年齢を重ねた妻に価値を見いだせないのだろう。

 ホステスのいるバーに躊躇いもなく入っていく、奥様らしき女性もちらほら見かける。こちらも浮気のスリルを楽しんでいるようだ。働かずして旦那のお金を無駄なものにはたくとはいい御身分だ。

 彼女はこういうのが昔から大嫌いだった。かわいい女性にちやほやされている年配男やイケメンにもてはやされてその気になる年配女に価値などない。子育てにまわすべきお金を、他の女性や男性に貢ぐ。現状に満足していないからそうするのだろうが、優先順位を完全に間違えている。失ったお金は二度と戻ってこない。

 佳代が歩いていると、若い男に声をかけられた。目つきからしてどうやらナンパのようだ。一緒にバーに入らないかと誘われたが、男の目を見ずにきつく怒鳴りつけるように断った。

 なんてノリの悪いブス女なんだと、男はいいながら離れていった。ブスと侮辱されたことに過剰に反応しかけたものの、反論すれば命すら守れなくなってしまうかもしれない。後ろから男の背中をキッとにらみつけることで堪えることにした。

 二時間ほど夜の世界を見た彼女は、除外すると決めた。性に合わないというより、こういうのに身を捧げたくない。彼女の大切なものはここにはないと判断した。

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